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2014/08/27

Oh, BON! 白黒の母とおちゃめなおばあちゃん














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【bon】(仏)間投詞:いい、良い。

 ・「〜voyage(旅行)」(よい旅を/ごきげんよう)
 ・「〜soir(夕方、晩)」(こんばんは)


【盆(ぼん)】:盂蘭盆会(うらぼんえ)。
        旧暦の7月15日を中心に行なわれる祖先の霊を祀る行事。
        7月または8月13日から16日までの4日間をいう。

 ・「〜ダンス」(盆踊り)
 ・「お〜こ〜」(昭和の漫才コンビ/
         「大きいボンボンと小さいボンボン」が名前の由来)





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いきなりアカデミックな感じの入りをしてしまいましたが。

みなさん、お盆はいかがおすごしでしたでしょうか。




お盆。

世間では大型連休のひとつとして、

行楽をはじめ、家族が集ったりする期間でもある。



そんな「お盆」。




通年では、お坊さんが「お参り」にきてくださり、

読経の声を聞きながら目を閉じ、瞑想するうちに

だんだん気持ちよくなり、

知らずと体がゆれてくる・・・。


今年は、

ベールをまとった謎の人物が何やら呪文を唱えている夢を見て、

目が覚めて気づくと、もうお昼すぎだった。



「Oh, BON!!」

(ここでは「しまった」の意)



どうやら夢のなかで聞いた「呪文」は、

夢ではなく、階下から聞こえる本物の「読経」の声だったようだ。



遅れてひとり、おじいちゃん、おばあちゃん、

ご先祖さまにお参りをする。

愛犬ハナにもあいさつをする。



それほど熱心なほうでもないぼくではあるが、

お盆といえば、仏壇に向かってお参りするのが

通例の「行事」となっている。








子どものころ、

仏壇にミニカーや怪獣のソフビを並べて、

おばあちゃんにえらく叱られた。


何だか豪華でたのしそうな「祭壇」を、

どうしてもにぎやかに飾り立てたくなったぼくは、

自分のお気に入りのものたちを並べたのだが。



「ほんまに、目ぇはなすといらんことばっかしよるなぁ」



きらびやかでぴかぴか光ってたのしそうな見た目だけど。

そういうことをするための「棚」ではなかったのだと。

幼少期のぼくは「お盆」にそれを痛感した。




それからすっかり大きくなって。


今年のお盆は、

甥っ子がひとり、3日間ほど夜ごはんを食べにきていた。


甥っ子の母である姉は、三男を引き連れて、

次男のサッカー合宿に同伴して他県に行ったらしい。


長男である甥っ子は、

受験をひかえた高校生ということで、

サッカー合宿には同行せず、

ひとり、塾通いの日々であると。



「Oh, BON・・・」

(ここでは「かわいそうに」の意)



甥っ子の父である義兄は仕事で帰りが遅くなるため、

姉は、甥っ子のことを母に頼んでいたらしい。




そんなこんなで。

家で、甥っ子といっしょに夜ごはんを食べる機会があった。


正確には、お盆前の数日間だが。

甥っ子が家にきていた3日のうちの2日、

甥っ子といっしょに夜ごはんを食べた。



そして、甥っ子の話を聞いた。


塾が大変だという話。

遊びたいのに遊べないつらさ。

最近手に入れた自転車(バイクなみの高級車)の話。

いいサングラスはないかという話。

服の話や音楽の話、そのほか、どうでもいい話など。


他愛のない会話ではあったが、

塾通いで息が詰まりそうだという甥っ子は、



「いい息抜きの時間になったよ」



とのことで、

立派な「おじ」としては、



「Oh, BON」

(ここでは「よかったよかった」の意)



