2016/10/31

偶然最後の日











平成のこのご時世に、

携帯電話も持たなければ、

車にカーナビ(ゲーション)もついていない。


ある意味、時代遅れのこのわたくしは、

下調べや計画というものが好きではない。



となると、

どこかへ出かけるにも、

たいていは無計画で、

なんとなく、ざっくりとした「目的地」があるだけで、

あとはその場、そのときの流れに身を任せて、

出先をぶらぶら歩き回る。


往復4時間/14キロに渡る山道に出会い、

革靴を履いたまま、

いきなり本格的な山登りをはじめてしまうこともある。


有名な観光地や景勝地に行っても、

「見るべきもの」を見ぬまま、

「食べるべきもの」も食べぬまま、

帰ってくることも少なくない。


それでも、

何かしらの発見や出会い、

驚きや感動があるからおもしろい



行き当たりばったりの、偶然の風。


そんな風にそよそよ吹かれながらの旅路も

よいものであります。



今回は、そんな「出会い」の一幕をお話しいたします。











何度か訪れたことのある街の、商店街の一郭。

何となく気になる、一軒の定食屋さんがあった。


お店の前は何度か通りがかっていたが、

時間やおなかの減り具合などのタイミングが合わず、

店先を通過してばかりだった。



ようやくにして入ることができたその日。

その日が、そのお店の「最後の日」だった。














ぼくは、

初めて入るお店の場合、

そのお店のメニューにハンバーグがあれば、

ハンバーグを注文することが多い。


ハンバーグは好きだし、おいしいし、

ハンバーグの具合(ハンバー具合)や

添えられた品目など、

お店によるちがいを見るのがたのしいからだ。



ということで、

ここでも「ハンバーグ定食」を注文した。

壁に貼られた紙を見て気になった「玉子焼」も

単品で注文した。














注文は、

白い、ギャルソンタイプのエプロンをした

やさしそうなおばちゃんが聞いてくれた。


ビールの銘柄が印刷されたコップに注がれた、

よく冷えた緑茶。

たくさん歩いて喉も乾いていたので、

すごくおいしかった。


厨房には、

白衣を着た大将の姿があった。

ご夫婦おふたりで営むお店のようだ。


昼下がりの、午後2時過ぎごろ。

店内には、ぼくのほかに、

ボブ・ディラン氏に似た感じのおばあさんがいらした。

おばあさんは、

入口付近の席にひとり、

入口に背を向けた格好で座っていた。


ぼくのあとには、

入口に向かって座るぼくの横(というか前)の席に

やや若いおじさんが座って、

ラーメン定食を注文した












注文を待つあいだ、

のんびりと煙草を吹かしながら、

店内のようすを見たり、

入口から注ぐ陽光を背後から浴びた、

ボブ・ディラン似のおばあさんなどを眺めてすごした。



おばあさんのもとに、料理が運ばれてきた。

「玉子焼定食」だった。

湯気をあげる、黄色い「玉子焼」。

ははぁん、玉子焼はあんな感じか、

などと眺めていたとき、

お店の引き戸がからからと開いた。


戸口から、ひとりの女性が顔をのぞかせた。

その女性は、お客さんではなかった。


「イベントがあるんですけど、

 お店にポスターを貼らせていただけないでしょうか」


丸まったポスターを広げながら、

お店のおばちゃんにそう訊ねた。


「うち、今日が最後なんですよ」


(えっ?)


その言葉に、ぼくは、

声もなくおばちゃんへと顔を向けた。


「うち、今日でもう店閉めるんですよ」


追加されたおばちゃんの言葉で、

おぼろげだった輪郭が、

明確なかたちにまとまった。



(ええっ!)


まるで「無関係な」はずのぼくは、

驚き、衝撃を受け、

一瞬、感覚を失った。



その言葉を聞いてからの数秒間は、

まるで時間も動きも

その場に釘付けされたかのように、

しんとして長く、

入口から注ぐ陽光ばかりがまぶしかった。



(今日で、最後・・・って)


