2012/12/06

純喫茶ローレンス 〜2時間ちょっとの物語





























昼下がりの午後。
一軒のお店に立ち寄った。


「純喫茶ローレンス」。


たまたま見つけて、
ふらりと立ち寄った一軒のお店。


その店は、古いビルの3階にあった。
屋上にそびえる「ローレンス」の看板は、
遠くからでもすぐに目につき、
屋根から伸びる螺旋(らせん)階段のシルエットが
新鮮だった。









































さびた手すりと、ひび割れたコンクリート。

年月の集積を感じるたたずまいに、
入らずにはいられなくなって、階段をあがる。














薄暗い階段をのぼり切ると、
洞窟のように暗い廊下がつづく。

その廊下を突き当たった先、
左手にお店の入口がある。
上辺に半円状の「はめごろし窓」のついた入口。

木枠の扉にはまった6枚のガラスは、
店内からこぼれる外の光できらきらと輝いていた。


真鍮の取手に手をかけ、扉を開ける。
カランコロンカラン、と金属音がにぎやかに鳴り響き、
「お客」のぼくを迎えてくれた。




その音が、この「物語」のはじまりを知らせる
チャイムだったのかもしれない。






























物はたくさんあるのに、
人気のない店内。


ゆったりとした音楽の中に、
ひとりの女性がたたずんでいた。
























ロウソクほどの明かりが灯る薄暗い店内、
窓からさす自然光に一瞬、逆光でよく見えなかったけれど。

そのシルエットに、
長い髪の、女性だということは分かった。


「あの、お食事大丈夫ですか?」


「はい、大丈夫ですよ。ちょうどよかった。
 今日は用事を済ませて、いまちょうどお店を開けたところですから」





















































お店の壁時計は、
午後1時15分ほどを差していた。



店の暗さに目が慣れて、
ようやくお店の女性の姿もつぶさに見ることができた。


胸まで届く長い髪はつややかに黒く、
前髪は目の上でまっすぐに切りそろえられている。

手編みのような風合いの、青色系のニットを着て、
下は細身の黒っぽいパンツを履いていた。

足もとは、
登山用のトレッキングシューズのようなデザインの、
キャラメル色のスゥェードに
えんじ色の布地を使った靴を履いていた。


「寒いですね。どこからお越しですか?」


「名古屋からです」


「そうですか。ようこそこちらへ」



























そしてそのまま、
店内の「内装」に目を奪われて、
入るなりうろうろと見て回るぼくに、
お店の女性があれこれと語りかけてきた。



「あそこのお席は、作家の五木寛之先生が
 よくお座りになられていたお席です」


その話がしばらくつづき。


「今日はこの時間にお店を開けましたけど、
 もっと遅いときもありますし、もっと早い時もありますから」


今日、お店に来るまでのできごとがしばらくつづいた。


「あ、どららのお席に座られても構いませんよ」


そう言って席をうながすお店の女性に、


「この絵、いいですね」


と、目についた鉛筆画を指差した。

ハンス・ルドルフ・ギーガー氏のような、
宇野亜喜良氏のような。

それよりもさらにどろりとした、
60年代後期のにおいが漂う、
決して明るいとは言いがたい絵だった。


























「そうですか。ありがとうございます。
 それは私が描いたものなんです。
 昔、若いころは学校で絵を勉強してたものですから」

女性は、ぺこりと頭を下げて、
さらにつづけた。

「でも、私の年代くらいのみなさんは、
 気持ちが悪いからはずしなさい、って言うんです」


その意見は、たぶん「正しい」。

けれど、ぼくはその絵がここに
飾られてることが「正解」だと思った。


「あ、すいません。どうぞご自由に、どうぞ。
 これなんかは私がつくったんですけど。
 拾ってきたものばかりなので、
 材料費はほとんどタダなんですよ。
 この部分は、100均で買ってきた粘土で
 つくったんですけどね」


