『頭をかかえるブロッコリー』(2010年) |
*
父の死後、
いろいろな手続きで、
奔走していたころ。
ある土曜日。
実家で寝ていたぼくは、
いきなり寝起きを襲われた。
目を覚ましたぼくの耳に、
玄関の扉を、コンコンと
しつこくノックする音が聞こえた。
起き上がったぼくは、
甥っ子が遊びに来たのかと思って、
ぼさぼさ頭のまま玄関へ向かった。
扉を開けると、
見知らぬ若者が立っていた。
(誰?)
今どき風の作業着で、
整髪料で固めた髪の毛は、
7:3できれいに整えられている。
見た目は、
一見して好青年である。
じっと固まるぼくに、
彼はさわやかな声で答えた。
「今、お昼休みでちょっと
この近くを歩いてたんですけど。
屋根、めくれてますよ。
大屋根を押さえる鉄板が、
外れて風でゆれてますよ」
驚くぼくに、彼は笑顔で続ける。
「もし何かあって、外れて飛んだら、
ほかの家にも迷惑がかかって、
危ないなって思って。
たまたま遠くから見て
気づいたんですけど。
今どんな状況になってるか、
説明しましょうか」
と言って、ぼくを引き連れ、
家の屋根が見えるあたりまで歩き出した。
屋根を指差し、
懸命に説明を続ける男性に。
寝起きでいい加減な格好のぼくは、
生返事をくり返していた。
というのも。
目の悪いぼくは、
裸眼で景色を見ていても、
よくわからないのだ。
それでも、熱心に説明する男性に、
「はぁ、なるほど・・・」
と、半ば話を合わせていた。
「いまって、何時ですか?」
問いかけるぼくに、
一瞬、戸惑いながらも、男性が答えた。
「11時30分です」
「まだ午前中なんですか」
「・・・あの、屋根の上、
見てみましょうか」
「あ、ああ。はぁ、そうですね」
「それじゃあ、
あとで職人を連れて、見てみます」
という運びで。
1時間ほどして、
軽のワンボックスカーが現れた。
車の屋根の上には、
大きな梯子(はしご)と
中くらいの梯子が積まれていた。
あくまで話すのは先ほどの男性で、
もう一人の「職人さん」は、
顔すら見せず、言葉も交わさなかった。
男性は、自分の服装——装備について、
ちょっと自慢でもする感じで説明した。
「この靴、屋根の傾斜に合わせて、
靴底が斜めになってるんですよ」
「夏の屋根の上は、熱くて、
やけどするんで。
夏場でも半袖は着られないんです」
男性の口からは、
「僕ら職人は」
「僕たちは職人なので」
という語句(フレーズ)が、頻繁に聞かれた。
仕事に誇りを持ってるんだな、と。
そう思わせる雰囲気があった。
屋根にのぼる前、男性が、
思い出したように言った。
「あ、別にこれは、
口約束で構わないんですけど。
もし、屋根を直そうって思ったとき、
ほかの業者さんに頼むっていうことだけは、
なしにしてもらってもいいですか。
僕たちもボランティアで
やってるわけではないので、
それらへんだけは、
お約束していただけますか」
あくまで笑顔を崩さずに、
さわやかな感じでそう言った。
屋根から下りた男性は、
スマートフォンを片手に、
「ちょっと中で、
お見せしてもいいですか?」
と断りを入れて、
玄関先へ上がってきた。
たたきにかがみこみ、
携帯(スマホ)で撮影した
画像・動画をぼくに見せる。
ぼろぼろの屋根は、
言うとおり「危険な感じ」に見えた。
実際、久々に帰ってきた実家の屋根は、
ずいぶん傷んでいるように感じた。
「どうしましょう。
大屋根の金属の横木を換えるだけでもいいんですが。
屋根自体がもう、そろそろっていう状態ですね。
この瓦の状況、わかりますか。
表面の塗装が剥がれてて、ザラザラで、
どんどん水を吸い込むような状態になってるんです。
瓦を葺き替えないっていう選択で、
この上にまた塗料を塗ったとしても、
それはあんまり意味がないんです。
その、防水塗装っていう選択で、
持って5年っていうところですね。
高圧洗浄で汚れを落として、
塗装を施して。なんとも言えませんが、
まぁ、5年か、よくて8年は
持ってくれますかねぇ」
大切な家を守るために。
快適に住み続けるために。
どうしたらいいかという選択肢を、
いくつか、いく通りか、提示してくれた。
「たまたま」とか
「ちょうど」を連呼する男性に、
「親切な人だな」「いい人だな」
「運がよかったな」という
印象を抱かせられる。
現状を理解したぼくは、
費用について、聞いてみた。
「大屋根の横木の全取り換えが12万円だとして。
もし、その流れで同じ期日にやるとしたら、
足場代が、1回分で済みますから。
屋根の上での作業って、危険ですから。
足場代が、どうしてもかかっちゃうんですよ。
僕たち職人の命を守るためにも、
足場は絶対、必要なんです。
・・・そうですね。
逆にいくらくらいまでなら考えられます?
