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2018/03/22

或る商店街の午後











富士の見える街。


例のごとく、いつものごとく、

何ら予備知識もないまま、

気ままに街をぶらついた。


頼りにするのは、

おもしろいものをキャッチする「おもしろアンテナ」と、

たのしいものを嗅ぎ分ける「わくわく嗅覚」。



右も左も分からない状態で、

何知らない初めての街をぶらつくのは、

冒険しているみたいでおもしろい。


裏路地を歩いたり、

お店をのぞき込んだりするのは、

探検しているみたいでおもしろい。



はじまりは「駅」。


駅からの通りには、

商店街がつづいていることが多い。










富士の見えるこの街でも、

駅近辺から歩いてみることにした。



























駅前の横丁、

気になる通りを歩いてみる。


さっそく気になるお店を発見。

お店の人が、

ちょうど暖簾(のれん)を出していた。


残念なことに、

まだおなかは減っていないので、

そのまま足を進めることにした。



















駅からつづく目抜き通り。

駅で見た看板のお店と対面。


喫茶店、ケーキ屋さん、

パン屋さんのいいにおい。

色とりどりに品物が並ぶ、

文房具屋さん、靴屋さん、

おもちゃ屋さん。


金物屋さんの店内では、

お店の人が刃物をけんめいに研いでいた。






















婦人服店、紳士服店。

本屋さん、手芸品屋さん。

印章のお店やおまんじゅう屋さん。


骨董屋さんでは、

ぼくの九八式外套(がいとう)を見て、

お店の人が、

「いいコート着てるわね」

とほめてくれた。



脇道に逸れたり、本道に戻ったり。

あっちへこっちへ、思うままに。


とはいえ、

見残しのないよう、

壁づたいに歩く立体迷路のような足取りで、

あっちへ行ってこっちに戻ったり。


なるべく「二重書き」にならないよう、

ひと筆書きの足取りで

きっちり「ぜんぶ」見て歩く。


おもしろい「におい」が途切れるあたりまでは、

端っこまでひとまず歩いていく。
















































駅から神社までの「参道」。


ちょんまげ時代のむかしの人も、

わらじやかんざしを買ったり、

お茶を飲んだり、

おまんじゅうを食べたりしたのかしら。




遠いむかしに思いを馳せつつ。


神社に着くと、

何やら気になるおまんじゅうと遭遇した。















「エルビス餅」


見たとき勝手にそう命名した銘菓。


あんこのリーゼントを冠したその餅は、

見た目からして、そう呼ばずにはいられない形状だった。



神社の銘菓「エルビス餅」。


いや、そもそもリーゼントなわけがない。











正しくは『福太郎』という名のおまんじゅうで、

リーゼントでも、もみあげでも、プレスリーでもなく、

烏帽子(えぼし)姿の「福太郎」という人物をかたどった、

縁起物の草餅だ。


福の種まく『福太郎』。


お茶といっしょにいただいた『福太郎』は、

よもぎの香りがゆたかに広がる、

やわらかくておいしいお餅だった。

餡(あん)もきめ細やかで、

たいへんおいしい「名菓」だ。




お参りをしたあと、神社を出て、

来た道とはちがうほうへと歩いていった。



























富士山の見える交差点に立ち、

「ここは、世界一富士山がきれいに見える交差点だ」

などと勝手に思ってみたり。


「この建物は、世界一薄型のラーメン屋さんだ」

などと勝手にうなずいてみたり。


カラフルなトタンの壁面に足を止めて

「これは、世界一パッチワークを意識した建物だ」

などと勝手に納得してみたり。





気づけば商店街からはずれて、

車どおりの多い道沿いを歩いていた。



ということで、

何となく気になる道で、

脇へと折れてみる。





建物の雰囲気をはじめ、

人の流れや種類、

車の流れやバス停の有無。


中心(繁華街)に近づいているのか、

離れていっているのか。


学校の近くには、

粉物(こなもの)のお店や

駄菓子屋などの商店があったり。


市庁舎、税務署、消防署の近くには、

喫茶や定食屋さんがあったり。


駅前の飲食店街、駅裏の歓楽街。


知らない街でも、

共通点はたくさんある。




そんなふうにして、

裏路地から鼻を利かせて、

たのしそうな駅前商店街に出る。

























いまいる街が「外国」に感じたり、

過去の世界へ旅立ったように感じたり。


お店とお店の間の空き地に

宇宙船みたいに見える乗り物が置かれていたせいで、

いまいるここが未来とか宇宙とか

スペース・アドベンチャー的異世界に見えてきたり。


そう思って見ると、

シャッターの閉じたアーケードが、

宇宙船内部の通路に見えなくもない。

(て、乗ったことはないけどね、宇宙船には)



まっすぐじゃなくて、

平らじゃなくて。

くねくね曲がって、

ゆるやかに傾斜した、

見通しの利かないアーケード。


温泉地の商店街を思わせる坂道に、

何だか心がわくわくする。



その先に、何があるんだろう?