お店のことをはじめ、
あちこちに飾られた「作品」など、
あれこれと説明をしてくださるお店の女性に、
感嘆の声をもらしたり、質問をしたり。

席に座る前から、店内をぐるっと見て回り、
お店の女性にいろいろ説明を聞いた。



























お店の女性は52歳(といっていたように思う)。
なるほど。
お父様の代から営業しているだけあって、
かなり時間を蓄積した感がある。


まだ、暖まっていない店内に、
ヨーロッパの教会のような音楽が響いている。

店内の雰囲気もあるけれど。
高い天井とコンクリートの壁面に反響して、
本当に教会の「ホール」のような音響に聞こえた。

ふと見ると、
冷蔵庫の横に置かれたターンテーブルで、
レコード盤がくるくると回転している。

DENONのレコードプレーヤーだった。


「この曲、なんていう曲ですか?」


「これはJohn Dowland(ジョン・ダウランド)という、
 1600年代のイギリスの作曲家の音楽


そういって、レコードジャケットを見せてくれた。
























《John Dowland/LACHRIME, OR SEVEN TEARS》

1970年代のレコードで、
演奏者は、ダウランド・コンソート/ヤコブ・リンドベルイ。
ものすごくバロックな感じの音楽だ。

※よければ参考までにこれを流しながら読んでみてください。


「現代(いま)の人は、忙しい忙しいって言ってるけど。
 こういうゆったりした音楽を聞いて、ゆっくり歩いて、
 ゆっくり生活すれば、心ももっとゆったりできると思うの」


たしかに。

重厚で荘厳な音色の音楽のせいで、
空気感だけでなく、時間も空間もすべて塗り替えられて、
町のかたすみにある「喫茶店」が、
まるで中世の教会の中のように感じられた。

いや、それ以上にどこか異世界の、
異空間のように感じなくもない。


そんなこんなで。


ようやく座る席を決めたぼくは、
上着を脱いで、手荷物を置いた。

それでも落ち着かず、
けっきょくすぐまた席を立って、
店内をうろちょろしはじめた。
































気になるものが多すぎて。

気になることが多すぎて。

ずっと興奮しっぱなしだった。

おかげで写真もぶれっぱなしだ。


店内の至るところにちりばめられた植物たち。
どれも茶色く枯れていて、
朽ちてしなびた植物ばかりだった。

けれども、悲壮な感じはしなかった。






























水分を失った花や草木は、
牧草の干し草みたいな感じで、
どれもがやさしく、大人しく見えた。

枯れた草木が「生い茂って」いるせいで、
ここが「中(室内)」なのか「外(屋外)」なのか、
ふと、分からなくなる瞬間が度々あった。



























よく見ると、
あちこちに木の実や果実なども置かれている。
シイの実、トチの実、ウズラ豆。
マツボックリやネコヤナギ。


「私はね、何でも拾ってきちゃうの。
 捨てられちゃう前に、朝早く行って、拾ってくるの。
 今日もこんなのを拾ってきたのよ」


と、30センチくらいはありそうな
ビワの葉っぱを見せてくれた。


「これは何ですか?」

テーブルの上の、
表面にひびのようなシワがたくさん入った、
赤いものを指差し、聞いてみた。























「それはピーマン」


「えっ、ピーマン?!」


「そう、ピーマン」


ひからびて縮んだピーマンは、
辛子明太子のような感じだった。

すぐそばには、
梅干しほどの大きさに縮んだミカンもあった。


「人間も、いつかはこうやって枯れて行くんだから。
 こうして土に還って行くんだから。
 そうやってまた、植物の栄養になるわけでしょ。
 ここにある植物たちは、私に教えてくれてるの。
 自分がこの先、どうなるかってことを」