それに合わせて何ができるか、
こちらでご提案させていただきますよ」
少し考えたすえに、
ぼくは「50万円」と答えた。
「わかりました。
そのあたりでなんとか考えてみましょう」
また少し話が続くうち、ぼくは、
「やっぱり40万円くらいで
なんとかならないか」
と、尋ねてみた。
男性は、
会社に聞いてみると言い残し、
いったん車に姿を消した。
3分ほどして戻った男性が、
笑顔を見せる。
「何とかなりました」
さらに声をひそめて、
こう言った。
「絶対に内緒ですけど。
今ちょうど、この近くの現場で作業してるので。
そこから何人か、職人を手配したりして、
なんとか調整すれば、
その価格でいけそうです。
工事で一番大きいのは、人件費なんですよ。
作業が早く終わっても、
拘束は1日になっちゃいますから。
そういう空いた時間を利用して、
うまく調整してみます。
ようするに、別の現場のお客さんに、
人件費を持ってもらうっていうことなんです。
絶対にこれ、内緒ですよ」
心配をかけるばっかりで、
親孝行のひとつもできていない、
不甲斐ない自分。
父がいなくなった今、
この家を守るのは、自分なのだ。
ここは一肌、脱いでやろうか・・・。
いろいろなことがあったせいで、
そのときぼくは、疑うというより、
「やるかやらないか」
「どこまでやるか」
という選択肢しか見えなくなっていた。
いつの間にか、
あっという間に仕上がった契約書。
コンビニで印刷したのか、
工事内容の記された契約書が、
ぺらりと目の前に差し出された。
それは、
税込55万から40万円へと、
手書きで修正されたものだった。
ここ数週間、連日、
区役所や法務局など、
お役所通いが続いていたせいで。
指を差された箇所に情報を記入したり、
印鑑を押すことへの抵抗感がなくなっていた。
・・・ということも、並記しておこう。
流れる水のごとく、
何の躊躇も戸惑いもなく。
操り人形にのように、契約終了。
「ありがとうございます!」
男性が、満面の笑みで、
がっちり握手をしてきた。
男性が去って、程なくして。
「40万か。
けっこう大きな買い物だな」
などと思ううち。
「家の、屋根・・・。
なんで自分が、
こんなこと、してるんだろう」
と、思い。
「なんかこれ、おかしいかも」
自然にぼくは、
男性の名刺を手にして、電話を鳴らした。
『はい』
「あ、ごめんなさい。
やっぱり、横木だけの工事に
してもらっても、いいですか?」
ということで。
夕方18時ごろ、
また男性が戻ってきた。
新しい契約書を手にした男性に、
ぼくは目の前で古い契約書を破ってもらった。
そしてこう切り出した。
「実は、家族の者に怒られてしまって。
リフォーム関係の知り合いがいるのに、
勝手に何やってるんだってことで」
男性の顔が、にわかに曇った。
「ご家族の方に
相談しなくていいですかって聞いたとき、
いいっておっしゃったじゃないですか。
あのとき、大丈夫かなって思ったんですよ」
「すみませんでした、本当に。
何回も顔出していただいて、
こんな形になってしまって」
ぼくは何度か頭を下げた。
「・・・あの、お渡しした名刺って、
返していただけますか?」
男性が、ぼくの顔を見上げた。
「何かあったら、また、
連絡するかもしれないので」
「・・・そうですか。
じゃあ、失礼します」
背を向けた男性は、
固くて開きにくいドアにうろたえながら、
少しあわてて、
ちょっと逃げるみたいな感じで出て行った。
男性が来るのを待っているあいだ、
ぼくは姉に電話していた。
「それ絶対だめなやつじゃん!」
開口一番、姉は言った。
冷静になったぼくは、二人で笑った。
そして調べた。
名刺に書かれた社名や、
住所や電話番号などを、
ネットで検索してみた。
企業の名前は、
大手建設会社と同じだったが。
事業内容や、住所など、
かみ合わない点がいくつもあった。
ネット上、同名の会社には、
立派な企業ロゴがあるのに。
男性にもらった簡素な名刺には、
企業のロゴが描かれていない。
住所を起点に、調べ直す。
つい数週間前に立ち上げたばかりの、
会社と事務所。
登記登録もされておらず、
拠点はレンタルオフィスだった。
「この地域で長年お世話になっているので、
恩返しがしたい」
男性はたしかに、そう言っていた。
あの日のぼくは、どうかしていた。
いつもなら、即日で返答などしない。
契約書などは、特にそうだ。
その場で印鑑は絶対に押さない。
心が決まっていても、
一人で決めず、必ず誰かと相談する。
そんな「きまりごと」を
するりと「忘れて」いるとき。