といった感じであった。




そんなこともあって、

母とぼくと甥っ子の3人が顔を会わせ、

何だか「なつかしい」話をする場ができた。




1枚の、古い写真。

白黒の小さな写真には、

縁側で座る「少女」たちが映っている。


仏壇にお参りをしたとき、

古そうな白黒写真がふと目に入って、

母にたずねたのだ。


いまからもう50年以上前の写真。

それは、母が10代のころの写真だった。
















「どれか分かる?」



と、母に聞かれた。



「えー、これ?」


「そう。かーわいかったでしょう」



自分で言って笑う母。


たしかに「幼い」という意味もふくめて、

かわいらしかった。



「これ、中学生? 小学校じゃなくて?」



母が、中学生だったころの写真。

クラスでいちばん背が低く、

列の先頭を務めていたというだけあって、

中学生よりも幼く見える。



花柳流の踊りの仲間たちと、

お師匠さん宅の縁側で撮った写真。


中央に映る「少女」の姿には、

どこか母の面影があった。


5歳のころから日本舞踊を習っていた母は、

人見知りではあっても快活で、

ずいぶん周囲からかわいがられていたと。

母の友人からそんな話を聞いたことがある。



もう一枚は、お正月の写真だ。

みんな、着物を着ている。


左上に映る母は、

光の加減のせいか目がつぶらに見えて、

小学校のころの自分に少し似ている気がした。















ずいぶん昔の、母の写真。


おもしろかったので、その写真を甥っ子に見せてみた。




「この写真、どれが『あーちゃん』か分かる?」



ぼくは、母がしたのと同じ質問を、

甥っ子にしてみた。

『あーちゃん』というのは、

甥っ子が母(ばあちゃん)を呼ぶときの呼称である。




「・・・ええ、どれだろう。この人かな?」


自信なさげに、真剣に迷う甥っ子。


たしかに、

いまの『あーちゃん』しか知らない甥っ子には、

高校生の自分より「歳下」の「母」の姿など、

想像しがたいことのようだ。




自分も、母の10代のころの姿は、

この写真で初めて見た。


20代、30代のころの母の姿は、

写真だけでなく、実際に目にしているので

なんとなくではあっても覚えがある。


10代のころの、母の姿。



すごく変な感じがした。


何だかおもしろかった。



真面目そうで、大人しそうにも見える「少女の」母が、

縁側にちょこんと座って、こちらを見ている。


着物を着た「少女の」母が、

小首をかしげて、こちらを見ている。




「答え」を知った甥っ子は、



「ええっ、これがあーちゃん? 分からなかった」



「かわいかったでしょう?」


と、またしても母。


「かわいいね」



息子と孫では、やはり距離が違うのか。

甥っ子は、迷いなくそう言った。



つづいて、祖母の話になった。



ここでいう祖母とは、父方の祖母で、

先述の、仏壇におもちゃを並べてぼくにお叱りをくれた

大阪のおばあちゃんのことである。



旧姓は「瓜生(うりゅう)」。

名は「ユリ子」という。


おじいちゃんが生きているころは、

必ずおじいちゃんが起きてくるより先に、

化粧や身じたくを完璧に終えていた。


いわゆる「ノーメイク」を

おじいちゃんに見せたことがないのだと。

昔、父に聞いたことがある。



おじいちゃんが死んでからも、

毎朝美容院に行き、髪の毛を整えるその姿に、

ぼくは美意識の高さを感じていた。


たしかに、おばあちゃんが、

いいかげんな服装をしているのは一度も見たことがない。

和装でも洋装でも、いつもぴしっとしていた。


家族で遊びに行ったときも、

起きるのはいちばん早く、床に就くのはいちばん遅かった。

お風呂に入るのも、いちばん最後だった。


特に意識したことはなかったが。

おばあちゃんの「ノーメイク」は、

ぼくもついぞ見ることはなかった。



明治生まれの女、家原ユリ子。



ぼくが、まるでバービー人形のような髪色で帰省したときなど、



「なんやの、その頭。アメさんみたいやないの。

 そんな頭やったら、もう家に入らんといてな」


と、露骨に嫌そうな顔をした。


それでも、そのあといっしょに買い物に行ったとき、

ちょっと高級なチョコレートを買ってくれたりした。



厳しくも、やさしいおばあちゃん。


そんなおばあちゃんに、

ぼくはいつも叱られてばかりだった。



お盆。


ひまを持てあましてうろちょろする幼少のぼくに、

おばあちゃんは、

仏壇にお供えするための「お膳」の盛りつけを任せてくれた。


「親椀」「汁椀」「腰高」「平椀」「壷椀」


大役を仰せつかったぼくは、

白黒で書かれた配膳図を見ながら、

見よう見まねでお椀に盛りつけていく。


手前には、

原寸大(ぼくらが食べるような「普通の」サイズ)の

お椀に盛りつけられた「見本」もある。



ぼくは、ニンジンやゴボウなどの野菜(具)を

指で細かくちぎって数を揃え、

香の物(漬け物)のキュウリなども、

「見本」と同じ形になるよう皮を残して小さく切って、

同じ数で、同じように盛りつけて、

おばちゃんが盛りつけた「見本」のとおりに配膳した。


簡単にいうと、

見本をそのまま縮小した「ミニチュア」をつくったわけだが。

別にふざけたわけでもなんでもない。


実物をそのまま小さくしたかのような「お膳」を見て、

おばあちゃんは、仰天した表情で、



「何してんのや、あかんで、そんなんしたら」



と、例のごとくぼくを叱った。




また別のお盆。