たいして何もなかったとしても、

そこまで歩いたわくわく感は、

たしかな収穫。




『はいっていいとも!!』


人のにおいと時代を感じる、

手書きのキャッチコピーに心もおどる。












駅前の大通りからまた路地裏へ。


商店街というより、

住宅街の片隅といった風情。


アパートや家々の間にぽつぽつと、

クリーニング店や

ワンコイン(500円)で食べられる食堂などがある。



ベンチと灰皿のある煙草屋さんで一服。

壁には、戦闘機の写真が何枚も貼られていた。














工具屋さんの軒先。

ゆらゆらゆれる「小人たち」の姿に、

ここは迷いの森かと錯覚する。


誰(た)がためでなく、

ただゆれつづけるためだけにゆれる小人たち。


彼らの立つステージは、

ぴっちりとならんだ空のCDケースだった。





迷いの森から抜けると、

またさらに別の商店街へと誘う案内板が

目に飛び込んできた。















シャッターに書かれた文言。

その書体にまた心がはずむ。


手芸店にならんだ「作品」の数々。

こっそりのぞきこんだ店の奥では、

マダムたちがお茶を飲み、

茶菓子をほおばりながら、

うつくしい作品を編み上げているようすだった。


そのさまは、

魔女たちが法衣(ほうえ)を織りなしているようだった。


もちろん、そこに集うマダムたちは、

悪い魔女ではなく、

たのしい魔法を使う、いい魔女たちだ。






















あたたかな色をした青果店。

暖色の果物たちが整然とならぶ。


少し行くと、

おなじような色をした建物が見えた。


こちらは果物専門店。

丸型の連なった踊り場は、

柑橘類の断面を思わせる。

見ようによっては、

軒に連なる暖色の屋根も、

オレンジの果肉に見えなくもない。


そこでお店が途切れたので、また十字路まで引き返す。























中華料理店の向かいに、

洋品店があった。


中央のウインドウには、

3体のマネキンが静かに立っていた。


よく晴れた空と景色を映し込んだガラスごし、

うっすらと浮かぶように見える3人娘。


彼女たちは、

もう何年も、何十年も、

そこから景色を見つづけているのだろう。


ゆったりとして、

変わらぬ風景。


彼女たちの見つめる先の、

中華料理店も、美容室も、

もう何年、何十年とそこに在りつづけているのだろう。


これからも、そうありつづけてほしい。



時刻は午後2時すぎ。


そんなこんなで、

なかなかおなかが空いていた。



目の前の中華料理店も、

たしかに気になるお店ではあったが。

それよりも、先へとつづく、

商店街のことが気になった。


もう少し、歩いてみよう。




そしてそれは、いきなりやってきた。


















あれ?

見たことあるお店だな。

あれっ、ここ、さっき通った道だぞ。


あ、最初の駅前の通りだ、ここ!




