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2016/05/01

家原利明展覧会2016春の事後報告










絵を仕事にしようかと思案していたとき、

とある年輩の画家さんが、

こう教えてくれた。


「まずはファンを100人つくりなさい」



そのときから8年ほど経った。


はたしていま、

ファンを100人つくれたのかどうか。

それはまだ、分からない。



















《家原利明展覧会 2016 春》。


おかげさまで大盛況のうち終了いたしました。




4月6日から24日までの3週間。

例のごとく、あっという間のような濃厚な日々で、

1週間が1カ月にも感じられるほどの毎日だった。


朝11時から夕方18時ごろまで、

毎日会場に居座って、

たくさんのお客さんといっぱいお話しをした。



今回は、家、または部屋に飾ることを前提とした小作品、

未公開作1点、新作10点、

最大で30㎝×30㎝サイズの絵を飾り。


ご来場いただいたお客さまに、


「絵(原画)を飾る、ということ」


をあらためて考えていただけたら、と思い、

絵画中心の会場づくりをした。



2カ月ちょっとで10枚の絵を描いて、

いろいろ感じて、いろいろ学べた。



試したこともあるし、確認したこともある。





















搬入・設営が終わって、いよいよ迎える初日。



会場へは、気候もいいので、

雨の日以外は自転車で通った。











4月6日、初日。


ちょうど桜が満開を迎えて、

風にはらはらと散りはじめていた。


薄ピンク色の花吹雪。



















まったくベタに、何だか祝福されているような、

新しいはじまりを予感させるような、

そんな感じに満ちあふれた風景にうきうきしながら、

自転車を漕いで会場へと向かった。





春のパン祭り、ならぬ、

春の展覧会。



学校の仕事をしていたかつての名残りもあって、

展覧会はいつも夏休みの期間に開催していたのだけれど。


いまとなっては、夏休みも冬休みも関係ない。















恒例のような、

習慣のような形でつづけていた夏の開催だったが。

今回はめずらしく「春」の展覧会となった。



いままで、来場してくださっていたお客さまは、

さして不満を言うでもなく、

にこやかに来場してくださっていた。


夏の、真夏の暑いさなか、

汗をかきかき、

遠路はるばる会場へと駆けつけてくださるお客さまたち。


しかも、会場に冷房設備がないのはいつものこと。

窓を開け放ち、扇風機を回しての「おもてなし」に、

お客さまは何ら文句を言うことなく、

展覧会をたのしんでくださっていた。
















ギャラリーの方からのお誘いで、

今回は、春の開催になった。


会期が始まり、

幾人のおきゃくさまからの言葉で、

初めて気づかされたこと。



「春にやってくれてありがたい」


「夏は本当に暑くて、汗びっしょりでしたからね」



今回、小さなお子さま連れのお客さまや、

ご年配のお客さまから、

ほっとしたような顔でそうおっしゃるのを聞いた。



開催中の、夏のさなかには、

誰も何もおっしゃらなかった。


けれど、みなさん大変な思いをしておられたのだ。


「恒例」の夏開催をつづけて5年ほど。

ようやくいまにして遅れて気づいた。



そのことに気づかされて、つくづく思う。


暑いさなか、貴重なお時間をさいて、

裏通りの、分かりにくい場所にある会場にまで、

迷ったり遠回りしたりしながら、

わざわざやってきてくださるお客さまのご苦労。


暑い、遠い、分かりにくい、

そしてたいてい、蚊に刺される。


お茶も出なけりゃ、お菓子も出ない。

おみやげをいただくのはいつも、ぼくのほう。


それなのにみなさん、

展示をゆっくり見ていただいて、

にこやかにたのしんで帰って行かれる方たちばかりだ。















市内、県内、県外より、

わざわざぼくの展覧会をきてくださる方々に、

あらためて感謝の気持ちを伝えずにはいられません。


本当に、いつもありがとうございます。


今回、初めてご来場されたお客さまにも、

感謝の思いは変わりありません。


本当に、ありがとうございました。















