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2008/08/14

オチはいつも、うんこかオナラ








いきなり「しも」な感じで、
お下劣だと思われる方もおられようが。
この気持ちをいつまでも忘れないでいたいと思っている。

「オチはいつも、うんこかオナラ」

実際にすべてをそれ(つまり、うんことオナラ)で
済ませようというわけではないけれど。
それくらい単純でバカバカしくありたい、と。
そう思っている。

理由もなく、出てくるだけで笑ってしまう存在。
きれいなものでもなく、
ましてや人を笑わせるためにあるものでもない。

しかるべきときに出てきて(排泄されて)も、
たいしておもしろくはないのに。
「オチ」を任されるや否や、
おもしろポテンシャルをいかんなく発揮する。

そして、何よりくだらない。
くだらないと分かっていながらも、
思わず口元をゆるめさせられる存在。
それが、うんことオナラ。
イッツ・カインド・オブ・マジック。
これは、一種の魔法だ。

想像してみて欲しい。
お葬式のような、いかにも静粛で厳かな場面を。
参列者がさめざめと涙をこぼす沈黙の中、

「ぷぅ」

という、あの音 が聞こえたら・・・。
天使のラッパにしてはまぬけな、気の抜けた音。
かすかだが、たしかに聞こえたその音に、
誰もが伏し目がちに視線だけを泳がせるだろう。

音の主が、
立派な袈裟(けさ)を着たお坊さんでも、
喪服姿の美しい令嬢でも。
「ぷぅ」は「ぷぅ」、オナラはオナラだ。

場面が厳粛であればあるほどに、
「ぷぅ」の力はおそろしいほど強大になる。


「うんこ」に関しては、
あまり「リアル」を追求すると笑えなくなる。

冷蔵庫を開けて、本気の「便」が入っていたら。
何かの間違いだと思い、そんな現実を否定するに違いない。

「うんこ」の形状は、
古き良き時代から受け継がれた「とぐろ型」、
つまり「まきまきうんこ」でなければいけない。

色合いもなるべく、ピンクや黄色など
ポップでかわいらしいものを選ぶ必要がある。

そんな「うんこ」が、広々とした部屋の中央、
大理石の床にちょこんとあっても。
担任の先生の頭の上に、
小鳥のようにそっと乗っかっていても。
一瞬、戸惑ったとしても、
やはり笑わずにはいられないだろう。


・・・・話が微妙にそれてしまった。

どこまでが本筋でどこから脱線したのかは、
読み手の判断にゆだねるとして。
言いたいのは、
いつまでも「うんこ」や「オナラ」で
笑っていられる「器」を持っていたい、ということだ。

まだ、肛門を開いてオナラを「スカす」という
テクニックを知らなかったころのピュアな自分。
そのころの自分は、
黄色いまきまきうんこが出てくると、
無条件に大はしゃぎして笑い転げていた。

伏線やフリなど関係ない。
瞬間の、瞬発的なエネルギー。
ややこしい理由づけやこむずかしい理論などはいらない。

「星くん。花は、黙って咲いているから美しいのだよ」

花形満がそう言っていた。

たしかに。
花は、美しくあろうなどとは考えていない。
美しいと言われたいがために咲いているわけでもない。
誰かにほめられ、愛でられるために咲くのではなく、
ただ咲くために咲いている。

オチはいつも、うんこかオナラ。

これくらいバカバカしければ、
世の中も、もっとふんわりとするのに。
戦争だってなくなるだろう。

いや。

もし、世の中が「うんこ」や「オナラ」、
ちんちん」などに
やたらと反応する人たちばかりになってしまったら。
それはそれで大変なことになりそうだ。

学校では教科書を開く先生がいなくなり、
歴史の授業では、偉人の残したうんこや
時代を変えたオナラの史実などがテストに出るかもしれない。

政治どころの騒ぎではなく、
国会議事堂の形もまきまき型に変わってしまうかもしれない。

新幹線のデザインも、速さを追求するのをやめて、
うんこやちんちんの形になってしまう・・・とか。

たしかに平和そうな世の中だけれど。
そうなればなったで、また別の問題が出てきそうだ。


オチはいつでも、うんこかオナラ。


あくまでこれは気持ちのうえで。
結局この話、どこからどこまでが本筋で、どこから脱線したのか。
最初から線路の上など、走っていないか・・・。


< 今日のひとこと >

日めくり人生
花びらが散るかのごとく
今日を今日で終わらせる

(一カ月間、または一年ずっと貼られっぱなしのカレンダーよりも。日めくりカレンダーのように、その日その日をまっすぐ見つめていきたい、と。・・・もし自分がトラックの運転手になったら。そんなときのために考えた言葉)