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2009/02/25

違うものです



「金曜日の雨の怪物」(2009)




「マッコリがうまかった」

そんな友人のひとことで、
マッコリ熱が加速して、
いろいろな種類の
マッコリを飲んでみた。


抱川一東(イルドン・ポチョン)マッコリ、
二東(イードン)マッコリ、
水刺(スラ)マッコリ、
ウリスルマッコリ・・・など。

中でも僕がいちばん
気に入ったのは、
水刺(スラ)マッコリだ。

とろみが強く、
味も香りも濃厚で、
その分やや「クセ」もある。

あえてたとえるなら、
乳酸菌系飲料の
『マミー』のような味わいだ。


抱川一東(イルドン・ポチョン)マッコリは、
水刺マッコリに比べて、
さらりとした口あたりだ。

水刺マッコリが『マミー』なら、
抱川一東マッコリは
『カルピス』といったところだ。


二東(イードン)マッコリは、
瓶入りと紙パック入りとがある。
上の2銘柄に比べると、
やや酸味が前に出ていて、
「まろやか」というよりも
「苦み」が利いた感じで、
飲みごたえがある。


ウリスル・マッコリは、
「生きているマッコリ」で、
自然発砲の泡がある。

日本酒のにごり酒でも
同じような種類があるけれど。

酵母が元気な状態なので、
口あたりは炭酸飲料のようだ。

僕の買ったものは、
キャップに空気穴が空いていて、
30日、60日、90日と
好みの状態で飲むことが
できるものだった。


・・・マッコリ・レポートは
これくらいにして。

話は本題へ。


マッコリがうまかった、
という友人に、
自分のお気に入りである
水刺(スラ)マッコリを勧めてみた。

しばらくして、
彼の家に遊びに行ったときのこと。


「どうだった、マッコリ?」


と聞くよりも先に、友人が、
水刺マッコリの瓶を持ってきた。

マッコリの瓶は、
開封しただけでほとんど
飲まれていないような状態だった。


「俺、ちょっと飲めんかった」


もったいない、と思った僕は、
毒味のような感じで
ひとくち飲んでみた。

口に含んだ次の瞬間、
流しに向かって吐き出した。

開封して時間の経ったマッコリは、
まずくてとても飲めるような
状態ではなかった。


ここで思ったことが、
いくつかある。


まずひとつ目。

たとえば、
おいしいワインが
あったとしよう。

これを人に勧めるとき、

「ワインってうまいよ」

とは誰も言わないはずだ。

いまどき、
ワインの知識もある程度広まり、
少なくとも「赤」とか
「白」とかの種類があることくらい、
近所のおばちゃんでも
知っているはずだ。

だから、
人にワインを勧めるのに、
せめて赤か白かは最低限、
言いそうなものだ。

産地に関しても。

イタリアなのか、
フランスなのか、
はたまたチリなのか。

「あれ・・・
 スペインだったっけな、
 イタリアだったっけな」

もし忘れてしまったとしても、
ヨーロッパなのかアメリカなのか、
それくらいは覚えているはずだ。

裏のラベルに
目を通していたのなら、
何か「手がかり」は
残っていそうな気がする。

そのワインが「甘い」のか
「酸っぱい」のか「苦いのか」、
または「重い」のか
「軽い」のかなど、
一応は目安が書いてあるのだから。

ソムリエでなくても、
一般的な位置づけだけは