あたりまえ、だなんて、思ったことはないけれど。

みなさんが、あたりまえのように、

わざわざ見にきてくださることに、

今回、いま一度ありがたく思い、

そしてすごくうれしく感じました。



これまでご来場いただいたお客さまたち。

ご来場された方の数は、

いつも数えたりしてきませんでしたが。


今回、188名のお客さまに

ご来場いただきました。


場所と期間を考えて、

今回は20名くらい来られればいいほうかな、

とも思っておりましたが。


ときにのんびり、ときに忙しく、

たくさんのお客さまと

たのしくお話しすることができました。


この数が多いのか少ないのか、

ぼくには分かりませんが。

数よりもたくさんの、

目に見えないいいものをたくさんもらいました。















瞬間的にお客さまが会場に集中されたとき、

しっかりおもてなしできなかったこともありました。


お昼ごはんを食べる時間がなく、

ぐうっとおなかが鳴ったときもありました。


おしゃべりばかりで、

絵のお話をしないままのこともありました。


どれも、今にはじまったことではありませぬが。


まだまだ至らぬ家原利明を、

今後ともどうぞよろしくお願い

仕り申し上げまして候でございます。





















★ ★





家原利明展覧会 2016 春。


お客さまたちみなさん、

たのしみ上手な方ばかりで、

道中や周辺の界隈を散策したり、

会場で些細な発見をしたり、

手足を伸ばして思いっきりくつろいでいただいたり、

ぼくが言うまでもなく、

各人各様、それぞれの方法で

たのしんでくださっていた。



「家を出て会場までの道のりからもう、

 家原さんの展覧会が始まってるんですよね」



お客さまに、そう言っていただいて

ありがたくもあり、うれしくもあった。


















毎日会場にいると、ときとして、

おもしろい「偶然」に出会うことがある。



ある日のこと。


まったくちがう方面からのお客さまが、

同じ日の、同じ時間帯に、

同じおみやげを持って来場された。


お客さまどうしの面識はなく、初対面。

おいしいパンのおみやげが、ご対面。



その日のそのとき以外、ほかのお客さまは、

誰もその「おみやげ」を手に現れることはなかった。



翌朝、そして翌々朝、ありがたいことに、

おいしいパンを思いっきり1斤ずつ、

贅沢にいただいた。












展覧会の会場で、

知らない人どうしがつながったり、

知ってる人どうしが「待ち合わせ」のように、

偶然ばったり出会ったり。


なぜだか共通のお客さんが集まる、

そんな日がある。



甥っ子とその友人が来てくれた日、

しばらく遅れて、美容師さんたちが来場された。

話していくうち、

甥っ子たちの中学時代の同級生が通っていると分かり、

初対面で無関係だった関係性から

いきなり「距離」が縮まったりした。





















また別の日。


かつての教え子(女子)が来てくれていて。

遅れてきた教え子(男子)は、

学科がちがって話したことはないけど、

同級生だった。


教え子の彼は、

こんどの休みに「気になる女子」を交えた男女数人と

遊園地に行くとのこと。


そんな「おもしろ情報」を

数日前に来た別の教え子から聞いていたぼくは、

口べたな彼にこう切り出した。


「こんどの29日、△△ランド(遊園地の名前)に

 行こうかと思ってるんだよね。男女のグループで」


えっ、と顔色を変えて、向き直る彼。


「元同級生なんだけど。

 その中に、気になる女の子がいて」


驚きを隠せない彼は、

そのくせ苦笑いで逃れようとしていた。


「聞いたよ。行くんだって、△△ランド?


逃げ場を失った彼は、

照れながら、困ったように脱力した。


そこで、同級生でもあり同世代でもある

教え子の彼女に、聞いてみた。


こういうとき、どうしてらいいのか、

何をしたらいいのかと。


「彼女の好きなものとか、知っておくといいかな」


さすが女の子。

聡明な答えをきりっと返してくれた。


「なるほど」


ぼくでは思いつかない、等身大の意見だった。


ぼくだったら、口べたな彼に、

10分につき1回は笑いを取れ、などと、

およそ即時的ではないような助言をするだろうから。

(現に、ぼくはそう言った)


