2011/10/23

少年の心を持つおじさん 〜情熱的なKさん〜








以前、同じ職場(学校)に、
Kさんという男性がいた。

歳はたぶん、
40代後半くらいだったように思う。


情熱的で、まっすぐで、
独特の世界観を持ったKさん。

時代とか、流行とか、主流とか。
そんな潮流(ちょうりゅう)など眼中にないかのような、
オリジナリティあふれるKさんの個性。

いまはもう、
職場にはいなくなってしまったけれど。

ぼくは、少年のようなまなざしを持った
Kさんのことが好きだった。


ぼくがKさんを初めて見たのは、
汗だくで、地面に這いつくばって、
一生懸命、何かを削っている姿だった。

胸ポケットにたくさんペンを入れたまま。
夢中で作業するKさんの姿に、
ぼくは、


「あ、この人すごいな。
 この人としゃべってみたいな」


と思った。

そして「こんにちは」と、あいさつを交わした。

ひとことあいさつの言葉を交わしただけで、
会話らしい会話にはつながらなかったけれど。

それが、ぼくとKさんとの出会いだった。



Kさんは、主にデッサンなどの
基礎造形の科目を受け持っていた。

専門学校のほかに、
美術系の高校にも教えに行っていたKさん。

Kさんはいつも、大きなボストンバッグを抱えていた。
本当にバカでかくて、軽く4泊くらいはできそうな荷物だった。
ぼくは、その大きな荷物の中身が気になり、
Kさんに聞いてみた。


「あ、これですか。スケッチブックとか、あと、鉛筆とか、
 画材がいろいろ入ってるんですよ。
 画材を忘れた生徒に貸してあげたりするために」


なんと。

カバンのなかには画用紙やら絵具やら、水入れやら鉛筆やら、
たくさんの画材がごろごろと入っていた。


「新しい画材とか、使ったことのない画材とかも、
 試してもらいたいから」


と、メガネの奥で目を細めるKさん。


画材に混じって、
ぺしゃんこになった菓子パンなども入っていたりしたけれど。
Kさんは、生徒たちのことを思って、
いつもバカでかい荷物を抱えていたのだった。



Kさんはいつも、
ポケットがたくさんついたベストを着ていた。

釣り人やカメラマンがよく着ているような、
収納力抜群のポケット・ベスト。

その胸ポケットには、
ボールペンやマーカーなどの筆記用具の類いが
ぎゅんぎゅんに詰めこまれていた。

おそらく、20本くらいは入っていたように思う。

いまにもポケットが悲鳴を上げそうなほど、
ぎっちり詰めこまれたペンたち。

蛍光マーカーなど、
色ちがいのものなら複数本入っていても分かる気がする。
けれど、シャープペンシルだったり、ボールペンだったり、
同じような種類のペンが何本も入っているようにも見えた。


