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2016/09/25

学生服を燃やすの旅







ベランダで長い棒を持って、

クモの巣をくるくるとからめとっている姿を見て。

近所の人々が、


「ああ、あの人、ついに魔法使いになったか」


と、思ってやしないか不安になった、

心配性の家原利明です。



さて今回は、

新学期がはじまったということもあり、

学生服にまつわるお話を語りたいと思います。


みなさま、

どうぞ最後までおつき合いくださいませ。









高校を卒業して。

何人かのクラスメイトたちと、

卒業旅行に出かけた。


卒業と同時に

自動車の運転免許を取得した友人らが車を出し、

3台の車に分乗して、

西を目指して旅に出た。


目的のひとつは、


「六甲のおいしい水を飲むこと」。



時は1992年。

当時『六甲のおいしい水』という商品のCMが

テレビで放映されていた。


その「六甲のおいしい水」を、

ペットボトルではなく、

源泉から直接飲むこと。


それが、旅の目的のひとつだった。



もうひとつの目的。


それは「学生服を燃やすこと」だった。



長年、学生生活をともにすごし、

お世話になった学生服を供養するべく、

学生服を燃やす、ということで。


燃える学生服を取り囲みながら、

キャンプファイヤーよろしく

思い出ばなしに花を咲かせようではないか、

という目論見だった。



このふたつの目的というのは、

ぼくが言い出したことだった。



ぽつりとつぶやいた、

無計画で、無軌道な計画。



これに賛同した友人が有志を募り、

最終的には参加者が8人になっていた。


ちにみに当時、

ぼく自身は運転免許を持っていなかったので、

後部座席、または助手席に座って、

おしゃべるするのがぼくの任務だった。




3月のある日。


車は一路、西を目指した。

車中泊をしながら、数日後には兵庫県に着いた。


まだカーナビ(ゲーション)や(インター)ネットのない時代。

関西圏があまり載っていない1冊の地図と、

道路の青い看板をたよりに、

ざっくりと「六甲」を目指してひた走った。




途中、風呂に入りたくて銭湯をさがした。

街なかや山道を走り回り、

「カラカラテルメ・チボリ」という名の

温泉施設を見つけた。


高校を卒業したばかりのぼくらには、

その「カラカラテルメ・チボリ」という名称が、

まるで何かの呪文か合い言葉のようにしか聞こえず、

いったい何を言っているのか、

何のことなのか、

さっぱり分からなかったが。


とにかく門をくぐってみた。



大理石を思わせる白い彫像と、

装飾的で、豪華な建物。


高校を卒業したばかりで、

行き先の知れない「長旅」のぼくらにとっては、

その「カラカラテルメ・チボリ」の入浴料は、

けっして安いものではなかった。


みなで相談した結果、

ここでの入浴はあきらめて、

ほかをあたることにした。



山道を走り、

どんどん人工物が少なくなり、

ますます「お風呂」とは遠ざかって行くような。

そんな細い道を、

ひたすら3台の車で走って行く。


車1台通るのがやっとの、

川沿いの細い道で、

子牛くらいに見えるほど大きなセント・バーナード犬を見た。


頑丈そうには見えない

手製の柵に囲まれたその巨大なセント・バーナード犬は、

ゆるゆると走り抜ける車に近より、

つぶらな黒目をこちらに向けているようだった。


大きな舌をそよがせ、

吠えることなく顔を向けるセント・バーナード犬を、

ぼくは、後部座席の窓ごしに見た。


道幅が狭かったせいもあるのか。

セント・バーナード犬のその顔、その体は、

いままで見たこともないほど巨大に感じた。




翌日、朝。

ぼくたちは神戸に着いた。


港町の風景。海沿いの道。

鼓(つづみ)を長く引き延ばしたような形の、

赤い、ポートタワーが見えた。


神戸に来るのは久しぶりだった。

小、中学生のころ以来、

何年かぶりのことだった。



「朝はコーヒーが飲みたい」


