2010/10/23

展覧会が終わって


展覧会が終わった。


2週間という、短いあいだだったけれど。

いままで会ったことがなかった人や、
親しい人、知り合ったばかりの人たちなど、
たくさんの人たちが絵を見てくれた。



どうもありがとうございましたと。

この場を借りて、
お礼を言わねばなりません。


いや、本当に。

観ていただいて、本当にありがとうございました。



見てくれた人は、
なんやかんや、けっこうたのしんでもらえたようで、
すごくうれしく思った。


「色がきれい」


「色鉛筆で描いたとは思えない」


「絵本を描いてください」


「タイトルがおもしろいですね」


「いままでに見たことのない絵でした」



みんな、いろいろな感想を残してくれた。

それはすごく栄養になるし、
なるほど、とか、
ははぁそうか、とか思ったりするからありがたい。




子どもを連れてやってきてくれた知人。

2歳の女の子が、
小部屋に飾った絵を見てもらしたひとこと。


「きれー」


その、飾らない言葉に。

思わずぼくは、じぃんときた。


「子どもは、ストレートですから」


女の子のお父さんが、目を細める。


「本当に。子どもの反応は、正直ですからね」


焼きたての、手づくりのパンを食べたとき。
どこかで買ってきたパンとは比べものにならないくらいに、
ものすごくおいしそうな顔をするのだと。

彼女のお父さんは、
細めた目をぼくに向けて、白い歯をのぞかせた。

その言葉に、
あやうく目の奥から「汁」が出そうになった。



また別の知人の子どもは、
まだ話すことも歩くこともできない、
生まれて半年ほどの女の子だ。

お母さんの腕に抱かれて、
絵の前をとおりすぎる。


「手を伸ばす絵と、伸ばさない絵があるんですよ」


お母さんが、興味深げに言った。


女の子が手を伸ばす絵。

はじめは、
顔が描いてある絵なのかと思ったのだけれど。
よくよく見るうち、
そうではないことが分かった。


色合いが鮮やかで、
色と色との境界がきっちり塗り分けられている絵。


女の子が手を伸ばした絵は、
どの絵にもそれが共通していた。


「ぼくがいいって思った絵とおんなじだ」


「わたしもこの絵、いいって思った」


女の子のお父さんとお母さんも、
同じ絵をいいと思っていたらしい。

そして彼らの「愛娘」も、
その絵に、小さな手を伸ばしていた。


子どもだから、分かりやすく、
はっきりした色合いの絵に興味がわいたのか。

それとも、両親の「好み」を受け継いでいるのか。

とにかく親子3人が、
同じ絵に興味を持ったのだ。


不思議なようで、
ものすごく「あたりまえ」のことのようでいて、
やっぱりなんとなく不思議な感じがした。


古くからの友人どうしの2人が、
展示スペースの隅にある、過去の作品集を見ていて。

数ある絵のなかから選んだ1枚が、
2人とも同じ絵だったという場面にも遭遇した。


そのときも、
なんだか不思議なような、
それでいてごく自然なことのような、
なんともいえない不思議な気分だった。


絵っておもしろい。


描くのもおもしろいし、
観るのもおもしろいけど、
絵を観ている人を見るのもおもしろいんだと。
今回、身をもって教えられた気がする。



展覧会では、
いろいろな人に会って、
いろいろな人とおしゃべりして、
いろいろな「時間」を交換できた。

毎日ずっとたのしくて、
毎日があっという間にすぎていった。



展覧会が終わって。

壁から絵をおろして、
梱包して、風呂敷に包んで車に載せていく。

にぎやかだった部屋のなかが、
またもとの真っ白な空間に戻る。

がらんとした「部屋」を前にして、
風呂敷包みやダンボール箱を運んでいると、
どこかに引っ越していくような気持ちになった。


帰り路。

県境の橋を渡っていると、
自分が運転しているはずなのに、
空港行きのバスかタクシーに乗っているような感じがした。

窓の外に広がる県境の風景と、
夕方前の明るい光。

帰国するための飛行機に乗るときは、
たいてい明るい時間が多い。

それ以外、
明るい時間に「帰る」ことなどほとんどないから、
そんなふうに感じたのかもしれない。


ちょっとした郷愁のようなものをかみしめつつ。
ハンドルを握り、車を走らせる。



まだまだ明るい時間だった、はずなのに。



途中、