気になったので、Kさんに聞いてみた。

シンプルな答えだった。


「ぜんぶ、必要なんですよ。
 人に貸したりもできるし」


妙な説得力を持つKさんの言葉に、
ぼくはそれ以上、追求することができず、
「なるほど」とあいづちを打つばかりだった。



Kさんと初めてまともにしゃべったとき。

それは、学校の懇親会のような催しの場で、
壁ぎわに立っていたKさんに、ぼくから声をかけた。


それまでに2回ほど校内ですれちがって、
そのときあいさつを交わしただけの関係だったのだけれど。
Kさんは気さくに、いろいろな話を聞かせてくれた。

キムチやヨーグルトなど、発酵食品の話にはじまり、
酵素の話、また、その酵素の研究を
友人がしているという話など、
興味深い話をたくさんしてくれた。

これからどんどん平均寿命が伸びて、
この先、人類はどうなっていくのか。

そんな話もしてくれた。


それ以来、顔を会わせると
あれこれ話すような関係になったのだ。



Kさんは、花粉症だ。

花粉の季節になるとものすごく大変らしく、
目や鼻がぐじゅぐじゅになって、
授業や作業どころではなくなってしまうそうだ。

「大変ですね」

というぼくの言葉を受けて、
Kさんが取り出して見せてくれたもの。


防毒マスク。


それまでに、
いわゆる花粉対策用のマスクや
メガネは見たことがあったけれど、
Kさんが取り出したそれは、
ものすごくごっつい、青色のマスクだった。


そう。


掘削作業員や汚染地域の人びとが
身を守るために使うような、
本当に、本気の「防毒マスク」だったのだ。

およそ市場(しじょう)では見かけない種類の、
業務用防毒マスク。

ゴム製のベルトで顔に固定して、
鼻と口もとを完全にカバーする形のもので、
両サイドについた吸気口に、
交換式のフィルターを装着して使用するそうだ。

フィルターさえ換えれば、
防ガスにも防塵にも使えるとのことだった。


「このマスクをはめてれば、
 99.99%の花粉を除去してくれるんですよ」


Kさんは、ごっつい防毒マスクを、
キャッチャーミットのように
するりと顔につけて説明してくれた。


ポケット・ベストを着て、
防毒マスクを装着したKさんの姿は、
まるで戦争でもはじまったのかのような格好だった。


その防毒マスクの有効性について、
熱く、語ってくれたKさん。

熱い語り口もせいもあってか。

防毒マスクをつけたKさんのメガネが
どんどん白く曇っていって、
しまいにはKさんの目がかくれて、見えなくなった。



ある夏の暑い日に。

校舎のわきに、
Kさんが車を横付けにして停めていた。

その日は講師作品展の搬入日で、
白いバンのなかに、
Kさんの作品らしきものの姿が見えた。

新学期では授業日が重なっていなかったので、
Kさんと会うのは久しぶりのことだった。


あいさつのあと、
Kさんの作品の搬入を手伝いたいと申し出た。
快諾してくれたKさんは、
ぼくに軍手を貸してくれた。

荷台に積まれたKさんの作品は、
鉄板を切って、溶接した作品で、
見るからに重たそうだった。

Kさんは、
これをひとりで運び込むつもりだったらしい。


「本当に、重たいですよ」


運び込む前、
Kさんが目を見開いて、
念押しするようにぼくに言った。


「はい、がんばります」


搬入、と言っても、
1階から地階へ運ぶだけのことだ。
2人がかりなら、大したことはない。


「手、気をつけてくださいね」


荒々しく切り取られた鉄のかたまり。
その切り口は刃物のように鋭くて、
先端もとがっていた。


たしかに。

これは危ない。


鋭い葉が地面から伸びたような形状の
Kさんの作品は、
葉というより「刃」そのもので、
まるで凶器のような作品だった。


エレベータが地階に到着。

扉を押さえるぼくに、


「ここからは、ひとりで運びますから」


と、Kさんが言った。

2人でもそうとう重かったのに。

それでも、Kさんの決意のようなものを感じたぼくは、
言われるまま、Kさんを見守った。


「よっ」


小さな声をもらして、
Kさんが鉄のかたまりを持ち上げる。

80キロはありそうなほどの鉄の作品を、
Kさんは、本当にひとりで持ち上げた。


重たい足どりを、1歩、また1歩と進めていく。
すでに汗だくだったKさんの顔が、
みるみるうちに紅潮(こうちょう)した。
たくましい腕がうち震え、
その重さに、いまにも手を放してしまいそうに見えた。

Kさんの重たい足どりに、
わずか数メートルの距離が何十メートルにも感じた。

最後の数歩が、
先走るように加速したかと思うと、
地下のがらんとしたギャラリースペースに、
重厚な金属音が、がぁあんと響いた。


雷鳴のごとき轟音に。


ぼくと、Kさんを見守る
もうひとりの女性職員さんは、
一瞬、体がこわばり、硬直した。

Kさん自身は、すがすがしい顔で、
おろした作品をしばし眺めている。


「どうもありがとうございました」


なんとか無事に作品を運びきったKさんは、
額の汗を拭いながら、
興奮気味な熱い視線をぼくらに向けた。

せまい、エレベータのなかに、
Kさんの呼気と熱気が充満した。


あとさきを考えず、とにかくまず動く。


そんなKさんの姿に、
ぼくは、何か大切なものを教えられた気がした。


見るからに危なっかしく、
先端が鋭くとがったKさんの作品。

それは、見た目よりも重厚で、
見た目以上に鋭くて危ない。


奇抜さや激しさの「演出」ではなく。
ただ純粋につくってできたKさんの作品。

だからこそ荒々しく、危なくもある。


そんな危なっかしいものを、
「学校」という場所に置くKさんの姿に。

またしてもぼくは、衝撃を受けた。


いいとか悪いとか、
そういう次元の話じゃなくて。

とにかくぼくは「すごい」と思った。



炎天の下、Kさんと、
ものづくりの話をしたことがある。

Kさんは、自宅のガレージで制作をしていて、
そこで鉄を切ったり溶接したりしているそうだ。

電気(アーク)溶接をしていて、
電源に車のバッテリーを使ってショートして、
体が数メートル宙を舞ったこともあるらしい。

雨の日に感電した友人の話もしてくれたりして。

話が進むうち、
Kさんは、時間が経つのも忘れて、
熱い口調で語りはじめた。


「いま、旧ソ連製の軍隊の溶接機を
 買おうと思ってるんですよ。
 雪山なんかで戦車を修理したりするときに
 使ってたやつなんですけど。
 持ち運びできるように、
 すごくコンパクトなんだけど、
 軍隊仕様だけあって、
 ものすごくパワーがあるんですよ。
 知り合いに聞いたら、
 40万くらいでいいのが買えるみたいで」