という「大人びた」要望で、

ぼくらは一軒の喫茶店に入り、

かなり早めの朝食をとった。


当時、ピラフにはまっていたぼくは、

そこでもやはりピラフを注文した。


お店の人に、

六甲の場所を聞いたり、

ぼくらがどこから来たのかなどを話したりしつつ。


無邪気な友人のひとりが尋ねた、


「六甲のおいしい水ってさぁ、どこから出てるの?」


という問いかけに、

お店の人が、答える術もなく、

ただただ苦笑いで肩をすくめる一幕もあったが。


すっかりおなかを満たしたぼくらは、

もう、すぐ目の前にせまった「六甲」を目指した。





★ ★




六甲。


どこを見渡してもその二文字は目に入るのだが。


はたしてぼくらの向かうべき「六甲」は、どこなのか。


無計画で無軌道なぼくらの穴だらけの計画に、

そのこたえは載っていなかった。


言い出しっぺであるぼくは、あせった。


「水は、山から湧き出てくるのものだから。

 とにかく、上のほうを目指そう」


けれども、やはり現実的ではない。

言っている自分ですら、絵空事に感じた。


普段の小所帯ならまだしも、

今回の隊は、8名である。

このまま行き当たりばったりで

隊員をふりまわしつづけるわけにはゆかぬ。

ここで、はっきりとした目的地を告げねば、

この旅は、はてしなき放浪へと化してしまう。



「六甲牧場に行ってみよう」



広々とあいまいな「目的地」を目指してきたぼくらは、

ようやく明確な「目的地」を定めて、

車を走らせた。




昼下がりの午後。

山道を登りつづけたぼくらの目の前に、

若草色の風景が広がってきた。


『ようこそ六甲牧場へ』


ぼくらは、軌道修正したばかりの「目的地」、

六甲牧場に到着した。



高校を卒業したばかりの、

育ち盛りのぼくたちは、

またもや空腹にみまわれた。


先にも述べたが。


高校を卒業したばかりで、

長旅をすごしてきたぼくらには、

やる気だけはあったが、

手持ちはどんどん少なくなってきていた。


それでも腹は減っている。


空腹をうったえる隊員たちは、

牧場の牛たちより、よく鳴いた。


おなかの虫まで、

モ〜ゥ、と鳴きそうな状態のなか、

牧場の道のわきに、

一軒の赤い屋根の建物を見つけた。


どうやらそこは、

レストランらしい。


運転手をはじめ、

隊員たちは疲弊(ひへい)しており、

動けそうな者はいなかった。


そこで、自分は車を下り、

つかつかと赤い屋根の建物へと歩みを進めた。


赤い屋根に白い壁のレストラン。

牧場で採れた新鮮な材料を料理し、

提供しているお店らしく、

どう見ても「高級そうな」においがしていた。


瀟洒(しょうしゃ)な外観はもとより、

店内のテーブルには、

真っ白な布のクロスがかけられ、

卓上に置かれた花瓶には、

きれいな生花が挿されている。


メニューは、コース料理が中心で、

単品でも、高校を卒業したばかりで、

長旅を経たぼくたちが、

おいそれと手を出せるような代物ではなかった。


入口扉のガラスごしに、

中のようすをうかがってみる。


背の高いコック帽をかぶり、

真っ白ななシェフコートを着た男性の姿が目に入った。


背後では、

おなかをすかせた仲間たちが待っている。


意を決して店内に入ると、

にこやかに迎えてくれたシェフに向かって

相談してみた。



「あの、ぼくたち卒業旅行で六甲に来たんですけど。

 あまり手持ちがなくて、

 けど、おなかがすごく減っていて。

 なんとか一人千円くらいで食べられるものって、

 ありませんか?」


それを聞いたシェフの男性は、

一瞬、考えるような間のあと、

それでいて表情は曇らせることなく、

むしろ歓迎するかのような感じでうなずいた。


「そうか、卒業旅行か。

 せっかく六甲にまで来てくれたんやしな。

 で、きみたち、何人?」


「え、あ、8人です」


「分かった、何とかするわ。一人千円で、

 いまからおなかいっぱいにさしたげるから」


頼もしく笑顔を見せるシェフに、

ぼくは、感動というか、尊敬というか、