あとにつづいた感覚は、

「泣き笑い」のような気持ちだった。


数年前から見知っていたお店に、

ようやくにして初めて入ったその日が、

偶然にも、そのお店の最後の日、とは。



悲しみの失笑。


失礼な感覚かもしれないが。

笑いと、涙が同時にこみ上げてくるような。

そんな「ややこしい」感情だった。



長い、一瞬のあと。


「・・・そうですか」


ポスターを持った女性が、

言うべき言葉を見失ったような感じで、

ぽつりと言った。


ほのかな逆光でシルエットになったその女性は、

影絵のような感じでくるくるとポスターを巻き直し、

ぺこりと頭を下げて店先を去った。


お店のおばちゃんは、

何ごともなかったようにまた仕事に戻った。


おばちゃんが、

少しだけさみしそうな顔に見えたのは、

逆光のせいか、それともぼくの思い込みのせいなのか。


ボブ・ディラン似のおばあさんのようすを

はたと見る。


おばあさんは、先と同じくゆったりと、

静かに、玉子焼定食をほおばっていた。



ほどなくして、

顔なじみらしき男性が入ってきた。


そのおじさんは、

ちょっと迷ったあと「いつものやつにするわ」と

注文をすませ、


「お店の写真撮ってもええかな」


と、席を立った。


今日が最後だと知っていた常連さんが、

カメラを持って「最後の食事」を食べにきたのだな、

と思い、

ますます「最後感」がつのって、

一見(いちげん)客のはずのぼくの胸まで

きゅうっとなった。



思いほか早く店内に戻ってきたおじさんは、


「逆光でうまく撮られへんわ」


と、おばちゃんに言った。


入口は、通りから注ぐ光に

やや「逆光」となって見えるが。

実際には、お店の背面側から太陽が照りつける時間帯だった。

つまり、お店の外観正面を撮影するには、

ちょうど逆光となってしまうようだった。


「また今度、撮りにくるわ」


席に落ち着いたおじさんに、

お店のおばちゃんが、静かに言った。


「うち、明日で店閉めますねん」


「え!」

驚きに顔を上げるおじさん。


先ほどは「今日」と言っていたおばちゃんだが。

よく見ると、おじさんの座る席の壁に、

1枚の手書きの貼紙があった。


そこには、


『21日をもちまして閉店いたします』


と記されていた。


入ってすぐ目に留まったとき、

臨時休業日のお知らせだろうと思ったその紙が、

まさか、お店の「最後」を知らせる貼紙だった。


顔なじみのおじさんにとっても、

どうやら初めて聞いた話だったようで、

ずいぶんびっくりしたあと、

声を落しておばちゃんに聞いた。


「なんで閉めるの?」


一見のぼくにはとうてい聞けない、

大切な質問だった。


「年いったから、もう閉めようかと思って」


おばちゃんのこたえは、

簡素で、実直だった。



「絵、描こうと思て。

 そんで写真、撮ろかな思たんやけど・・・。

 いやぁ、明日で最後かいな」


おじさんが、残念そうに言った。


「この店、ここらへんでも

 昭和の雰囲気が残ったいい店やから」


「ありがとうございます」

おばちゃんが、微笑みながら会釈した。


「明日で、終わりなんや・・・そうか、明日で終わりか


なかばひとりごとのように

何度かつぶやいたおじさんの「いつものやつ」は、

うどん定食だった。
















このお店は、先代から数えて73年、

おばちゃんたちご夫妻が継いでからは

52年、営業してきたそうだ。


73年。52年。

どちらにせよ、ぼくよりもっと歳上だ。


そんな長きに渡って営業してきたこのお店に、

初めて入ったその日が最後

いや、

最後の日の前の日、だった。


はじめに「最後」と聞いたせいで、

今日が最後の前の日だと正されても、

もはや印象は変わらなかった。



たしかに、

ポスターの掲示をお願いにきた女性に、

あと1日だけ貼ってもらうのも

もったいないだろうし、

いろいろ思ったおばちゃんは、

分かりやすく、説明を省いて

「今日が最後」だと言ったのだろう。


その「うそ」は、

本当じゃないけど「正しい」と思う。




ハンバーグ定食は、

手づくりの、やさしい感触と、

しっかりとつくられたおいしさがあった。


食べたらまた、

泣けてきそうになった。



ハンバーグ定食を食べはじめてしばらくして、

おばちゃんが、


「あ、玉子焼」


と、ぼくのほうを見た。


「あ、もういいですよ。

 頼みすぎたくらいだったんで」


と言うと、


「すんませんねぇ」


と、申し訳なさそうに頭を下げた。
















ハンバーグ定食を食べ終わり。

煙草を吸ってお茶を飲んで、

お代わりのお茶も飲み干して。


少しかけたガラスの灰皿も、

もう明日で最後なんだなと思うと、

なんだかさみしく感じた。


何年ここにあったのだろう。

何人のお客さんが、

煙草の灰を落してきたのだろう。


おそらく60年代のものと思われる

型ガラスの灰皿は、

何も言わず、白い卓上に淡い影を投げかけていた。



花瓶に生けられた赤いバラの花は、

みずみずしく、生き生きと咲いている。


明日が最後だ、なんていう顔つきは、

店中どこを探しても、

これっぽっちも見当たらない。



知らなければ、

自分とは関係ないまま、

何ごともなくすぎていったことなのに。

偶然、それを知ってしまった。


ただ、それだけの「偶然」だった。



少しのあいだ

お店のなかをゆっくり見回したあと、

お会計に立った。


「ごちそうさまでした」


「すんませんでしたねぇ」


「いえ、ごちそうさまでした。おいしかったです」


「長いあいだおつかれさまでした」と。

労いの言葉のひとつでも伝えたいと思ったのだが、

さしでがましい気がしたので、

心のなかで言うことにした。



「ごちそうさまでした」


厨房奥のおじちゃんにも声をかけ、

少しばかり待ってみたのだけれど。


ついぞふり返ることなく、

割烹着の白い背中は、背中のままだった。













お店を出ると、

うどん定食のおじさんが、

お店の写真を撮っていた。


ぼくも、横に並んで写真を撮った。



最初が偶然最後だった、定食屋さん。


また今度、お店の前を通りがかったとき。

外観だけでも残っていたらうれしい。











偶然訪れた界隈を、

偶然また通りかかって。


数年前と同じだったり、ちがっていたり。


そんな「再会」もあったりする。



たった数年で、

変わるもの、変わらないもの。



変わらないことがいいことなのか。

変わりゆくことがいいことなのか。



それは、最後まで分からないことだ。


もしかすると、最後になっても

分からないことなのかもしれない。



ぼくは、変わらないまま、

変わっていきたい。



変わっているのはキミのほう。

アイツがオレで、オレがおまえで。



変わらないものは、

ずっと変わらないものです。






(おまけ)


 先の定食屋さんからほど近い場所。

 数年ぶりに偶然前を通りかかった記録です。







2009




同上







2016





同上








以上、今回の報告は終了です。


ご清聴、ありがとうございました。




次回もまた見てネ!




< 今日の言葉 >



any more(エーニモォ) 描けない うつくしさ

(童謡『うらしま太郎』より/これ以上描けないほどのうつくしさ。