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2017/12/19

2017








太陽の光がまぶしい昼下がり。

逆光の中、

駅まで歩いた。


中学生男子の集団が、こちらを見ている。

何やらたのしそうな感じだった。


すれちがうとき彼らは、

声をひそめ、何かしら囁きあったかと思うと、

自分が通りすぎたとき、

はじけるようにして笑った。


こんなことは、よくあることだ。

学生のころからもう何年も、

こうして囁かれ、笑われてきた。


見ず知らずの学生たちに

たのしいひとときを提供してきたこと数多(あまた)。


もう、少しは慣れてきた。

が、ときどきしゅんとなる。


ちぇっ、と、内心舌打ちしつつ、

駅構内へ向かう。


そこには、顔見知りの郵便局員さんがいた。


郵便局内で会うことはごく自然なことだが、

こうして「外」で顔を会わせる偶然は、

なんだか不思議な感じがした。


「おでかけですか?」


「はい、ちょっと待合せがあって」


できたてほやほやのエピソードである、

先に遭遇した中学生との場面を話す。

首に巻いた毛皮(首巻き)を触りながら、


「変ですかね?」


と尋ねてみる。

局員さんは、しごくまじめな顔で、


「そんなことないですけどね」


と、おっしゃった。


別に不安だったわけでもないが、

少し、安心した。


となりの駅で降りる局員さんと別れて、

電車にゆられ、約束の場所に向かった。





エレベータに乗り、地上はるか52階。

音もなく滑り、停止したエレベータから降りると、

眼下に街の景色が広がっている。


さっきまでいたはずの地上。

車も街路樹も、あっというまに小さく見える。

イチョウ並木の燃えるような黄色が、

色のない街にアクセントを与えていた。



店内をぐるり歩き回る。

ふかふかの絨毯が、靴底に気持ちいい。

待ち人の姿が見当たらない。


あれ、今日じゃなかったかな、と不安になる。

約束の日付はまちがえないが、

今日がその日かどうか、

日にち自体があやふやになる。


と、先走ったぼくに遅れて、

約束の人(たち)は現れた。



2人の客人は、

窓際の席を用意してくれていた。


お茶の準備が整う中、

約束の「品」をお渡しする。


約束の品とは、絵のことだ。


描いていただきたい、と、ご依頼いただき、

その方々のために描いた絵。

目の前の客人である、お母さまと、その娘さん。

お母さまから、

娘さんへの贈り物にとご依頼いただいたものだ。


額装され、箱に入った絵をお渡しする。

娘さんがふたを開け、絵と対面した。


娘さんは、大粒の涙を流してよろこんでくれた。



母から娘へ、そしてその子どもへ。



絵は、娘さんの子どもである

女の子の「顔」を描いたもので、

肖像画、というようなものではないが、

「本人」と対面したとき、

そのお顔をじっくり見せてもらい、

その子のことを思って描いた絵だ。


自分でも不思議と「似た」ような気持ちでいたが、

「お母さん」がその子の名を呼び、

涙を流すのを見て、

ようやくそこでほっとした。


もちろん、

いつでも自信は存分にあるのだが、

やはり、お披露目するそのときまで、

息はつけない。


この瞬間。


ふたを開けて、絵と対面したとき、

その人の表情がぱあっと明るくなる、この瞬間。


この瞬間は、何度味わっても

うれしい瞬間だ。



「絵で、たのしませたい」

「絵で、感動させたい」


そう思って描いてきた。


「絵で、泣かせてみたい」


と、去年、思った。



今年、それが叶った。




コスモスの花の絵でも涙してもらえた。



もちろんこれは、

(いい子ぶってるわけでもなく、事実)

すべてお客さんのおかげによるものだが。

今年、それができたことは、

すごくうれしかった。




似顔絵でも肖像画でもない、

女の子の絵。


母から子への贈り物は、

そのまま子から孫への贈り物になっていく。


この絵が、その子といっしょに

育っていくのだと思うと、

なんと感慨深いことだろう。



ここでは、

あえてその絵はお披露目しないが。


とめどなくあふれる涙に鼻をすする娘さんと、

その横で、そっとやさしく微笑みながら

静かに涙をうかべるお母さまの姿に、

本当によかったなぁ、と心からうれしく思った。



春に開設したクリニックの絵。

また別のお母さまが、娘さんに贈ったその子の絵。

ケーキ屋さんの外観の絵。

まっ白な背景に咲く、コスモスの絵。

天国に行った、愛犬の絵。

かつて描いた、海原をゆく舟の絵。

そして、お披露目を待つ、贈り物の絵。



箱を開ける瞬間。


それが、たのしみで。



その瞬間をたのしみに、描いている。

そのあと飾って眺められることをたのしみにして、

何年も飾られて、その絵が生活の一部となって、

その人たちの日常に溶け込んで、彩る、

そのことをたのしみにして。


まだ見ぬそんな光景をたのしみに、

わくわくしながら絵を描くこと。



絵を描く、ってことは、

画面の中だけではなく、

そういう情景を頭に描くことも、

描くことなのかもしれないと、

そんなふうに思った。



2017年、いろいろあった。


この数カ月でも、いろいろあった。



瞬間々々、目の前の時間は、

ゆっくり伸びたり、縮んだり。

あっという間に過ぎ去ったかと思えば、

ふり返ると1日が2日くらいに感じる日々。

午前中のことが、昨日のことに思える。

今年3月のグループ展が2年くらい前に感じるし、

4月のグループ展が去年のことに感じる。


そのくせ、ついさっきのことのようにも思える。




できたこと、できなかったこと。

まだまだ足りないこと、できていないこと。


絵を描くこと自体に、迷いは少ないが。


絵を描く以外の、周辺のこと。


迷ったり、まちがえたり、失敗したり。

やりすぎたり、足りなかったり、見失ったり。


笑われたり、涙を流したり、

怒られたり、笑わせたり。



何が何だか分からないこと。

分からないけど、分かること。

分かったようで、分からないこと。



分かることもたくさんあるけれど、

まだまだ分からないことばっかりだ。



どうして、ということよりも、たしかな事実。


見えないものがたくさんある。



だからこそ。


できるのかどうか、ということより、

やる、ということが肝心だ。



そう自分に言い聞かせて、

とにかく前へと、

進もうと思ったのであります。




< 今日の言葉 >


『ガムシャラに滑ってたら・・・
 こんなとこにたどり着いちまった・・・』


(第72回ちばてつや賞 入選作/
 オオツカトンチン『オール』39ページより)