「いい栄養になれるよう、
 いろいろ吸収しとかないとだめですね」


「そうね、本当に」




そんなふうにして、あちこちに話が発展して。
注文を済ませないまま、30分くらいが経過した。

喉が渇いていたので、


「すみません、お水、いただいていいですか?」


と、言うと、


「あ、はいはい。いますぐお出しします。はい、どうぞ」


キッチンのようなエリアに入った女性は、
青いガラスのコップに水を注いで、
すぐそばのぼくに手渡してくれた。



























そこでようやく、
注文をする運びになった。

































やっと注文かと思いきや。

渡されたメニューを見て、
思わずぼくは「わぁっ」と声を上げた。

メニューの文字が、《ダイモテープで書かれていたのだ。


























うれしくなったぼくは、
自分のライターをポケットから出して女性に見せた。

ライターには、
自分の名前を刻んだダイモテープが貼ってある。


「私が持ってるのは、
 近所の文房具屋さんで買った、カラフルなやつ。
 最近のは、おもちゃみたいで、あんまり好きじゃないから」


そこでまた、
ダイモテープの話でひと盛り上がりして。

こんどこそようやく、注文をした。

正直、ずうっと腹ぺこで、
お店に入った時点でもう、
すぐにでも何か食べたかったところだったのだ。


「『SPECIAL SAND』って何ですか?」


SPECIAL SANDはね・・・」


・・・SPECIAL SAND(スペシャル・サンド)の説明。

腹ぺこのぼくは、残念なことに、
細かな説明をあまり聞き取ることができず、
ところどころの単語だけしか拾えなかった。

そんなあいまいな「情報」によれば、

「カステラをつくってる洋菓子屋さん」が、
「お店には出せないもの」だけど、
「特別に分けてくださる」といった感じのパンで、
「普通は買えないもの」らしい。


あとで思い返そうにも、
本当に記憶があいまいで、
自分でもびっくりした次第だ。

腹ぺこのぼくは、
何だかよく分からないけど
最初からそれを注文しようと思っていたので、
説明を聞くなりすぐに、

「それがいいです!」

と、元気いっぱいに答えました。


注文したのは、
『SPECIAL SAND』と『SPECIAL COFFEE』。

待ちきれずに立ち上がったぼくは、
キッチンスペースに近づいて、
お店の女性が調理するさまをまじまじと見ていた。


レーズンとクルミの入ったパンのかたまりに、
パン切りナイフを入れて、
3センチくらいの厚さに切る。

スライスした2枚のパンを重ねて置いて、
重ね合わさった内側の面にバターを塗り、
さらに縦方向に半分に切る。

それをオーブンに入れて、
表面がカリッとするまでトーストする。


できあがった『SPECIAL SAND』がお皿に置かれると、
そのままぼくは、それを受け取った。


























ゆらゆらと、
いいにおいのする湯気を立ちのぼらせるSPECIAL SAND

焼きたてのSPECIAL SANDを、
さっそくほおばる。


うまかった。


外のカリカリさ加減に対して、
想像以上に中がふんわりとやわらかで。

何だろう、この食感。

うっすら聞き拾った「カステラ屋さん」という単語が、
頭をかすめた。

ケーキのような、蒸しパンのような。
それでいて焼きたてのパンのような。

溶けたバターが、
しっとりと、また別のやわらかさを
生んでいる気がした。


いろいろな「魔法」がかけられた『SPECIAL SAND』。

とにかくそのおいしさに、
食べながらぼくは、笑みがこぼれた。



ゆったりとした間をもって、
コーヒーが淹(い)れられ、
コーヒーのいい香りが店内を満たす。

コーヒーを淹れながら、お店の女性は、
お店で使っているコーヒー豆の説明をしてくれた。

使っている豆は、コロンビア大使館御用達のコーヒー豆。
手に入れようとしても手に入らないものらしく、
ある知り合いの方から、入ったときにだけ、
ほんの少し、特別に分けてもらっている。

これがなくなれば、もうおしまい。
いついつまでに、この豆がどれだけほしい、
といって思うように手に入るものではない。

次はコスタリカ大使館御用達の豆が入る予定だと。
お店の女性が教えてくれた。


テーブルに運ばれたコーヒーは、
大きめのカップになみなみとつがれ、
ゆったり飲むのにちょうどいい量だった。



























蓮(はす)の花ような形のカップ&ソーサー。
カップは少しつぼんだ花の部分で、
お皿は開いた花びらのようで。

気になったぼくは、
お皿を手に取り、裏返して商標を見てみた。

『1965』という年代のあとに、
『LOTUS』という文字が見えた。

やっぱり蓮なんだ、と思い、


「このカップ、蓮の形なんですね。おもしろい」


と、言うと。


「いいえ、チューリップです」

別に否定するふうでもなく、
女性がさらりとそう言った。


「えっ、チューリップ?」

思わずぼくは顔をあげ、声をつまらせた。


「チューリップです」

女性はこともなげにそう言った。


「チューリップかぁ・・・」


たしかに。

お店の女性がそういうのだから、
このカップは「チューリップ」にちがいない。
ぼくは、そう思った。


コーヒーは、
さらっとしているのに苦みがある、
深い味わいのコーヒーだった。

以前、飲んだことのある「コピ・ルアック」というコーヒー
(ジャコウネコの糞から採取したコーヒー豆でれたコーヒー)
に似た感じの、やや土の香りがする味わいだ。


「私、何も言わずに、お店に入るなりメニューも見ずに、
 『コーヒー』って注文されるお客さまには、
 何も説明しないんです。それで、ほかのお客さまに
 『スペシャル・コーヒーって何ですか?』って聞かれて
 説明してると、先にもう飲んでいらっしゃったお客さまが
 『何で教えてくれなかったんだ』って言うんですよ。
 だって、何も聞かなかったじゃない。ねぇ。
 おもしろいでしょ?」