照れて、困り果てながらも、

彼はその助言を胸に刻んでいったにちがいない。


照れ屋で口べたな彼のことだろうから、

すんなりうまくいくとは思えない。


けれども、

その助言が少しでも彼の「お守り」になって、

当日、たのしくすごせることを祈りつつ。


教え子の彼女とぼくと、

会場にいたぼくの姉たちも含めて、

がんばれ! と、彼に、

心から声援を送るのでありました。



























また別の日。



小・中学時代の同級生ふたりが来てくれた。


彼女たちが来て間もなく、

また別の小・中学時代の同級生が、

旦那さんと子どもといっしょに、

会場に現れた。


てっきりぼくは、

約束していたものだと思っていたのだけれど。

そうではないらしい。


そんな「偶然」は、ままあることなので、

にこやかにそれを見守っていたのだが。


ノックする音に、

扉を開けてお出迎えすると、


「久しぶりだな。分かるか?」


と、笑顔で手を差し出す、男性が立っていた。


「K先生!」


そこには、中学時代の恩師、

3年間お世話になった、

バレーボール部の監督の姿があった。















中学時代のぼくは、

バレーボール部だった。


中学3年生当時の身長は、

いまより低くて173センチくらい。


中1のときは157センチで、

3年間で16センチ伸びた。



バレー部として

背は高くも低くもないほうだったが、

垂直跳びが96センチで、

ランニングジャンプでは

バスケットゴールのリングをつかめるかつかめないか、

というくらい跳べて、

学内外でも跳躍力があるほうだった。




その跳躍力を買われて、1年生のうちから

2、3年生の練習に加わらせてもらっていたのだけれど。


あまり器用ではないぼくは、

いつも叱られてばかりだった。


年間を通じて、休みは5日くらい。

お盆休みの2日間と、正月休みの3日間。



「1日休むと3日遅れる」


「一事が万事」



それが、監督の口癖だった。



グラウンドの外周から

神社の階段頂上までのコースを100週走り、

それから練習に入る。


雨の日は校舎内を走り、

50週走ったあとには

冬だと体じゅうから湯気が立ちのぼった。


監督の言葉どおり、

休みの日にも、腕立て・腹筋、走り込み、

おこづかいで買った鉄アレイで手首を鍛えて。

苦手なサーブを、壁打ちで練習したこともある。



日曜日や祝日など、

学校のない日はたいてい他校へ赴き、

朝から晩まで練習試合をしていた。


夏休みには合宿があり、食事の時間以外、

朝起きてからほとんど寝る直前まで

バレーボールをやっていた。



通常日の練習でも、

朝は6:00から1限目の授業が始まる前まで練習して、

夜は8時、9時ごろまで練習した。


日曜日など、

ときどき早く終わる日があったが。

それでも、朝は6時台の集合が常だった。




他の部活が使っていて体育館が空かない時間は、

グランドでの練習だった。


汗をかき、

地面にフライング(届かないボールをレシーブをするため、

胸から飛び込むこと)すると、

練習着がきなこ餅のようになる。


何度もフライングすると、

胸や腕がすりむけて、血だらけになる。

厚手の泥をまとった練習着は、

血と汗と、涙ならぬ土との結晶で、

ずっしりと重くなっていった。



夏でも、冬でも、

雨でも、雪でも。


場所は変われど、いつでも練習をしていた。


ぼくらの代は、

区大会優勝、市大会準優勝、県大会準優勝、

東海大海ベスト16。

あと1試合勝てば、

広島で行なわれる全国大会に出場できた。




最後の1失点。


忘れもしない。



それは、ぼくの

サーブレシーブのミスだった。




ブランドロゴがくるくると回り、

逆回転しながら飛んでくるボール。


それは、ぼくに向かって飛んできた。


逆回転のボールは、

レシーブしたとき返球が「大きく(長く)」なる。


そう思って、ボールが当たる瞬間、

腕を手前に引いたのだけれど。


思った以上に返球が伸びて、

セッターの頭上、ネット付近に流れていった。


『飛んで(ブロックして)くれ!』


という、

セッターへの身勝手な願いも届かず、

相手チームの前衛選手が