表現できそうなものだ。


ラベルに書いてある感想と、
飲んだ人との感想とが
違ったとしても。

僕は、どちらも
「間違っていない」と思う。

実際に飲んだその人が、
「そう感じた」のだから。

ただ、
「どちらを信じるか」と
いうのは、また別の問題。

「どちら」というより、
「どれを」という具合に、
意見を部分的に採用する場合も、
ときにはある。


ワインは、ほとんどの
リカー・ショップで売られている。
マッコリは、まだまだ
置いていない店が多い。

だから、まだまだ
「行き届いていない」ことも
あるかもしれない。


だから、
こんなことを思った。


しっかりと銘柄まで
覚えていたとして。

さらに、写真や絵などを
使ってまで説明したとしよう。


「このマッコリがうまいんだよ」


そう勧められた人が、
せっかく同じ商品を見つけたのに、
たまたまそれが、
「コンディションの悪い」
マッコリだったとしたら。

初めて飲む人にとっては、
「正解」が分からないのだから。

傷んでいるのも、
酸化が進んでいるのも、
判断しようがない。

あくまで今飲んだ「それ」が、
「ベーシックなもの」
として位置づけられるのだ。


「マッコリどうだった?」


後日、勧めた本人が
聞いたとしても。

「ううん・・・ちょっと、
 合わないみたい」とか、

「まずくて飲めたもんじゃない」とか、

そういう答えしか
返せないだろう。


そうなると、

「あれ・・・そうか。
 俺の舌がおかしいのかなあ」とか、

「いつのまにあいつと
 味の好みが合わなくなって
 きたんだろう」などと、

疑問に思わないとも限らない。
現に僕は、少しだけ思った。


ある意味「引きの強い」友人なので、
またしても「はずれ(または当たり)」を
引いた可能性がゼロとは言えない。

だからこそ今回、
いろいろなことを思ったのだ。

いい意味でも悪い意味でも。

日本の商品には
「ムラ」がなくなってきている。

いや、
「ないのが当たり前」
といった風潮すらある。

同じものを、同じ環境で、
できれば同じ空間で
「いっしょに」味わって(体験して)。

それで出てきた意見は、
同じ土台に立っているので、
お互い比較しやすい気がする。

厳密に言えば、
そういうことになる。

商品のコンディションだけでなく、
自分のコンディションや
シチュエーションも
無関係とは言えない。

体調とか、自分の旬だとか、
タイミングとかもいろいろあるし。


出会った「もの」を、
好きになるのか嫌いになるのか。


まあ、そういうのが
「縁」なのかもしれないとも
思ったりした。

昔から、

『出会いは億千万の胸騒ぎ』

と言われているように。

わくわくしないような
「出会い」、または「出会い方」は、
「出会い」などではないのでしょう。


最後にもうひとつ。


音楽を聴いていて、

「曲が終わるまで、
 電源を切れないときがある」

という僕に対して、
友人のひとりはこんなふうに答えた。

「車に乗って聴いてるとき、
 あんまり気持ちがいいから
 そのまま家を通りすぎて、
 真っ暗な道をずっと走り続けてた」


みんな、
同じことをやっても、
それぞれ違う。

違うから、おもしろい。

だからみんな、おもしろい。


< 今日の言葉 >

「ケーキとパイが好き。
 キャンディはそれほどでもない」

ウィル・スミス (徹子の部屋にて)