上述のお盆よりもっと前、小学1、2年生のころ、

たぶん、おじいちゃんが死んで、

まだ1年かそこらのときだったように思う。



お盆の飾りのひとつである、キュウリとナス。


これまた、ひまを持てあましてうろちょろするぼくに、

おばあちゃんが任を与えてくれた。



キュウリとナスと割り箸とを手に、

おばあちゃんが説明してくれた。


「これは、ご先祖さまのための乗り物で、

 これに乗って帰ってきはるから」



と。

ひとつ、見本をつくってくれた。



なるほど、乗り物か。



ガッテンしたぼくは、

キュウリとナスを輪切りにした。

マッチ棒をさがしてそれを軸にすると、

輪切りにしたキュウリとナスを差し込み、タイヤにした。


ナスの車とキュウリの車。


完成した2台の乗り物を、

ほこらしげにおばあちゃんに見せに行くと、



「いや、なんやの、それ。オモチャやないんやで!」


と、こわい顔で叱られた。



まだ小さかったこともあり、

その声で割って入った父が「どないしたんや」とぼくにたずねた。


ぼくは、うつむきながら消え入りそうな声で、

父に説明した。



「おじいちゃんが、はやくかえってきてほしいから」



それを聞いた父は、すべてを理解したようで、

ぼくの頭をがしっとなでて、



「やさしい子やな」


と笑顔を見せた。




父からわけを聞いたおばあちゃんは、


「なんやの、そうかいな。

 怒ったりして悪かったね、かんにんな」


と、すごくやさしい顔でぼくに言った。



大阪の家の台所。

赤いカーペットと、模様の刻まれたガラス窓。


ほめられるより怒られることのほうが多かったぼくは、

そのときことを、すごくよく覚えている。






そんな「なつかしい」話を、

母と、甥っ子にすると、ふたりともが笑っていた。


キュウリとナスの乗り物について尋ねる甥っ子に、

母がその習わしについて説明した。



「キュウリの馬と、ナスの牛。

 行きは馬で早く帰ってきてもらって、

 帰りは牛でゆっくり帰って行ってほしいっていうことで、

 馬と牛なんだって」



「へぇ、そうなんだ。なるほどね」


その声には、甥っ子のものだけでなく、

ぼくの声も混じっていた。


(実際の母の説明は「あれっ、馬が帰りで牛が行きだったかな」と、
 いちばん大事な部分が一瞬あやしくなりかけてはいたのだけれど)


馬と牛。


そんな意味があったなんて、

この歳になって聞かされるまで、まるで知らなかった。


キュウリが馬で、ナスが牛だったことすら知らなかった。



だから、ミカンとバナナの「乗り物」を飾った年に、

おばあちゃんに叱られたわけだ。



幼いころのぼくがつくった、キュウリとナスの車。


「くるまのほうがはやいし、ぜったい いい」


そう思ったのだけれど。


早くきてくれても、早く帰ってしまうようじゃあ、さみしい。



そんなことも知らなかったぼくは、

今年のお盆に、またひとつかしこくなったのでありました。




甥っ子が、その「祖母」についての話をしてくれた。


ぼくの「おばあちゃん」。

甥っ子にとっては「ひいおばあちゃん」。

母にとっては「義理の母」である。



甥っ子が、家族で大阪の家へ遊びに行ったときのこと。


昼寝から目を覚ました甥っ子は、

みんなの姿を探すうち、

玄関に靴が並んでいないことに気づき、はっとした。



「ママたちは?」



心配になって、うちのおばあちゃんに聞いた。

おろおろとあわてる甥っ子に、おばあちゃんは、



「もう先、帰ったで」


と、こともなげに言ったそうだ。



姉の家族は、甥っ子を含めて5人。

靴の数は5足。

家族が集まるだけでも、玄関先は靴でにぎわう。


それなのに。


玄関にあるのは、

甥っ子の靴と、おばあちゃんの靴だけ。



「えっ、なんで!」



さらにあわてる甥っ子に、追い打ちをかけるように、



「気ぃつかへんかったんとちゃうかなぁ」



と、笑いながら言ったそうだ。



結局はみんな、

帰ってもいなければ、外出すらしていなかったらしい。


目を覚ました甥っ子をびっくりさせようと、

おばあちゃんがこっそり靴を隠したのだという。



「いたずら好きの、おちゃめなおばあちゃん」



うちのおばあちゃんは、

甥っ子いわく、そんな印象らしい。


それを聞いたぼくと母は、

にわかに信じられず、顔を見合わせてびっくりしていた。



たしかに(大阪人ということもあってか)、

笑いやユーモアの精神は日常の端々に宿ってはいたものの。

そんな「いたずら」に興じるおばあちゃんの姿は、

想像すらできなかった。




「Oh, BON?!」

(ここでは「え、そうなんだ」の意)




甥っ子の話を聞いて、

靴を隠していたずらっぽく笑う

おばあちゃんの姿が頭に浮かんだ。


そう思うと、ぼくの知るおばあちゃんの笑顔が、

どことなく、おちゃめな感じに見えてきた。



ぼくの知らなかった、おばあちゃんの姿。

ぼくの知らなかった、母の姿。




甥っ子と母とすごした時間の中で、

過ぎ去ったはずの時間が、新しい色形を帯びて現像された気がした。







お盆。


南紀に出かけた際、すてきな写真が撮れたので、

みなさんにもお見せいたします。



この写真がいつか、

新たな色を帯びる日まで。



ぼくはここに埋めておこうと思います。




それでは、おボンゴレビアンコ!





















< 今日の言葉 >


チュロス ≠ 焼きちくわ


(まちがえやすいから気をつけてねシリーズ)