見知らぬ景色に見とれていたら、

気づかぬうちに、思わぬ形で、

もと来た場所につながった。



ぐるりと回って、

くねくね歩き回っていたら、

知らぬまに方向感覚を失って、

いきなり偶発的にむかえた「帰着」。



本当に、

迷いの森の小人たちに

かどわかされたような。


やさしい魔女たちのいたずらな魔法で、

メビウスの輪の端をつかまされたような。


何とも形容しがたい、

不思議な感覚だった。



おもしろいことやたのしいこと以外に、

まるであてにならない、アンテナと嗅覚。



東西南北は、太陽と月が教えてくれます。



失敗や変化も、

前向きな「こたえ」として飲み込みます。



そして、肯定的な思い込み。




ばかなあたしは、

すぐにそう思うのです。



そう、これは「運命」なのだと。





ちょうどおなかも空いている。



こうして帰着した「こたえ」は、

目と鼻の先にある。



数時間前、気になった食堂。



時間は午後2時半をすぎたところ。

運よく開いていれば、そこにしよう。






暖簾(のれん)はまだ、外に出ていた。


風にはためく暖簾を

迷うことなくくぐり抜け、

扉を開けて店内へと入る。




・・・・・・・・・・・・・・・・・



さて、ここからが第二幕。


おしっこに行きたい方は、

いまのうちにどうぞ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・











駅前の横丁にある『広小路食堂』。




昼下がりの店内は、

お客さんであふれていた。


実質的な数としては、

数人だったのかもしれないが。

勢いなのかにぎわいなのか、

実際よりも多く人がいるように感じた。


みな、常連のお客さんのようだ。










昼下がりのいい時間から、

麦酒などをやりながらくつろいでいたらしく、

みなさんごきげんなごようすだ


その人たちも、

ぼくが入るのと入れ替わるようにして、

会計を済ませて数珠つなぎにお店をあとにした。




























おなかが減っていたので、

入る前から注文を決めていた。


かつ丼。


軒先のサンプルを見て、

この店に入るんならそうしようと、

ずいぶん前から決めていた。



注文をしようと辺りをうかがう。

お店の中では、

いろんな人があちこち動き回っていた。


正直、どこまでが店員さんで、

どこからがお客さんなのか見分けがつかず、

宙ぶらりんの状態でいると、

となりのテーブルを片づけに来た女性が

注文を聞いてくれた。


手馴れた感じで、

厨房口から奥へと注文を通す。


給仕担当かとも思われたその女性は、

やはりお客さんで、

エプロンをつけた女性が、


「うちはこんな感じで、

 みんなが手伝ってくれるのよ。

 本当にありがたい。助かるわぁ」


と、にこやかに言った。


エプロンをつけたその女性こそがお店の人で、

あとはみな、お客さんだった。


食器や空き瓶を片づける常連の女性に、

背後の席に座った女性までもが、


「本当にスミちゃんは、まめだからねぇ」


と、つぶやいた。


単純なぼくは、

ふきんでけんめいにテーブルを拭く

「スミちゃん」の実直な眼差しに打たれ、

不意に目の奥がじわっとなった。


テーブルを拭くスミちゃんの目は、

まったく曇りのない、

まっすぐな色をしていた。





かつ丼ができあがるのを待ちながら、

お茶をすすって、

静かにお店の人たちの会話に耳をかたむける。


テンポよく、軽妙に交わされる会話が心地よく、

浪曲を聴いているようでいい気分だった。


常連さんが残していった乾き物(柿ピー)を、

お店に残った常連さんへすすめる女性。

いっぱい食べたからもういいよ、

と言って、断る男性。


テレビの真ん前の席は、

テレビのチャンネルを自由に変えられる権限があるらしい。

寡黙なその男性は、

テレビに向き合って新聞を広げていた。


その男性も、ひとこと、ふたこと、

ときどき会話に加わった。




しばらくして、

おぼんに乗せられたかつ丼が運ばれてきた。



白みそのおみそ汁と、

ほうれん草の和え物と、

4種類のお漬け物もついてきた。

かつ丼には「なると」も乗っていた。










「わー、おいしそう。いただきます」


まず、おみそ汁をひと口。

あまい白みそが体にしみる。

ほうれん草の和え物も、

想像以上に甘くて、すごくおいしかった。



「ほうれん草、あまい」


思ったままを口にすると、

お店の女性が、


「おいしいでしょ。旬の物だからね」


と、表情をゆるめた。


お店の人いわく、

以前は和え物にピーナッツをからめていたそうだが、

「そういうお客さんが多いから」ということで、

ピーナッツをからめるのはやめにしたそうだ。


はっきりとそうは言わなかったが。

かたく、ごろごろとして、

歯に挟まったり詰ったりしやすいピーナッツは、

年配のお客さんには不評のようだ。


「おいしいから入れたいんだけどねぇ」


少し残念そうに、

お店の人がほほえんだ。


かつ丼は、

卵がちょうどいい具合にふるふるで、

カツが甘くてじゅわっとしていて、

おいしくてほっとする味わいだった。


「おいしいなぁ」



おそらく自家製であろうお漬け物も、

たくあん、にんじん、はくさい、だいこん、

どれもみんなちがう味で、

みんなおいしかった。



「どこから来られたの?」


かつ丼をほおばるぼくに、

背後の席の女性が声をかけた。


そこから会話に花が咲き、

親戚が岐阜にいるという話や、

名古屋の大須に行ったことがあるとか、

このお店の話とか、

いろいろな話を聞かせてくれた。



ほどなくして、

先ほど帰ったはずのお客さんがひとり、

戻ってきた。


「キヨシさん、また来たの?」


背後の女性が笑って言う。


「今日、これで5回目よ」


と、ぼくらにだけ聞こえる声で、

ぼそりとつけたす。


席にも着かず、

お店のどセンターに立ったキヨシさんは、

スミちゃんと男性のお客さんに向かって

大きな声で話しはじめた。


自分の血管年齢が47歳だということ。

その秘訣は、お風呂に入って

手をグーパーグーパーと開閉運動しているからだと。


スミちゃんがもっと詳しく知りたそうにすると、


「こんどお風呂で教えてやろうか」


と、調子のいいことを言うキヨシさん。


「さっきは20代以下の人しか

 いっしょに入らないって言ってたのに」


と、口をはさんだぼくに、

キヨシさんはさらに勢いをまして、

あれこれと話しはじめた。


御年80歳。

作曲家としての顔を持ち、

かつて美空ひばりさんの曲を作ったことがあるとのこと。


美声を披露してくれたのち、

曲名、その他の情報を、

キヨシさん自ら書きしたためてくれた。















柔道は黒帯で5段。

少し前に、一方通行を逆走してきた

トラックの運転手を注意して口論になり、

上半身裸のその運転手を投げ飛ばしたそうだ。



「相手が男だったらさぁ、

 こうやって男がほっぺをくっつけてきたら、

 後ろにさがろうとするら?