2009/02/18

高校教師 〜ぼくたちの失態〜




高校生のころ、
非常勤の数学教師がいた。

本来の数学の先生が産休になり、
代わりを勤めることになった
男性教師だ。

年齢は27歳(当時)で、
細いスチールフレームの
メガネをかけた、
若くして髪の毛の薄い、
ややしゃくれ気味の男性だった。

僕らは彼のことを、
下の名前で「ヨシ」と呼んでいた。


彼は、教員試験を
何度か受けていたらしいが、
まだ「合格」はしていなかった。

だから、というわけではないが。
あまり威厳がなく、
たいていの生徒になめられていた。

授業中、彼の話を
聞く者はほとんどおらず、
居眠りや雑談をしている
生徒ばかりだった。


「次って数Ⅱだよね?
 じゃあ弁当でも食べよっと」


といった具合に。

ほぼ「自由時間」の
ような扱いにされていた。

当の本人も、
生徒に背を向けたまま、
黒板に書いた問題を
ひたすら解き続ける、
という授業スタイルを貫いていて、
かなり一方通行な
授業だったような印象がある。


そんなヨシのことを、
僕らは嫌いではなかった。

僕ら、というのは、
僕とその友人グループのことだ。

1年のときに
同じクラスだったメンバーで、
クラスがバラバラになっても、
何かと一緒につるんでいた。



とある休日。

僕らは、PARCOで
買い物などをした。

日も暮れはじめたころ、
行く当てもなくなり、
時間をもてあましはじめた。

高校生の僕らは、お金がなかった。
けれど、時間だけは売るほどあった。


「ヨシん家でも行こうか」


たしか、言い出したのは、
僕だった気がする。

以前に1度、
ヨシの家に遊びに行ったことがあり、
僕らは彼の家を知っていた。


前回はきっちり「約束」を
した上での訪問だったが。

今度はたんなる「思いつき」の
「突然」の訪問だ。


いまにして思えば、
そうとう迷惑な話だ。

PARCOの近くで、
ヨシの家に電話をすると、
「運良く」彼は家にいた。

「今から行く」

ということを一方的に告げて、
電話を切った。


地下鉄に乗り、
最寄り駅から歩くこと10数分。
僕らはヨシの家に到着した。

呼鈴を鳴らすと、
「はい」と、
怪訝(けげん)そうな声が
返ってきた。


「ヨシ、遊びにきたぞー」

友人のひとりが言った。


「なんだ、お前ら、
 本当にきたのか?!」

ドアのすきまから、
ヨシが答える。


「ウソなわけねぇだろ」

「お前ら急にきて何だ。帰れ」

「はぁ? せっかく遊びに
 きてやったのに何だ、その言い方」

「そうだぞ、ヨシ。
 とりあえず寒いから中に入れろ」

「ダメだ、帰れ」

「いいから早く入れろって」

「なに言っとんだ、
 ダメだって言っとるだろ」

「まあ、いいから。すぐ帰るって」


・・・そんなやり取りの末。


結局、ヨシは「ほんの少しだけ」
という約束で中に入れてくれた。

僕らの訪問を
喜んでくれると思ったのは、
手前勝手な妄想だったらしい。

そして。

入るなり僕らは、
台所を物色しはじめた。

なにしろ、腹が減っていた。

友人がポテトチップスの袋を手に取り、
いまにも開けようとしていた。

「あかん、それはオレの夜食だ!」

すぐさまヨシの手が伸びる。
が、友人のよける方が早く、
そのままバスケの要領で「パス」を回す。

数回パスを回したところで、
あまりにマジなヨシを見て、
宙を飛び交い続けた
ポテトチップスを彼の手に返した。

そうこうしているうちに、
最初にポテトチップスを見つけた友人が、
また別のターゲットを発見していた。

「なめたけ」の瓶だった。

なめたけもヨシに
取り上げられた友人は、
よほど腹が減っていたらしく、
味付け海苔の容器を抱えて、
ぱりぱりと頬張りはじめた。

それは許したのか、
それともあきらめたのか。
ヨシはもう、
海苔を食べ出した友人を
止めようとはしなかった。


狭く、散らかって、
汚れた部屋。

洗濯物や『校内写生④巻』など、
所かまわず物が散乱していて、
男4人(ヨシと僕ら)が落ち着くには、
以前にも増して居場所がない。

立ち話のような格好で、
「早よ帰れ」
「すぐ帰るって」
というような不毛なラリーが
交わされていた。


いつでも言い出しっぺの僕は、

「同じことをやっても、
 最後は悪い気持ちにさせない」

というのがモットーだった。

きれいごとでも、いい格好しいでもなく。
ただただ「小ずるい」知能犯。

とんでもないことに
巻き込んだりしても、
