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2008/04/12

あっくん




「 Bill 」(2002)




うららかな午後。
バスに揺られていると、
一人の青年が乗ってきた。

あいにく満席で、
彼一人が立っている状態だった。

彼の身長は、
185センチくらいはあるように見える。
きょろきょろと辺りをうかがい、
ごそごそとポケットをまさぐったりで、
どことなく落ち着きがない。

鋭い眼光をあたりにふりまきつつも、
誰とも視線を交わさない。

他の乗客も、
少しばかり彼の様子を
気にかけているようだった。

次の停留所で、
満席のバスが停まった。

ああ、なんといたずらな確率か。

僕のとなりに座っていた年配女性が席を立ち、
ゆっくりとバスを降りた。

席が空くや否や、
一人立っていたその青年が、
前のめりの勢いで近づいてきた。

そのままどっかりと腰を下ろすと、
おもむろにカバンのポケットをまさぐり、
鈍い光を放つものを取り出した。

それは、ゲームボーイ・アドバンスだった。

ずいぶん使い込まれたアドバンスには、
丸やハートの形をした紙シールが貼られている。
淡い赤や黄色のシールは、
こすれて角が白く削れていた。

シールには黒いペンで
「あっくん」と書かれている。

たくさんの「あっくんシール」。
そこで彼が、おそらく
「あっくん」であろうことが分かった。

たくさん貼られた「あっくんシール」を見て。
彼、あっくんは多分、
自分が「あっくん」と呼ばれていることを
とても気に入っている風に感じた。

あっくんは、
アドバンスのスイッチを入れて、
何度もボタンを連打しながら
本体に耳を寄せている。

そうすることで
早く起動するとでもいうように、
カシャカシャとボタンを押し続ける。

ゲームが始まったようだ。
画面に向かっていたあっくんが、
おもむろに小さなガッツポーズを作った。

しばらくするとまた、
同じように左手で
小さなガッツポーズを刻む。

僕は、
あっくんの3度目のガッツポーズで、
とうとう我慢ができなくなった。

悪いとは思いながらも、
ついついのぞき込んだ。
あっくんは何のゲームをしてるのだろうかと。

「ペンギンくんうおーず」

うる覚えの記憶が、
ふわりとよみがえる。

ペンギンくんが
テーブルのような台を挟んで
敵と対戦する、というゲーム。

ちらりのぞいた画面と、
古い古い記憶が混ざりあい、
そんな答えをはじき出した。

今や、もっと小型で
高性能なゲーム機が出ているのだけれど。
あっくんは、
その小さなモノクロ画面に向かって、
真剣に一喜一憂している。


文章で書くと長く感じるけれど。

あっくんが席に着いてからここまで、
5分未満というところ。


ふと見ると、
あっくんの手は止まり、
がっくりとうなだれている。

つい今の今まで
ゲームに没頭していたはずなのに。

何の前触れもなく、
あっくんはがっくりとうなだれて
眠ってしまった。

きらきら光る、
くもの糸のようなよだれを
静かにたらして。

胸元に3粒、
しずくを落としたところで、
あっくんは目を覚ました。

不安げに周囲の景色を見渡し、
安心すると、またアドバンスを取り出し、
カチャカチャとボタンを押し始める。

ゲーム機を耳に当てて、カチャカチャと。

もう、何度となく
繰り返しているのだろう。
無駄のないその動きは、
見えない線をたどっているようだ。

アドバンス本体だけでなく、
カセットの方にまで貼られた「あっくんシール」。

角の削れたシールを見ていたら、
何とも言えない、甘酸っぱい気持ちになった。

あっくんは、
大切なものをずっと大切にしてるんだ、と思った。

あっくんの横顔は、
オレンジ色の陽光を浴び、
ほおの産毛を金色に輝かせていた。


自分も、大切なものを
ずっと大切にしていきたい。

それは、
簡単なことのようで、
とてもむずかしいことだから。