熱を帯びたKさんの口が、
どんどん加速しはじめる。


8月の、猛暑日の昼下がり。

日かげのまったくない、
アスファルトとコンクリートに囲まれた路上で。


額に汗を浮かべて語るKさんの瞳が、
細い、金属フレームのメガネの奥で、
ぎらぎら光ってまぶしかった。

容赦なく照りつける灼熱太陽。

いつしかKさんの語りが
呪文のようなリズムに変化して、
ぼくの思考を溶かしはじめた。


分厚いレンズの奥に、
ぐわっと見開かれたKさんの目。

迷いのない、まっすぐな目。

照りつける太陽のせいで、
ぼくの思考は停滞しはじめ、
目に映る現象のみをひろっていった。


Kさんの言葉が意味を失いかけ、
心地よい音として感じはじめたころ。

Kさんが、
そろそろ次の授業に向かうということで、
その場をしめくくった。


もう少しでトリップしてしまいそうなほど、
濃厚で、濃密な数十分間
(あるいは10分ちょっとかもしれない)。


銀色に輝くKさんのメガネと、
Kさんの熱いまなざし。

Kさんが魔法を使って、
ぼくをかく乱させているんじゃないかと、
そんなふうに思ってしまうほどに。

なぜだかわからないけど
不思議な感覚に陥(おちい)った、
夏の一幕だった。



Kさんは、ごく少数だったかもしれないが、
一部の生徒から人気があった。

Kさんの授業を受けていた生徒に話を聞くと、
Kさんはやはり、魅力的な人がらだったらしい。


デッサンの授業で。

生徒が描いた作品を立てかけて、
少し離れた距離から熱いまなざしで見たかと思うと、
両手をかざすように広げて身構えて、


「素晴らしい!
 これは、なんていうか、
 その、地球のエネルギーを感じるね」


と、きらきらした感じで熱く語ったという。


いつも一生懸命で、熱くて、まっすぐで。

思うにKさんは、言葉ではなく、
自分の「背中」で生徒に何かを伝えていたのだと思う。


そう。


ぼくがKさんを初めて見たのは、
先述したとおり、
地面に這いつくばって何かを削っている姿だった。

それは、生徒の作品づくりに立ち会っていて、
居ても立ってもいられなくなり、
Kさん自身が参加してしまったということだった。


聞くところによると、
地面に這いつくばって何かを削っていたのは、
これが初めてのことではなかったようだ。


基礎造形の授業で。

40ミリ角ほどの木材、
立方体の木のかたまりを地面にこすりつけて、
丸い「球(たま)」にする、という授業があった。

使っていい道具は、手と、地面だけ。

時間は90分 × 2コマの、180分。

ひたすら地面にこすりつけて、
3時間のあいだに、
四角い木のかたまりを「球」にするのだ。


つるつるでまんまるになった
「球」の見本を高く掲げて、
Kさんが生徒に説明する。

手という「道具」以外、
道具らしいものはいっさい使わず、
原始的な方法で、ものをつくっていくこと。
Kさんは、その意義を生徒に話した。

素材にふれることがテーマのこの授業で、
木を地面にこすりつけて削るというのは、
Kさん自身が持ち込んだ授業内容らしかった。


『地球に木材をこすりつけて
 削って「球」をつくる』


スケールの大きい、壮大な授業だ。


はじめの30分くらいは、
生徒たちみんなも懸命に、夢中になって、
アスファルトやコンクリートの地面に
木材をこすりつけていた。

1時間ほどすると、
しだいに「脱落者」が続出しはじめた。

本当にできるのかどうか。
疑問に思いはじめた生徒たちが、
Kさんに聞いた。

そんな生徒に、

「そんなやりかたじゃだめだ。
 貸してごらん、もっと、こう」

Kさん自身が取って代わって、
木材をこすりはじめた。

両膝を地面について、
這いつくばるような格好で。

額を伝う汗が、
やがては流れて地面に落ちる。
その数がどんどんふえていっても。
Kさんは手を休めなかった。


紅潮したKさんの顔は、
地面につくほどに近づけられ、
木材を削る手には、
渾身(こんしん)の力が注がれた。


突然、顔を上げ、手を止めたKさん。

そしてぽつり、こう言った。


「やっぱ無理だな」


その場にいなかったので分からないが。
おそらくその場にいた生徒たちは、

「ええぇっ!?」