目に入った看板でハンドルを切って、
車を止めた。


リサイクルショップ。


婦人物の服をあさっていて、
とっかえひっかえ羽織ったり脱いだり、
また羽織ったり。


そんなことをしていたら、
空が暗くなりはじめ、
仕事帰りの車で道が動かなくなってきた。


そして、
気づくと夜だった。



キャンバスからはみ出たロケットみたいに。


いつでもぼくは無計画で、
いつも計画どおりには行かない。


だから、
リサイクルショップで買った、いかした長袖シャツが、
たとえワンピースの裾を短くカットして無理やり縫って、
シャツ風に仕立てたものだと気づいたとしても。

ぼくは、気にしない。


だってそれは、
いかしたシャツだから。



< 今日の言葉 >

フレンチ学園で食べた、ハレンチトースト。

            (イエハラ・メモ2010より)

2010/10/10

日常の天使たち


会社勤めのころ。

仕事に忙殺されそうなとき、
ひと息つくため、ふらりと散歩へでかけた。


あてもなく、近くをぶらつく。

ふらふらと歩き回る。


そんなとき、「街の天使」に出会うことがある。



乳母車を押す、
三つ編みのおばあちゃん。

生え際から、
頭の半分くらいが白い地毛で、
ふたつ編みの三つ編みは茶色い髪色。


その髪型はまるで、
「耳の細いスヌーピー」のようだった。


乳母車をゆっくり押し進めながら歩く
おばあちゃんを見て。

思わずぼくは、
こわばった頬をゆるめていた。


また別のあるときには、
スキップで歩く女の人を見た。


アジア系の、
おそらく20代前半くらいのその女の人は、
待ち合わせ場所に立つの彼の元へ
弾むようなスキップで駆け寄った。


なんだかすごく微笑ましい光景に。

ぼくは、
心をなでられたような気持ちになった。



そんなふうにして、
いつでも「街の天使」に救われてきた。



季節はずれの黄色い蝶々や、
ビルとビルとのあいだの空に浮かんだ赤色の風船とか、
どこからかふわり飛んできた虹色のシャボン玉とか。

そんな、メルヘンで乙女チックな「天使」たちもいる。



つい先日。

電車にゆられながら、
見るともなしに流れる風景を目に映していると、
雨のなか、緑の生い茂った河の土手の上で、
耳のたれた茶色のイヌが
おしりを下げてうんこをしていた。

鉄橋を渡る電車の音に反応したのか。
そのイヌは、
つぶらな黒目をこちらに向けて、
なんだか申し訳なさそうな顔をしていた。


目覚めの悪い雨の朝だったけれど。

そのなんともいえないイヌの姿に、
声もなくぼくは、ふふっと笑った。



スーパーマーケットの野菜売場では、
野菜たちに負けないくらい鮮やかな、
フレッシュ・グリーンのジャージの上下を着たおじさんが、
真剣にレタスを選んでいた。


あまりにも新鮮な色の、
蛍光色にもほど近いフレッシュなグリーン。


ぼくは、
おじさんが「野菜の妖精」なんじゃないかと、
軽く疑った。



駅までの帰り道。

ひとり夜道を歩いていたら、
前から2人組のおじさんたちがやってきた。

きっちりネクタイを締めた、
会社帰りのおじさんたち。

そのおじさんたちとすれちがうとき、
ちょうど2人のあいだをすり抜けるような格好になった。


すれちがう、その瞬間。


乾いた音が「ブリッ」と鳴った。


まぎれもない「屁」の音に、
思わずぼくは腰が砕けそうになったのだけれど。


右か左、
どっちのおじさんがしたのか、
結局、分からずじまいだった。


闇に溶けたおじさんたちの背中に。

遅れて笑いがこみ上げた。




疲れていても、忙しくても。

天使はいつも、そばにいる。

見えないのは、
ただただ「天使たち」を
見すごしているだけかもしれない。



展覧会の帰り道。

電車にゆられて、家路に向かう。


駅のホームに立った若い女子2人組が、
走り出した電車に座るぼくを見て笑っている。


夜のなかを走る電車の、
ガラスに映った自分の姿を見て。


自分が「佐藤蛾次郎」か、
実写板「ガッチャン」にしか見えなかった。


ついに自分も「天使」の仲間入りか。


みんなに笑顔をお届けするため。

とうとう「天使」になってしまったぼくは、
小さな声で、


「クピプゥ、クペポ」


と、つぶやいたのであります。



< 今日の言葉 >

ブリリアント・グリーンだヨ!

(途中でなんかが混ざっちゃった言葉)