ものすごくありがたい気持ちになり、


「ありがとうございます」


と、深く頭を下げた。



無理を承知で切り出した交渉だったが。

シェフのありがたいはからいで、

ぼくらは食事にありつけることとなった。


しかも、

ぼくらには贅沢すぎるほどの料理を、だ。



隊に戻り、そのことを報告すると、

みな、駆け込むようにして店内になだれ込んだ。


平日の、昼下がり。

さいわいほかのお客さんの姿はなく、

白く、清潔なテーブルがならぶ店内を、

高校を卒業したばかりの

小きたない男子8名が占拠した。



「これ食べて待っといてな」


といった感じで、

サラダと、温かいスープが差し出された。


ぼくは、それをゆっくりと、

かみしめるふうにして味わって食べた。


野菜の味が、みずみずしかった。

コーンスープの甘さが、体にしみた。



ふと顔を上げると、

高校を卒業したばかりの仲間たちは、

事情を知らないから、というより、

育ち盛りのろくでもない空腹感からか、

まるで駅構内の立ち食いそばのような早さで

サラダとスープを平らげていた。


彼らの手にはもう、

スプーンもフォークも握られておらず、

まだかまだかと催促する空気感が

みなぎっていた。


それを察したかのように、

両手いっぱい料理皿を運んでくるシェフは、


「お待たせしました。いっぱい食べてな」


と、やさしいお母さんのような顔で

笑みを浮かべた。


白く、大きな皿の上には、

クレソン、にんじん、じゃがいも、

ブロッコリーなどの野菜類のほかに、

チーズの載った、デミグラス・ハンバーグが

盛りつけられていた。


そして、別のお皿には、

丘のように盛り上がった白いライス。


ハンバーグは、まるっとひとつ、

とはいかなかったものの、

精一杯のおもてなしとして

シェフが特別にふるまってくれたんだな

ということを感じるのに余りある、

充分な盛り合わせだった。


本格的なデミグラス・ソースと、

しっかりとした歯ごたえのハンバーグ。

おいしいお肉の味が、ちゃんとする。

チーズも、モッツァレラ・チーズのような弾力で、

噛むほどに濃いミルクの味がした。


けっこういろいろなチーズは食べていたけれど。

こんなにおいしいチーズ、食べたことない。


高校を卒業したばかりのぼくには衝撃的で、

本当にすごくびっくりした。


いや、いまのぼくが食べても、

おなじくらい感動したにちがいない。




高校を卒業したばかりの仲間のなかには、

小さな声で「これで千円?」とか「少ないな」とか、

「チーズがくさい」だとか。

本当にもう、どうしようもないことを言うやつもいた。


そのくせ、あっという間に食べている。


まぁ、高校を卒業したばかりだから仕方ない。

ぼくだってそうならないともかぎらない。


ぼくは、それをたしなめつつ、

気を取り直して食事をたのしんだ。



「どうかな?」

ようすを見にきたシェフが笑みを浮かべる。


「おいしいです」


「これで足りるかな? もっと出せたらよかったんやけど。

 ごはんなら、まだあるから」


さっそくごはんをおかわりする仲間たち。


記憶は定かではないけれど。

最後にコーヒーまでついてきたような、

そんな行き届いた満足感が、ぼくにはある。



「ごちそうさまでした」


食事を終えて、口々にあいさつする。


ぼくらが千円で得たものは、

満腹感だけでは、けっしてなかった。



「ご無理を聞いていただいて、ありがとうございました。

 本当に、すごくおいしかったです」


高校を卒業したばかりのぼくではありますが。

そのときばかりは本当に、

心から感謝の気持ちをこめて、

シェフのお礼を言ったのであります。


「こちらこそ、ありがとうございました」


シェフは、うれしそうな笑顔を見せて、

最後にちょっとまじめな顔でこう言った。


「卒業旅行、いい思い出にしてな」


「はい、ありがとうございます」


もう一度、頭を下げて、

シェフに見送られながらお店をあとにした。



おいしい料理をふるまってくれた、

名前も知らないシェフの男性。



そう。

