カテゴリー:目次

2017/07/23

喫茶と軽食 ケルン 〜すばらしき邂逅〜








カイコウ【邂逅】(名・スル自動)思いがけない出会い。めぐりあうこと。





☆ ★




ぼくは、商店街が好きだ。

将来、えらくなったら、

商店街をつくりたいと思っている。



アーケードの下、

わくわくするような景色がつづく、商店街。


そこには、八百屋さん、魚屋さん、

お肉屋さん(もちろん揚げ物コーナーがある)、

果物屋さん(しぼりたてのフルーツジュースも飲める)、

駄菓子屋さん、パン屋さん、ケーキ屋さん、

洋品店、靴屋さん(修理もしてくれる)、

文房具屋さん、本屋さん、レコード屋さん、

おもちゃ屋さん、タバコ屋さん、酒屋さん、

ゲームセンター、洋食屋さん、定食屋さん、

中華料理店、花屋さん、金物屋さん、

アイスクリーム屋さん、チョコレート屋さん、

甘味処、クリーニング屋さん、銭湯などなど、

専門店がそろっている。




「ひとつ忘れちゃいませんか、ってんだ」



浪曲『清水の次郎長』風にうなってみたけれど。


そう。

商店街で、忘れてはならない存在。


それは、喫茶店だ。



疲れた足を休め、のどを潤し、

ひとときの休息。


紫煙をくゆらせながら飲むコーヒーは、

なんとも美味ではございませんか。


クリームソーダやミックスジュース、

パフェやサンドイッチなんかもある。

カレーライスやオムライス、

ハンバーグ定食など、

立派にお食事だってできたりする。



先日、商店街をめぐっていて、

はたと足を止めた一軒のお店。


それがこの『喫茶と軽食 ケルン』だった。





★ ★






















駅前南口から地下通路をくぐって、

再び地上に出る。

東へ足を進めると、

左手に仲見世商店街見えてくる。















文房具店や洋品店、手芸品店をのぞいたり、

店先で知らないおばさんに話しかけられたり。

「よろずや」的なお店に入って、

あれこれ商品を見て回りながら、

お店のオリジナルソングに耳をかたむけたりしつつ。


店から店へ、先へ先へと、

アーケードの歩道を進んでいく。


途中、道路をまたぐ横断歩道を渡ると、

新たなアーチが現れる。


そこには、青いネオンの英文字で

「SHIN  NAKA」と書かれている。








新たにはじまったアーケードを歩いてまもなく、

どうしても足を止めずにはいられない、

なんとも気になる喫茶店が目に入った。



『喫茶と軽食 KÖLN』



KÖLN」


「コリン」ではなく、

「ケルン」と読む。



コリンはイチゴの馬車が走る惑星で、

ケルンは大聖堂があるドイツの都市だ。


読みまちがえると、

たいへん背景がちがってくる。


KÖLN』



ものすごく気になった。

けれども、商店街のその先も見たい。


いったん『KÖLN』に唾をつけて、

ひとまず商店街のはてまで歩いた。































どれくらい歩いただろう。

時計を見ると、2時間ほど経過していた。



きびすを返すように反転。

とはいえ、来た道とは別の筋で、

駅の方面へと帰っていく。


右に左にジグザグ、

縫うようにして歩きつつも、

持ち前の「帰巣本能」で『KÖLN』に到着。









店先に立って、しばし眺める。


まぶしい日差しのせいでよけいにそう感じるのだろうが、

ほの暗い、洞穴のようなアプローチを進んでいくと、

突き当たった壁にガラス扉が見えた。


模様の入ったガラス扉には、

カタカナで『ケルン』と書かれていた。


正確には、書いてあるのではなく、

ガムテープの切り文字が、貼ってあった。














ガラス扉を引き、

店内に入った瞬間、

ぼくは、その目を奪われた。


いや、

目どころか、

心さえも奪われた。



おそらくほんの1、2秒の

刹那(せつな)だったかと思うが。


心も言葉もすべて奪い去られたぼくは、

しばしぼう然と立ちつくし、

その風景を眺めた。


まるで「どこでもドア」か何かで、

空間も時間もとびこえて

異世界にまぎれ込んだかのような感覚だった。











まっさきに目にとびこんできたのは、

和室のようなガラス戸ごしの、

箱庭の風景だった。


室内の照明(蛍光灯)との対比もあるが。

箱庭に注ぐ自然光の光が、

やけに黄色く、不自然なほどあざやかに感じた。



「・・・すごい」


思わず声が漏れた気がする。






























冷静になり、

まず最初に頭に浮かんだ言葉は、


「人んち」


だった。


そして次に浮かんだのは、


「おばあちゃんち」


だった。


たしかに、大阪の祖父母の家の、

事務所を彷彿(ほうふつ)させる雰囲気ではあるが。

自分の、祖母の家(祖父が死んでからは、

大阪の家のことを「おばあちゃんち」と呼んでいた)