お店の女性は、そういって少し口もとをゆるめた。

本当に。
まるでお坊さんのような「とんち」だと思った。


「タバコ、吸ってもいいですか?」


そう聞いたぼくに、女性は、


「どうぞどうぞ。
 人生、好きなものを適度に楽しむことは
 大切なことですからね。
 私は何も、吸うななんて言いませんよ。
 お酒も、タバコも。
 いいアイデアを出すのにも、
 休息するにも、必要なものですからね」


と、灰皿を持ってきてくれた。


そこから、お店の女性の話に耳をかたむけながら、
すっかり食べ終わったスペシャル・サンドの余韻(よいん)と、
スペシャル・コーヒーとタバコをたのしんだ。
























お店の女性の「空想」の話。


その名も「ライフ・タワー」という、高層マンション。

建物の横に、
非常階段のような螺旋(らせん)階段があって。
ゆるやかなスロープのような階段は、
1階あがるのに「365段」ある。
4階に1度、「閏(うるう)」もあって。

歳を取るごとに、
住人は「1階」上にあがっていく。
年に1度の引っ越し。

つまりは、
自分の年齢の高さの「階」に住む、ということだ。


「自分の年齢の階の窓から見える景色を見ながら、
 目で、自分の歳を感じるわけなの。
 ね、おもしろいでしょ?」


たしかに。
ときどき14歳とか20歳の階まで下がってみたり、
80歳という高さを感じてみたり。
見える景色のちがいを感じるのは、おもしろそうだ。


「そのとなりに、もう1棟、別のタワーがあるの」

と、女性がつづける。


隣接するタワーは、
それぞれ、足、手、心臓、胃、肝臓など、
建物を人間の体に見立てたとき、
ちょうどそれぞれの部位にあたる部屋を設けるのだと。

循環器系、呼吸器系、消化器系、などなど。
血液や栄養素の通り道がそのまま、通路になっている。


ぼくの想像では、
ビルのてっぺんに「脳みそ」があって、
そこがビル全体の「頭脳」をつかさどっていて。

そのすぐ下の窓からは、
外の景色が見える展望台のような場所になっている、と。
そんな想像だった。

それぞれの臓器にあたる場所には、
レストランがあったり、薬局があったり。
そうやって人体の構造やはたらきを知ることができる、
おもしろい施設だと思っていたのだけれど。


お店の女性の話は、
ぼくの想像とは少しちがっていた。


「心臓なら心臓外科、
 胃や腸なら胃腸科っていうふうに、
 ぜんぶの科の病院がそろってるの。
 だから、救急車を呼んだり、
 たらい回しにされたりしないでも、
 すぐとなりのタワーの病院に行けるから。
 だからみんな、毎日安心に暮らせるの」


女性の話は尽きない。





















言の葉の話。


木の葉が落ちるとき、
木は、「言の葉(ことのは)」をささやく。

木は、言の「葉」をちらしながら、
言葉をささやく。

小さな木は、詩や、ちょっとした短編小説。
大きな樹は、文章や小説。

それぞれが「言の葉」をささやきながら、
言葉を積もらせていく。



自分のシナリオ。


人生は、
自分が監督であり、俳優である、
一編の映画だ、と。

だからこそ、
美しい「フィナーレ」を迎えたい。

「どうやって最期を迎えるか」

終わり方が重要だと、女性は言う。


「あと4年したら、
 このお店も50周年を迎えるんですけど。
 まだお店をつづけるか、それとも閉めるか、
 そのとき考えたいのよ。
 自分自身と相談しながら、どうするかを
 そのとき決めたいと思うの」


「もしつづけられるなら」と、女性。


「そうしたら、金土日はお店を開けて、
 月火水は、子どもたちに絵を教えるための
 絵画教室を開くの」


「木曜はお休みの日ですか?」


そう聞くぼくに、女性は首を横にふって、


「木曜日は通院日」


と、まっすぐに言った。




「REST  THE  REST」という言葉。

これは、女性が考えた言葉だそうだ。


「前の『REST』は、『休息』とか『死』を意味する『REST』で。
 後の、冠詞のついた『THE  REST』は、
 『残されたもの』という意味の『REST』。
 同じ『REST』でも意味はちがうの。
 死や、休息から残された者。
 つまり、いまの私たち。
 だから死ぬことを意識しながらも、
 精一杯、生きなくちゃいけないの」