と、声に出してのけぞったにちがいない。


丸い、球の見本は、というと。

Kさんいわく、


「グラインダー(表面を研削する機械)で削って、
 最後はペーパー(サンドペーパー)で仕上げた」


とのことだった。

原始的なうんぬんということを伝えた張本人が、
まさか機械の力を使っていたとは。


いいとか悪いとか、
そういう次元の話じゃなくて。

ぼくは「やっぱりKさんはすごい」と思った。


ぼくは、そんなKさんが大好きだった。



あるとき、Kさんの車の荷台に、
たくさんの地域指定ごみ袋(可燃ごみ袋)が
散らばっていた。

とても「きれい」とは言いがたい車内に、
これまた乱雑な感じで
黄色いごみ袋がいくつも散らばっていたのだ。

ごみ袋に入っていても、
ゴミのようには見えない。

何となく気になったぼくは、
Kさんに聞いてみた。


「あのビニール袋、何が入っているんですか?」


ぼくの指先を確認しながら、
Kさんが、にこやかにうなずいた。


「ああ、あれ。
 あれは、生徒たちの描いた、
 大事な作品が入ってるんですよ」


本当にやさしく、愛でるような視線を
ごみ袋に送ったKさん。

袋の中には、高校生の描いた絵が、
クラスごとに分けられて入っていた。

言葉どおり、
生徒への愛情、生徒作品への思いには、
一点のくもりもないようだった。


それなのに。

入っているのはゴミの袋だ。


しかも「可燃」


そんな大切な生徒たちの「作品」を
ごみ袋に入れて保管するという、
アンバランスでちぐはぐなKさんの感性に。

ぼくは、またしてもハートを奪われた。

やっていることはむちゃくちゃでも、
言葉と行動に、嘘はない。


ぼくは、そんなKさんのことを、
やっぱりすごいと思うし、
やっぱりすごく好きだと思う。



大好きな、Kさん。


けれども、もう、
学校にKさんの姿はない。


世の中の判断基準は、
正解とか不正解とか、
そういう次元で決まってしまうこともあるから。


まっすぐで、熱い、Kさん。


きっとどこかで、
少年のような瞳をきらきらさせて、
生徒たちに熱く語っているはずだ。

額に汗を浮かべて、
地面に這いつくばりながら。


「いいね! なんか、こう、
 地球のエネルギーを感じるよ」


Kさんの胸ポケットに詰まった、ペンの束。
ぼくにはそれが「不思議なポッケ」のように感じる。



懇親会のとき、
いろいろ話してくれたKさん。

思いのほか、すらりと足の長いKさんは、
かなり履き込んで
いい感じに色落ちしたジーンズを履いていた。

話しながら、何となく気になったので
Kさんのジーンズの革パッチに目を向けてみたら、
リーバイス501のXX(ダブルエックス)の、
「E(ビッグ・イー)」だった。


レプリカ・ジーンズとかを、
わざわざ買って履くような感じもしないし。
年季の入った色落ちからしても、
けっこうな「ビンテージ・ジーンズ」かもしれない。


デザインよりも機能重視で、
ファッションにはあまり執着が
なさそうなKさんのことだから。

いわゆる世間で言うところの
「ビンテージ」だということにも、
たぶん、Kさん本人すら
気づいてないのかもしれない。


いや。

もしかすると、ぜんぶ
分かっているのかもしれない。


市価で何十万円とするジーンズを、
気にするふうでもなく、さらりと履いて、
ガンガンに履きつぶしていくことで、
ぼくらに伝えようとしているのかもしれない。


ものの「価値」とは、
何なのかということを。



ぼくは、Kさんのことが好きだ。


いいとか悪いとか、
そんなことなんてどうでもよくって。

Kさんは、いつでもまっすぐだから。



《 今日の言葉 》


パンツを見たってことは、
予告編を見たようなものだ。

(映画の予告編などを見ていて、
 もっと見たい、先が知りたいと思うなら、
 その映画は「見たいと思う映画」だし、
 予告編を見て、別に興味がわかなかったり、
 予告編だけで充分だと思ったら、
 その映画は「別に見たいと思わない映画」なわけで。
 「パンツ」を見た段階でどう思うか。
 パンツは、すなわち予告編である)


『パンツはそいつの予告編』
2011,October.  家原利明