何とか言いくるめたりして、
最終的には
「まあ、しょうがないか」
という気にさせる。

終わりよければすべてよし。

最後に笑えればいい、と。
そう思っていた。

まあ、「被害者」の側から見れば、
「同じ穴のムジナ」でしか
ないのだけれど。


ヨシをなだめるべく、
さりげなく世間話などを
しているときだった。

友人が、電話の横にある
名簿に気づいた。

彼(友人)はひとり、
「にやり」と笑って、
受話器を取ると、
おもむろに番号を押しはじめた。


「ねえ、何色パンツ履いてるの?」


これは、彼が「いたずら電話」を
するときに使う、常套句だった。

彼はいつも
「何色のパンツ」とは言わず、
なぜか「何色パンツ」と言うのだった。

友人の「電話」はなおも続く。


「オレはヨシだ。ねえ、
 いま何色パンツ履いてんの?」

「オイ、コラ!
 何やっとるんだ!」


ヨシの怒号が飛ぶのも、
当然すぎる結果だった。

だが、そこから先は、
僕の予想をも上回る、
およそ「無軌道な」展開が待っていた。


「おい、何やっとるんだ、お前!」


「何をしているのか」と聞かれたのではなく、
「何をしているんだ」と注意されたはずなのだが。
友人は、言葉どおりバカ正直に、
「質問」への「答え」を返した。


「あぁ? イタ電だぁ」


しかも、
『ビーバップ・ハイスクール』ばりの
「すごみ」を利かせて。

そのときばかりは、
「こいつ、全力でバカだな」
と僕は思った。


次の瞬間。


普段は「温厚で」暴力とは
無縁に見えるヨシが、
ずいっと詰め寄り、
友人の頬を平手で打った。

ぱん、

という乾いた音の
余韻が消える間もなく。

まるでバネじかけの
おもちゃのように、
友人の拳がヨシの頬を打った。

鈍い、
打擲(ちょうちゃく)音。

「ぱん、ベチ」

ビンタとパンチが、
小気味よいテンポで往復した。

最初から「1(ワン)セット」の
ように、戸惑いのない、
まったく無駄のない動きに
見えたから不思議だ。


あとから友人に
聞いたところによると、

「殴る気なんてなかったのに、
 思わず反射的に手が出てた」

とのことだった。


ビンタにパンチが続いた後、
ヨシと友人は、
無言のまま腕をつかみ合い、
散らかって狭い足場で
必死に組み合っていた。

その傍らでは、
もうひとりの友人が、
ぱりぱりと味付け海苔を
食べ続けている。

切れ切れの言葉を
漏らしながらつかみ合う、
27歳の男と、高校2年の男子。

ちらりと注がれた友人の目が、
僕に「止めて」と訴えかけて
いるように見えた(実際そうだったらしい)。

すかさずあいだに入り、
「まあまあ」といった感じで
仲裁する。

そこで僕は、なぜか
大人ぶった口ぶりで、


「イタ電をしたのは、
 こいつが悪い。
 それは謝るべきだ。
 けど、殴ることはないだろ」


と、まるで第三者の
ような感じで、
エラそうに言い切った。

ヨシにしてみれば、
「お前が言うな!」と
突っ込みを入れたく
なったことだろう。


まったく、何が「正しい」のか。
倫理も正義もあったもんじゃない。


それでも、
もみ合いは何とか収まり、
僕らはすごすごと
ヨシの家をあとにした。

そして玄関先に向かって、

「ごめんなー、ヨシー」

と3人で「詫び」を入れ、
苦々しい思いで夜道を歩いた。


自分たちの行為を反省しつつも。
あまりのバカさ加減に、
情けなくて涙が出るどころか、
思わず苦笑いが
こみ上げてくる始末だった。

・・・まったく、程度の低い、
どうしようもないバカどもだと。

わがことながら、
つくづく愛想を
尽かしたくなるような出来事だ。


もし、自分がヨシだったら、
3人のガキどもを簀(す)巻きにして、
用水路にでも
放り込んでいたことだろう。


僕らは、
まともなアタマを持たない、
はた迷惑なバカ高校生だった。

なぜ、そのときは
気づかなかったのか。

なぜ、誰も止めようと
しなかったのか。

それが不思議で仕方ない。

バカが暇をもてあますと、
ろくなことをしないという、
いい証明だ。

この場を借りて、
あらためてヨシに謝りたい。

ごめんな、ヨシ。


< 今日の言葉 「どっちなの?」 >

・『とっとこハム太郎ソーセージ』って、ハムなの?

・「ありがとな、またな、社長」
 (巣鴨の100円ショップで、外国人女性が言っていた。
  「社長」って呼んでるわりには「な」って)

・「朝からランチパック」(それって朝食? それとも昼食?)