お店の中にちりばめられた、
数々の作品たち。












































ひからびた植物や種、エノキやミカンなど。

それを標本のように並べた箱の作品。


麻ひもをほどいてつくった、
鳥の巣のような「座ぶとん」。

お店の女性が、作り方を教えてくれたのに、
ぼくは途中で飽きてすぐにやめてしまった。

それでも女性は、気を悪くするでもなく、
手も口も止めずに、あれこれ説明をしつづけた。

























シャツとかを買うとついてくる厚紙や、お菓子の包装紙など。
みんなが持ってきてくれた「画用紙」たち。

そんな「画用紙」に、
サンクスで買った53円の鉛筆で描いた絵。


「みんながいつもどうぞって言って、
 持ってきてくれるの。
 そんなので私は描いちゃう。
 お金なんてかけなくても何でもできるの」


それは、女性の「芸術」というものに対する、
主張のようでもある。



「ほら、こうやって、これをこっちに置いて。
 こうやってみたりして。
 こうやって私、いつもひとりで遊んでるの」


タワシのような繊維でつくった人形を手に、
こっちに座らせたり、あっちに立たせてみたり。

窓から差し込む自然光を浴びて、
手づくりのおもちゃでお人形さんごっこをする姿は、
けがれのない、無垢な少女のようだった。


そのとき流れていた音楽。


あとで調べて聞き返してみたところ、おそらく、
ジョン・ダウランドのリュート歌曲集、
《流れよ、わが涙》に入っている
《リュート歌曲集[巡礼の慰め]から『時よ、しばらく飛ぶのを待て』
という曲だったように思う。


その歌は、まるで天使の唄声のようで、
もしかすると、ここは天国なんじゃないかと思ってしまうほど、
神々しく、透き通った唄声だった。


お気に入りの音楽と、
お気に入りのおもちゃに囲まれて、
無邪気に遊ぶ、黒髪の女性。


きっとローレンスの女性は、
みんなに愛されているのだろう。


きっといつもこんなふうに、
たくさんのたのしいお話で、
みんなを笑顔にさせているにちがいない。


もっとたくさんの言葉を聞いた。


もっとたくさんのことを感じた。


けれど、すべては伝え切れない



純喫茶ローレンスの魔法。

時計を見ると、3時30分。

気づくと2時間以上が経っていた。



帰りぎわ、ひからびて縮んだミカンや、
木の実なんかをおみやげにもらった。


「どれでも持って行ってください。
 私がいいって言ったものなら、どれでもいいですよ」



女性は引き出しから、
「おみやげ」を入れるための小袋を取り出し、2枚くれた。

ミカンとウズラ豆用のと、木の実用。

密閉式で口が閉まる小袋だ。


「これを見たら、今日のことを思い出せるでしょ?」


お店の女性が、うれしそうに言う。






「たのしい時間、どうもありがとうございました」


そういって店を出て行くぼくに、
女性は、深々と頭を下げて言った。


「こちらこそ、どうもありがとうございました。
 私の言の葉、忘れないでくださいね。
 私の言の葉を、届けてください。
 私の種を、飛ばしてください」



店の入口まで見送ってくれたお店の女性は、
扉に手をかけ、またひとつ、深くお辞儀をした。



「きてくれてありがとうございました」


































ふらりと立ち寄ったお店での「物語」。

魔法のような、映画のような「物語」。

背中で、カランコロンカラン、とチャイムが鳴り響く。


薄暗い廊下を抜けて、階段をおりると、
またもとの「現実」だった。



純喫茶ローレンスですごした2時間ちょっと。



ほんの2時間ちょっとの
できごとだけれど。


ローレンスの「種」は、
しっかりとおみやげにもらってきた。



一生のうちの、
ほんの2時間ちょっとの
できごとだけれど。


ぼくにとっては、
またひとつ一生忘れられない「物語」が
ふえたのであります。




< 今日の言葉 >


マイケル・ジャクソン好きの人は、
マイケル・ジャクソンのことを「マイケル」と呼ぶ。

「マイケルはやっぱりすごいからさ」と聞いて、
あえてマイケル・ジャクソンのことではなく、


1)マイケル・ホイ     のことを思い浮かべる。

2)マイケル富岡      のことを思い浮かべる。

3)ホワッツ・マイケル   のことを思い浮かべる。

4)何でも語尾に「マイケル」
  とつけて、お茶の間をにぎわせた人 のことを思い浮かべる。