「そいつ」はやってくる。
今どきの「そいつ」らは、
顔に傷があるでもないし、
サングラスをかけたり刺青を入れたり、
派手ないでたちで、
どすの利いた声で迫ったりはしない。
さわやかな見た目と声と、
きれいな言葉づかいでで、
やさしく論理的に人を騙す。
むしろ好青年、
好男子に見える彼らが、
高齢者(とかいい人)をあざむく。
このご時世、
本当に親切なものは、
向こうから歩いてはこない。
ぼくは思った。
彼らは、
もし自分のお母さんやおばあさんなどを
騙す人がいたら、どう思うのかと。
目の前にいる相手にも、
家族があり、子や孫や、
愛すべき人がいる。
そんなこと思い、
心は痛んだりしないのかと。
自分だって、
生まれもっての善人ではない。
悪いことを
ひとつもしてこなかったわけではない。
でも今は思う。
人を騙すのは、悲しいことだと。
こんな感じの顔で、
こんな感じの言葉を話す人が、
こうやって人を騙すのかと。
肌で感じて悲しく思った。
ふと、小学校のころにいた
「うそつき」の同級生の顔を思い出した。
彼は、
大きくなっても嘘つきだった。
嘘をつくという、才能。
だったらもっと
いい嘘をつけばいいのに。
人をしあわせにするような、
嘘をつけばいいのに。
この話を人にしたとき。
ものすごく有名で、
いま巷で話題になっている手口だと。
声をあげて笑ってくれた。
「本当にそんな感じなんだ」
そう。
本当にそんな感じなんだよと。
一緒になって、あははと笑った。
* *
<その2>
めずらしく、
電話の折り返し待ちをしていて。
呼び出し音に手を伸ばすと、
見慣れない番号からの着信だった。
とりあえず出てみた。
電話口から流れてきたのは、
自動音声によるアナウンスだった。
女性の声は、こう言った。
『こちらは総務省です。
お使いのお電話は、
2時間後に全ての通信サービスを
終了いたします。
オペレーターによる案内を
希望される方は「1」を・・・』
と聞いて。
やにわに「1」を押してみた。
1回の呼び出し音で、すぐに出たのは、
やや若そうな男性だった。
発音が少し、なまっている。
おそらく日本人ではない、
アジア系の男性だった。
内容はこうだった。
こちら総務省。
電波法違反のため、全ての通信サービスを
2時間以内に中止する。
ぼく(の名宇)名義で契約している携帯電話
「080−34・・・・・」から、
膨大な量の迷惑メールが発信されている。
この携帯電話は、
東京都新宿区、靖国通りのコンビニで、
去年12月14日に契約されている。
覚えはあるかと尋ねられ、対応しつつ、
その後の質問をいくつか、
黙ってやり過ごしていると、
「もしもし? もしもーし!」
と、いきなり電話を切られた。
男性の背後では、
やはりアジア系なまりの、
別の男性の声が聞こえていた。
へえぇっ。
今はこんな感じなんだなと。
よくわからず、
男性の質問に全部「はい」と答えたぼくは、
こんな電話に母が出なくてよかったと、
つくづく思った。
この話をまた(先と同じ)人に話した。
存外、薄い反応に首をかしげていると、
やわらかな口調で返ってきた。
これままた、有名なやつだと。
テレビも観ない、ネットも見ない、
ラジオもほとんど聴かないぼくは、
まるで世間知らずのお人よしらしい。
またしても土曜日、
の、珍事件。
一緒になって笑ってもらえて、
ぼくはすごく楽しかった。
* * *
信じられるものがあるから。
ぼくはいくらでも騙されるし、
騙されても騙しはしないし、
騙されつづけたりはしない。
信じること。
人を信じられなくなることは、
ひどくさみしい。
疑わない人を騙すことは、
とても悲しい。
それに気づかないでいる人たち。
お金や成果や数字や件数。
からっぽの心を満たすものは、
何もない。
相手の顔が、心が、
見えていないのだから。
痛みがない分、
自分が失っていくものにも、
気づきはしない。
ぼくは、
あちら側よりも、
こちら側から見える景色を、
いとおしく思う。
どうせ人を騙すのなら、
笑顔を咲かせる嘘をつきたい。
実はぼく、本当は犬なんです。
とか。
世界で一番最初に、
「なるへそ」
って言ったのは、
ぼくのひいおじいちゃんなんです。
とか。
例えばこんな感じに。
・・・え?
笑顔になってない?
嘘でしょ、そんなの。
そんな嘘、
ぼくは絶対、信じない。
< 今日の言葉 >
「あんたち2人を産んで・・・。
あれっ、あんたたち、
2人だよね?
2人きょうだいだったよね?」
(食事どき、母に聞かれて、思わず笑ってしまった質問)