ネット上に及んだボールをそのまま

ダイレクトスパイクで打ち込み、

試合終了。



相手からのサーブが飛んできて、

ボールがぼくの目前まで近づき、

腰をかがめてレシーブをして、

その返球がゆっくりと

セッターの頭上に弧を描いて飛んでいく・・・。


そこまでの瞬間は、

1秒が数十秒に感じられるほど

スローモーションだったのに。


頭上を越えたボールが打ち込まれる場面は、

まさに、ほんの一瞬の出来事だった。




ぼくは、そのときのことを、

いまでもずっと覚えている。



どこかで思いつづけていた。


試合に負けたのは、ぼくのせいだと。



前日の夜、

旅館ではしゃぎすぎて

寝不足だったということを差し引いても。


全国大会に行けなくなったのは、

ぼくの責任なんだろう、と。


誰もそんなふうに言わなかったけれど。


試合が終わってしばらくしても、

ずっとそう思いつづけていた。



中学校生活の3年間の

ほとんどを費やしたバレーボール部。



ぼくは、本当にたくさんのことを学んだ。





中学を卒業して以来、

監督とは一度、駅の通路ですれちがったことがある。


高校1年生の春ごろのこと。


そのときはまだ、

最後の試合の「傷」が生々しくて、

監督にまっすぐ顔を向けられないまま、


「こんにちは」


と、うつむきかげんに、

頭を下げるばかりだった。


小さな娘さんの手を取り足早に歩く監督は

さいわい急いでいる感じで、


「こんにちは」


と、笑顔を浮かべて、

一陣の風のようにすうっと去っていった。



最後の試合の失態。


自ら「傷」だと思いつづけたそれは、

「傷」ではなく、単なる「結果」だと。


かつての自分は、

そう思えるほど強くもなかった。



自信のないぼくは、

どこかでみんながぼくを

責めているんじゃないかと思いつづけていた。


駅ですれちがった監督も、

急いでいるんじゃなくて、

ぼくを避けていたからじゃないかと。


そんなふうに思う、

ばかな自分も存在しつづけていた。



いつごろだろうか。


そんなことも思わなくなった。



あのときの悔しさを、

決して忘れたことはなかったけれど。



あれから26年経って。



最後の失点場面を、

生乾きのかさぶたみたいに、

ちくちくといじりつづけるような気持ちはいつしか消え去り、

歳を重ねるごとに、

中学3年間のバレーボール部で得たものの大きさを

手ざわりで感じられる場面がふえてきた。




だから、なのだろうか。


25年以上ぶりに会った監督の笑顔が、

ものすごくまぶしく、うれしく感じた。



そこにいるはずのない、監督の姿。



ぼくの展覧会など知っているはずもなく、

ましてやぼくが絵を描いていることなど

まったく知らないであろうと思っていた。



会場の入口前に立ち、手を差し出す監督へ、

中学校時代のぼくが躍り出て、その手を握った。



まぶしくて、こぼれそうな笑顔だった。



かつてそこに存在していたはずの現実。

未熟なぼくが見ていたそれは、虚像だったと。



26年後の監督が、

ぼくにそれを伝えにきてくれたのだろう。


そんなふうに思えるほどドラマチックで、

うそみたいな現実だった。



そして会場には、

たまたま「偶然」そこにいた中学の同級生らが控えている。



監督との再会は、

みんなにとっても何十年ぶりのことで、

展覧会場が一気に

プチ同窓会の場へと変わったのでありました。

















★ ★ ★








教え子のひとりの、男子の話。

彼が来た日は、

夕刻近くに雨がぱらつきはじめた日だった。


降り出した雨に、

傘を持っていなかった彼は、

駅前のよろずや的なお店に入店した。













「すみませーん」


という彼の声に、

店の奥から主人らしき男性が現れた。


無言のまま彼の前を通りすぎた主人は、

レジ内の「定位置」に立つと、

そこで初めて、


「はい」


と、応えた。


「傘、ありますか」と彼が尋ねるやいなや、

前方を指差し、


「210円。傘返したら210円返す」


と、言い放った。


主人の指し示す先には、

使用感のある、古びたビニール透明傘があった。


代金を支払い、ビニール傘を手にした彼は、