というだけでなく、

もっと普遍的で抽象的な意味での「おばあちゃんち」。


どこか古めかしく、

それでいてなんだかなつかしい風景。


そう。


最初にとびこんできた印象は、

まるで「お店」という空間には

似つかわしいものばかりだった。



それは、入口を入ってすぐの天井に

ぶら下がっている照明が、

和室などでよく見る「和風の蛍光灯」だった

せいだけではないはずだ。









おそらく、いろいろなものの集約が、

『ケルン』の店内を「家屋」的な雰囲気に

仕立てあげているのだろう。



それが、ものすごく落ち着く。


物や調度品が多くあるのに、

妙に落ち着く空間だ。



「自分ちのようにくつろいでいいから」

と言われて、なかなかそうはいかないこともあるけれど。


『ケルン』の店内は、

「初対面なのに以前から友だちだったような」親しみを持って、

ぼくを迎えてくれたのであります。



「こんにちは、いらっしゃいませ」


お店のおばちゃんが、やさしく笑う。


それで納得した。


店内の雰囲気は、

『ケルン』のおばちゃん、そのものだ。


事実、おばちゃんが掃除や飾りつけをしているのだから。

店内にも、柔和でやさしい雰囲気が、そのまま出ている。



「どの席にしようかな」

迷うぼくに、笑顔で応えてくれるおばちゃん。


どこにしようか。

本気で迷った。

どの席からの眺めがいちばんいいのか。

うろうろおろおろするぼくをとがめるでもなく、

お店のおばちゃんは、

銀色のお盆でお水とおしぼりを運んできてくれた。


「ここにします」


ぜんぶがぐるりと見渡せる席。

中央の席に決めたぼくは、

よく冷えた水で勢いよく喉を潤した。

60年代物の、

分厚い型ガラスのコップの重みが心地いい。

















メニューを手にして、ぐるぐる思考。


先ほど「アーケード名店街」の、

かたちのいい建物に興奮しながら、

太陽のもとを汗まみれで歩き回ったせいか。


コーヒーではなく、レモネードを注文した。



店のなかをうろちょろして、

写真を撮ったり、眺めたり、

店内に飾られているおみやげ物などを凝視したり。

まるで落ち着きのないぼくは、

ずいぶんうろうろしたあげく、

ようやく少しばかり落ち着きを取り戻した。











カウンターには、

先ほどのおばちゃんのほかに、

もうひとり、別のおばちゃんがいた。


レモンをカットして果汁を搾る。

レモネードをつくっているふたりに近づいて、

そのようすを見ていたつもりが、

いつのまにか会話が始まっていた。
















むかし『ケルン』には看板犬がいた。

名前は「チコ」ちゃん。


カゴをくわえてお客さんの席へ行き、

お勘定をもらうと、

お釣りを運んでお客さんのもとへ戻る。

ごほうびに、

フィンガーチョコをもらうチコちゃん。

(※犬にチョコレートを与えると重篤な中毒症状を起こす場合があります)