 そしたらこう、足をかけるじゃん。

 そしたら倒れるら



キヨシさんが、

実演しながら「技」を伝授してくれた。


若干お酒くさい、貴重な授業だった。



背後の女性いわく、

キヨシさんは道向かいのお店の人で、

近いせいもあり、

毎日、何回も顔を出しにくるそうだ。


お店の人は、

キヨシさんが重ねて足を運ぶたびに、

もうお茶にしなさいよ、とか、

やさしくうながしているそうだ。



店内に飾られた1枚の写真。

それは、

広小路食堂にテレビ取材が来たときに撮った、

集合写真だった。


そこに映った男性が、

聞くまで目の前のキヨシさんとは一致しなかった。

びしっとネクタイを締め、

最前列に座ったキヨシさんは、

その女性が言う通り

「ここお店の主人みたいな顔で」収まっていた。



柔道5段、本日5度目のご来店のキヨシさん。

そんなキヨシさんの手の爪には、

きらきら光るマニュキュアが塗られていた。

最近、ネイルサロンにも毎日通っているそうだ。








饒舌(じょうぜつ)に話しつづけるキヨシさんの袖から、

お店の人が、申し訳なさそうに口をはさむ。


「お酒が入って調子よくなっちゃってるから。

 ごめんね、こんな話に付き合わせちゃって」


「うそは言ってないから。ぜんぶ本当の話」


と、キヨシさん。


「嫌になったらいつでも言ってね」


お店の人が、苦々しく笑う。

けれども、嫌な雰囲気はちっとも感じない。


お店の人にも、ほかの常連さんにも、

憎めない感じで愛されている。

そんな感じがした。



「けど、そろそろお腹いっぱいかな」



おいしい食事も終えて、

煙草も吸い終わり、

お代わりのお茶もいただいて。

すっかり満足だったので、

そろそろ席を立つことにした。


それをきっかけに、

背後に座っていた女性とスミちゃんも

席を立った。


お店の人とキヨシさんに別れを告げて、

広小路食堂をあとにする。


常連の女性とスミちゃんとは、

駅までいっしょに歩いて行った。


「踏切からきれいに富士山が見えるのよ。

 見下ろす富士山もいいけど、

 こうやって下から見上げる富士山が

 どっしりとしてきれいだって、わたしは思う」


先ほどお店で女性に教えてもらったとおり、

踏切に立って見てみる。


けれど、富士山は雲にかくれて、

どこにあるのかさえ分からなかった。


「ああ、残念」


「お昼には見えてたんですけどね」



踏切を渡って、

にわかにできたふたりの知り合いに別れを告げる。


去りぎわ、女性が白いビニール袋をくれた。

中には、まっ赤で小ぶりなトマトが、

ころころと入っていた。



お礼を言って、そこでさよならした。



少し歩くと、

おしっこがしたくなったので、

お店の人が教えてくれた「デパート」へ引き返した。



小便器に先客がいたため、

個室に入る。


そこには、見なれない注意書が貼られていた。











この貼紙との出会いも、

ひとつしかない小便器が埋まっていた結果の偶然だ。




再び駅方面に戻ると、

ホームに立つ女性の姿が見えた。


もう一度大きく手をふると、

女性も大きく手をふり返してくれた。



知らない街でできた、知り合いの人。


何だか不思議な感じがした。












いただいたトマトは、

あまくて、しっかりしていて、

すごくおいしかった。






不思議な時間が流れる、

広小路食堂。



写真を見て気づいたことだが。


お店の時計が遅れていたのか、

それとも自分の時計が進んでいたのか、

店内の時計が指し示した時刻と、

記憶のなかの時刻とにずれがある。



もしかすると、

本当にちがう時間が流れていたのかもしれない。



迷いの森の、リップ・ヴァン・ウィンクル。



もしかすると、

洋品店の、3人娘の正体が、

広小路食堂の3人娘、なのかもしれない。











そう考えると、

すごくおもしろい。


だから少しだけ、

それを信じたりしてみようと思う。




だって、そのほうがおもしろいから。







< 今日の言葉 >


「そうでオジャール」

(商店街のウィンドウに貼られた切り文字で
 『クリスチャン=オジャール』という文字を
 見てからはやった、個人的な流行語)