ぼくのブログの道順案内を見ながら、

近辺を歩き回っていた。


ブログの写真とはまた別の床屋に行き着いて。

困った彼は、その床屋さんの主人に道を尋ねた。


「あの、この写真の床屋って・・・」


言い終わらぬかのうちに、

床屋の主人が迷わず言った。


「ああ、ここここ。ここだよ」


教え子の彼は、内心絶句した。


写真の床屋と目の前の床屋の外観は、

見るからにまったくちがう、

まるで別の床屋だった。


押し黙る彼に、

床屋の主人はさらに言いつのった。


「床屋でしょ? ここだよ、ここ


事情を説明した彼は、

結局、床屋の主人に、

目指していた床屋付近の郵便局の所在を教えてもらって、

なんとかここまでたどりついたと。


会場に着くなり、

彼がそんな「冒険譚」を話してくれた。



駅前のよろずや的なお店は、

ぼくもずっと気になっていた。


いつか入ろう入ろうと思いながらも、

会期中はなかなか時間が取れずにいた。


彼が「借りた」傘を返却すべく。

帰り道、お店に同行した。


「ありがとうございました」


と、彼が傘を差し出すと、

お店の主人はレジを開け、

黙って210円、返してくれた。















お店の中は、

昼間に見たときよりはっきり見えた。


19時を過ぎ、外はすでに暗かったので、

店内の蛍光灯が白々と灯されていた。


昼間は外の光が明るくて、

そのせいで店内がまっくらに見えて、

はっきりと中の様子がうかがえなかった。


店内には、

貼紙の目立つ商品の少ない陳列棚や、

なつかしい感じの洗剤や文房具などが不規則に並び、

「キズ」と書かれた青果類が店頭を占めていた。


聞くところによると、

近くにできた大型商業施設のあおりで、

駅前がずいぶんさみしくなったと。


それでも、

大型商業施設まで行けない

ご近所のお年寄りのために、

ここの「よろずや的な八百屋さん」は

ずっとお店を開けているらしい。


これは、お店の人にではなく、

ギャラリーの方に聞いた話だ。




















後日、来場してくれた友人にそのことを話すと、

目を輝かせて興味を示してくれた。


友人たちがお店に行くと、

おいしそうなイチゴが目に入った。


1カゴ150円。

いかにもみずみずしく、

真っ赤に熟れた立派なイチゴだった。


「キズ」と書かれてはいるものの、

静岡産の、そのおいしそうなイチゴが、

ごろごろ盛られて150円とは。


友人たちは、

甘い芳香を放つそのおいしそうなイチゴを、

5カゴ買った。



あとでそのイチゴを食べさせてもらったが。


値段とかそういう話ではなく、

身がしまって甘く、ほどよく酸っぱくて、

みずみずしくてすごくおいしいイチゴだった。



















その友人たちが買い物をしている最中、

歳は小学校低学年くらいの、

近所の子供らしき女の子が

キックボードに乗って現れた。


キックボードの女の子は、

2つある店の出入口を有効に使って、

ぐるぐると一定方向に周回し、

ぐるぐると店内を疾走していたとのことだ。



ぐるぐる周回しながら、女の子は、

レジ前を通過するたびおじさんに向かって、


「やおや! やおや!」


と、連呼して、

何度も出入りをくり返し、

何週も何週も回りつづけていた。



「やおや!」と言われつづける当の主人は、

店内を飛び回る羽虫ほども気にならないのか、

まるで意に介するようすもなく、

淡々とイチゴの会計をすませていった。




その話を友人たちから聞いたとき、

うらやましいな、と思った。


ぼくもその風景を見たかった。


聞いただけでもうきうきするのだから、

何とも平和なその風景を見たなら、

きっと心がときめくにちがいない。






夕方16時ごろになると、

腰の曲がったおばあさんが、

片手にやかんを持って、

ギャラリー前の路地を通りすぎていく。


1日目。


そのおばあさんが

やかんを持ってどこへ行くのだろう、と気になった。

行く先を見守ると、すぐそばのお堂の前で止まった。


通りにはお地蔵さんが祀られていて、

そのおばあさんが、お線香をあげたり、

お花を替えたり、そうじをしたり。

朝と夕方、1日2回、