それがチコちゃんのお仕事であり、

「サービス」だった。


『ケルン』の看板犬チコちゃんも、

今は天国にいる。


享年17歳。


みんなに愛されたチコちゃんは、

ここ、『ケルン』の店内で、

たくさんのお客さんに囲まれながら、

天国に旅立った。


写真のなかのチコちゃんは、

とてもかわいらしく、おりこうそうな顔をしていた。


カウンターのそばには、

チコちゃんの絵が飾られている。


この絵は、マスターである、

お店のおばちゃんのご主人が描いた絵だ。

なんでも、ティッシュペーパーを筆代わりに

描いたとのことだ。


マスターも、今はいない。

お空のうえで、チコちゃんとなかよく暮らしている。




話しながら、

おばちゃんが眼鏡をずらして、

目頭を押さえるものだから。


なんと単純なのでせう、

聞いているぼくまで泣けてきた。











壁に貼ってある写真(左の額)の犬は、

チコちゃんのあとに飼った犬だ。

猫の写真もある。


けれども、みんな、もういないそうだ。


「つらいからね、もう、飼いたくない」


もう、飼いたくない。

おばちゃんの言葉に、ぼくは共感を覚える。



「いやだわね。いろいろ思い出しちゃう」


そう言って目を潤ませるおばちゃんに、

単純バカなぼくは、

またしても視界がじんわりとにじんだ。


そのままおばちゃんは、

舞台そでへと帰るように、カウンターへ戻っていった。


ちょうど入れ替わる感じで、

もうひとりのおばちゃんがレモネードを持ってやってきた。









上から見ると、

円を四分割したような形状の、

扇形のしゃれたグラスだった。


レモネードを運び終えたおばちゃんは、

左の額に写った、犬と猫の話を聞かせてくれた。


猫のお乳で育った犬。

もちろん、仔犬の母親が猫というわけではなく、

仔犬がなんとなく吸っているうちに、

猫のほうも、不思議と少しお乳が出はじめたそうだ。


お医者さんからいけないと聞いたので、

吸わせないようにしていた。

けれど、

いくらだめだと言っても吸いたがる仔犬に、

おばちゃんたちも猫も、どうすることもできず、

吸わせるままにしていた。

それが原因かどうか、断言はできないが。

仔犬の母代わりだった猫は、最期、乳がんで亡くなった。



なんとも、話がしめっぽくなったので、

別の写真について聞いてみた。








猫の肩に手をやる犬。

これは、お客さんの飼っている猫と犬の写真だ。


しばし見つめていると、

じわじわとこみあげてくる「平和感」に感情がゆるみ、

気づくとぷっと吹き出し、すっかりなごませてくれた。


無邪気な置物たちも、

おなじように頬をゆるませてくれる。



















冷房の風を送る扇風機と

レモネードにすっかり涼み、

わが家のようになごみはじめたころ。


入口扉が開いて、

男性と女性のお客さんが入ってきた。

男性は『ケルン』の常連客(または顔なじみ)らしく、

果物店の包みをおばちゃんに手渡した。


「まあまあ、お気づかいなく」


男性と女性は、

箱庭の前の席に座った。

どうやら仕事関係のおふたりのようだ。




















男性と女性はそれぞれ、

「ビーフカレー」と「豚肉のつけ焼き」を注文した。


と、チコちゃんの飼い主であったおばちゃんが、

カウンターから出てきたかと思うと、


「もう。気、つかわないでったら」


と、いさめるような感じで、

けれどもまったく棘(とげ)のない言い方で、

男性の肩をぽん、と叩いた。


しばらくして、

また別のおじさんがひとり、やってきた。

おじさんは入口付近の席に座ると、

「サービスランチ」を注文した。





















男性と女性の席に、

ビーフカレーと豚肉のつけ焼きが運ばれる。


いいにおい。

おなかは減ってないけど、

ごはんも食べたくなった。


ビーフカレーが、男性の前に置かれる。


と、そのとき。


銀色のスプーンが、

チャリンと音を立てて、床に落ちた。


さっとひろった男性は、

新しいスプーンに替えようとするおばちゃんに、


「いいっていいって。ほら」


と、おしぼりで拭いてみせた。


「まあ、ありがとねっ」


お礼を言うおばちゃんに、

男性は、またもや肩を強く叩かれていた。



ビーフカレーは、

ライスとルーが別々で、

ルーは、フタつきの陶器の容れ物に入っている。

白地に紺色の線の入った、楕円形の容器だ。


「ふつう、カレーのルーって、

 アラジンの魔法のランプみたいな容器に入ってるでしょ。

 ここはめずらしいよね」


男性は、向かいに座った女性に、

そう説明していた。
























レモネードも飲んで、

トイレにも行ったし、煙草も吸ったし。



そろそろ店を出よう。


「ごちそうさまでした」


お店のおばちゃんたちは、

やさしい笑顔で見送ってくれた。


「どうもありがとうございました」




水の入ったコップも、

灰皿も、レモネードのグラスも、

ビーフカレーの食器も、

扇風機もごみ箱も、

ピンク色のダイヤル式公衆電話も、

その前に置かれた電話帳も、

デコラテーブルもソファも、

そのほかの調度品も置物もメニューもみんな、

ずっと変わらない。

ずっと変わっていない。


変わっていないのではなく、

ずっとつづいている。


ずっと使いつづけて、

ずっとつづけているのだ。



波風に流されず、

あたりまえなことをあたりまえに、

たいせつなことをたいせつにして、

ずっとくり返しつづけていくこと。



ぼくは、そういうものを、

うつくしいと思うし、

そういうものこそ本物だと思う。




何十分か前にくぐったガラス扉を開け、

お店の外に出る。


ほの暗い、洞穴のようなアプローチの先には、

明るい商店街の景色が見える。



四角く切り取られたその風景は、

ひどく現実的な風景なのに、

それがすごく不思議な景色に見えた。










ほんの数十分間、

お店のなかにいただけなのに。


はるかむかし、

ずいぶん遠くのどこかから帰ってきたような、

そんな気がした。



アーケードの下に戻ると、

子どもやお母さんや、おじさんおばさん、

おじいさんやおばあさんの姿があった。

















アーケードの入口、その頭上には、

金色の「吹き流し」が風できらきら揺れていた。




来たときとまったく同じはずなのに。


『ケルン』を出てつづく道のりは、

なんだか特別な風景に見えた。















アーケードがつづく商店街で。


「お母さんに?」

「いえ、自分に、です」


こうして家原は、気づくとまた、

婦人服を1着買っていたのでありました。






< 今日の言葉 >


問 (中略)尻餅という餅には、どんな「あん」がはいっていますか?

答 なにをばかなこといっちょる。(中略)
  尻餅にはビックリというクリあんがはいっているのじゃよ。


(『奇問奇答 滑稽大学/学長メチャラクチャラ博士』
             昭和51年10月16日 初版発行)

※商店街の文房具屋さんのおばちゃんにもらった本。