シェフの言うとおり、

卒業旅行のいい思い出になった。



ぼくは、あの日のことを、

ずっと忘れない。





★ ★ ★




日がすっかり沈み、夜になった。


それが最後の夜だった。



「六甲のおいしい水」は飲めなかったが。

もうひとつの目的である、

「学生服を燃やすこと」を遂行すべく、

六甲山の山中に車を停めた。



3月。

六甲山の夜は寒かった。



いい感じの丸太を見つけて、

着火しようと試みるも、

太すぎてなかなか燃えていかない。


小枝ばかりに火が回り、燃え尽き、

大きな丸太に火は燃え移らなかった。


「もう、無理なんじゃない?」


「キャンプファイヤー、あきらめよう」


やがて疲れた仲間たちは、

ひとり眠り、またひとり眠りと、

車になかに消えていった。


最後に残ったのは、

ぼくと、もうひとりだけだった。


ぼくらふたりは、

学生服を手元に置いたまま、

燃えるたき火を見つめて話しつづけた。


おもしろかった話を。

高校時代の、なつかしい話を。

今日までの、いろいろな出来事を。

そして、これから来るであろう、

未来の話を。


炎こそあがらなかったが、

太い丸太は、

ちりちりと確実に燃えていた。


何をそんなに話したのか、

まったく覚えてはいないけれど。


ぼくらはただただ

朱色に、白く、

燃えていく丸太を見つめて、

あれこれ話しつづけた。




漆黒の闇から藍色に、

空がだんだん青白く明るんできた。


あんなに太く、大きかった丸太が、

食いつくされたかのように貧弱な形に変わっていた。


明るくなって初めて、

周囲のようすがうかがえた。


ぼくらは樹々に囲まれた、

岩の多い場所にいた。


かすかに川の音が聞こえていたが、

案外、近くにあったらしい。


ぼくらふたりは、

川のそばまで行ってみた。

水深の浅い川で、下りれば水にふれられそうだ。


下りて、水にふれてみた。

指がちぎれそうなほど冷たかった。


透明で、きれいな水に見えたので、

たき火に当たりつづけた顔を洗ってみた。

痛いほど冷たくて、

肌がきゅっと引きしまる。


「これって、六甲のおいしい水なんじゃない?」


ぼくは、さも大発見のように言った。


川の水を手ですくい、

ごくりと飲んでみた。


『おいしい水』かどうかは分からなかったが。

おいしい水であることは、たしかだった。



星が消え、

空が徐々に明るくなってきたころ。


ぼくらは、六甲で、

おいしい水を飲むことができた。


つまりは。


六甲の、おいしい水を、

飲むことができたのだ。



最後の夜が空けた、早朝。


あきらめかけていた卒業旅行の目的のひとつを、

ようやくにして達成した。




太陽がのぼりはじめて、

ひとり、またひとりと起き出してきた。


「なに、ずっと起きてたの?」


「丸太、燃えたよ」


「わ、ほんとだ」


巨大だった丸太もやせ細り、

熾火(おきび)をまとった炭になっていた。


朝に見た、

ちりちり燃える丸太のそのさまは、

まるで恐竜みたいだった。

そう思ったことをよく覚えている。





学生服を燃やすために出発した卒業旅行。

結局、学生服は燃やさなかった。




頭のなかでは、

盛大に燃える赤い炎に、

学生服を投げ込む場面を何度も思い浮かべていたのだけれど。


現実にそれが起こることは、ないままに終わった。





★ ★ ★ ★




卒業旅行の、学生服の思い出。




燃やすなら 着つづけてしまえ 学生服





普段、学生服を着て歩いていて、


「あいつ、いつまでも学生気分でいるな」


と。

そんなふうに思われないか不安で仕方がない、

心配性な家原利明ですが。


そんなふうに思われない、

ゆたかな世の中がくることを夢見て。


心配性の家原利明は、

心に学生服を着たまま眠りにつきます。



それでは、また。



起立、礼、

おやすみなさい。












< 今日の言葉 >


「もったいナスビだよ、それ」

(聞いたことのない言い回しを、さもあるような感じで言う人)