毎日、お地蔵さんのお世話をしているのだった。



2日目。


「こんにちは」

と、声をかけてみる。

おばあさんが顔をあげて、

こちらにぺこりと会釈をしてくれた。



3日目。


「こんにちは」

と、あいさつをすると、


「今日は暑いでいかんねぇ」


という言葉が返ってきた。


「そうですね。けど、

 あったかいほうがいいですよね」


と返すぼくの言葉に、

おばあさんはぺこりと会釈を返して、

そのまま黙って去っていった。



4日目。


「こんにちは、ごくろうさまです」


と会釈するぼくに、

首をあげ、顔を向けたおばあさんは、


「あたしゃぁ、両耳が聞こえんもんだでねぇ」


と、言葉とは裏腹に、

しっかりした口調でそう言った。


「え、そうなんですか」


驚くぼくを置き去りにして、

おばあさんは、かくしゃくとした感じで、

さらにつづけた。


何ぃ言っとるかは聞こえんけど、

 自分の言っとることはぁちゃあんと分かっとる。

 テレビはぁ字が出るのは分かるけどもぉ、

 字ぃが出んのは何言っとるかぁ分からんもんだでねぇ」


いったん言葉を区切ったおばあさんは、

自分の間でまた話しはじめた。


「あたしゃぁ、昭和3年生まれの8月3日生まれだもんでぇ、

 選挙に行っても、サン、ハチ、サン、で覚えやすいもんだでぇ。

 昭和3年生まれで、今年88になるけどぉ、

 サン、ハチ、サンで、ハチハチ、覚えやすいでねぇ」


話しながら、

ゆっくりとギャラリー前を通りすぎていくおばあさんに、

ぼくは、聞こえないであろう返答をしつつ、

返事のつもりで大きくうなずきつづけた。



おばあさんが帰っていくころ、

時計を見ると、

時刻は16時15分。


いつも16時15分。

まるでスイス時計のような正確さだった。


朝は、ぼくの到着より早い時間なので、

見たことがないけれど。


朝もおそらく時間が決まっているはずだ。


雨の日も風の日も、

日照りの日にも雪の日にも、

1日2回、毎日つづけている、

おばあちゃんの日課だ。







★ ★ ★ ★







ギャラリーに毎日いると、

いろいろなお客さんが来てくださる。


年齢、性別、職業、

出身地、国籍。


千差万別、十人十色。

いろいろなお客さんの、いろいろな話に、

いろいろなことを教えられ、いろいろ感じさせてもらえる。












ある晴れた日。

春とは思えないほどの陽気で、

日なたにいると、少し汗ばむほどだった。


お客さんの途切れた時間、

外に出て、ギャラリー前をうろついて。


腰高くらいのコンクリートブロックに座って、

ぼんやりと景色を眺めていた。



と、路地裏の風景には似つかわしい、

トレンチコートを着た

瀟洒(しょうしゃ)な女性の姿が目に入った。


片手に紙袋を下げたその女性は、

もう一方の手に握られたスマートフォンの画面を見ながら、

何かを探しているふうだった。


その後ろ姿に、

ぼくは知り合いにちがいないと予見して、

思わず反射的に近づいて、


「わっ!」


と、おどかしの声を浴びせた。


びく、っと、肩をいからせ、

ゆっくりとふり向いたその顔は、

見も知らない、

まったく初対面のお顔だった。



「す、すみません。知り合いかと思って」


恥ずかしいやら申し訳ないやら。


あわてふためき二の句を次ぐと、

どうやらぼくの展覧会へと来てくださったことにはまちがいなかった。


会場に入ると、その女性が、


「いつも姉がお世話になっています」


と、おもむろにおっしゃった。


そこでようやく、

お世話になっているお客さんの妹さんだということが分かった。


話には何度かうかがっていたが。

お会いするのは初めてで、

これがまったくの初対面。


反射的かつ、短絡的な「わっ」という行為。


初対面の「お知り合い」との

何とも失礼なご対面の始末であります。




その方が、ぽつりとおっしゃっていた話。


「ネコってすごいですよね。

 身ひとつで家に来て、生きていけるんですから。

 人間なんてあれこれ荷物だらけですからね」


たしかに。


イヌでもネコでも、

荷物ひとつ持たず家にやってきて、生涯を全うする。




また別のお客さんがから聞いた話。


裏の家から、お母さんらしき女性の声が聞こえる。

どうやら庭で、小さな娘さんの写真を撮っているらしかった。


「どうしたの、ほら、もっと近よって」


お母さんの声が言う。


「ほら、チューリップ。きれいでしょ?」


いやがる女の子に、お母さんは声を曇らせた。


「ほら、もっと近よって。ほら、きれいでしょ」


「だって、こわいもん」


困惑した感じで、お母さんが言った。


「こわくないでしょ? ほら、チューリップだよ。

 お花だからこわくないでしょ? きれいでしょ?」


「こわい」


ぼくにはその「こわい」というのが

分からなくもなかった。


幼稚園くらいのころ、

チューリップの花弁の中をのぞきこむと、

黒っぽい茶色の中央から、

黄色い頭のおしべ、めしべが伸びていて。

何だか「かみつかれそう」で、こわかった。


お客さんいわく、

その女の子はもっと小さかったころに、

大きな声でたのしそうに

『チューリップ』の唄を歌っていたそうだ。


それなのに、いま、

チューリップがこわい。


そしてやがて、

こわがっていたことも忘れて、

赤白黄色に並んだチューリップを見て、

お母さんと同じように、

きれい、と思う日が来るのかもしれない。





お世話になっているシェフが来てくださって。


飾られた絵をじっと眺めたあと、

向き直ってぼくにこう言ってくださった。


「線が生きてるね。前よりも迷いのない線になってる」


初めて見ていただいたお客さんの感想も貴重だし、

ずっと見てきてくださったからこそ言える感想もある。


ぼくは、シェフが感じ取ってくれたことをうれしく思い、

感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになった。




言葉。 感覚。 気持ち。


伝わるものは伝わる。




その夜、

シェフから届いたメールに書かれていた言葉からの抜粋。


『迷いがない=自信』


『自信=自分を信じること』




本当に。

いろいろな方の言葉で、いろいろ感じさせてもらい、

いろいろ教えられている。



いまは分からない話や言葉、

まったく意味のないように感じる会話も、

のちのち発見に変わっていく。







★ ★ ★ ★ ★















ぼくは数字が苦手で、

数を数えていてもすぐにまちがえる。



今回、初めて数えたお客さんの数。


その「188」という数字が、

多いのか少ないのか。

それは、よく分からない。



3週間で、実質15日間という数字も、

長かったのか、短かったのか。


1週間が1カ月に感じられたくらいだから、

3カ月近くの濃度があったのかもしれない。



188、という数。


ぼくには数よりもたくさんのいいものが、

はっきりと手もとに残っている。





「ファンを100人つくりなさい」



その「100」という数字も、

「たくさん」という意味だと。


ぼくはそう解釈している。



『百聞は一見に如かず』


『百様知って一様を知らず』


『百里の海も一夫に飲ましむる能わず』




そう。


1が集まっての100と、

100という数字では、

まるで密度がちがう。



そんな、ゆるぎない100。




はたしてファンを100人つくれたのかどうか、

ぼくにはまだまだ分からないけれど。



ひとつひとつをたのしみながら、

ひとつずつ、ていねいに積み上げていけたら、

きっといい感じになると思っておるわけであります。



目指せ、100まんおくまん人のファン!






家原利明展覧会 2016 春。



この度はどうも

ありがとうございました。






気持ちは春の大感謝祭2016家原利明




< 今日の言葉 >










名)【ナフマディ奏者】
     (なふまでぃ - そうしゃ)


水の流れを使って、地球の呼吸を音楽として奏でる。

それが使命。ひとりで演奏しているとは思えないほど

荘厳で重厚な音色。茶色い衣装をまとい、同じく茶色

い布で顔を覆い、管状の紐を何本も使って演奏する。

聴衆がいようといまいが、河川や泉などで演奏しつづ

けるのがナフマディ奏者の使命。




(・・・・・というものが、夢に出てきた。目が覚めてさっそく
  本当にいるのかと思って調べてみたが、そんなものは存在しなかった)