2009/10/28

雨のエンパイア







ニューヨーク。


文字にするだけで、
何だかおしゃれに感じる。

そんな街に、ふらりと立ち寄ったのは、
もう何年か前の話だ。



ぼくは、タワーが好きだ。

エッフェル塔にも行ったし、
カナダのCNタワーにも行った。
目的は「観光」でもあり、
タワーの置物を買うためでもある。

ぼくの部屋の片隅には、
世界のタワー置場がある。

もちろん、日本のタワーもある。

誰かのおみやげのタワーや、
どこかの店で買ったものもあるけれど。
たいていが現地へ行って買ったものだ。


タワーの材質は、できれば金属
(アンチモニーやアルミ合金など)で、
「よけいなこと」をしていないものがいい。

そんなふうにして、
あちこちのタワーを集めている。
のんびり、ゆったり。

だから、タワーのある国は、
ぼくの行きたい国でもある。



数年前。

カナダの帰りに、
ひとり、ニューヨークへ寄った。

ニューヨークには、自由の女神がある。
エンパイア・ステートビルがある。
クライスラービルもある。

残念なことに、
ワールド・トレーディング・センタービルは
なくなってしまったけれど。

たくさんの名物ビルがある。


ニューヨーク初日。

「15フィート離れて吸って下さい」
と書かれたビルの前で、
数時間ぶりのタバコを吸ったあと。

一路、エンパイア・ステートビルへ向かった。


途中、みやげ物屋のおじさんに道を聞いた。
ぼくが日本人だと分かってうれしくなったおじさんは、

「ゴズーニ・ストリート、レフト。
 ゴズーニ・ストリート、オーケー?」

などと、数字だけが日本語の、
しかも「ゴズーニ(52)」と、かなりなまった感じで、
ていねいに何度も説明してくれた。

そこで、ニューヨーク最初のみやげを買った。
いま、まさにこれから行く、
エンパイア・ステートビルの置物だ。


みやげ物屋のおじさんの案内も助けて、
無事、本物のエンパイア・ステートビルに到着。

本物の大理石と真鍮(しんちゅう)を使った、
エントランスの装飾。
半世紀以上も経て今もなお色あせない、
優美な装飾たち。

と・・・まあ、
そんな内観の説明はよしとして。

エレベータで上階へ向かう。

チケットを買って列に並ぶと、
空港のような「ボディチェック」が待っていた。

ゲートをくぐると、
横にずらりと並んだ孔(あな)から
プシュッ、と風が吹き出すタイプのやつだった。

ポケットの中身を全部出すよう言われたので、
サイフやパスポート、
ライターやタバコ、ペットボトル、
みやげや地図やメモ帳などを次々と出していくと、


「おまえはソルジャーかっ」

と、係員のおっちゃんに突っ込まれた。

たしかに、履いていたのは
アメリカ陸軍のカーゴパンツ。
大した英語力もないので、
肩をすくめて「てへっ」と笑うのが関の山だ。


待ちに待った展望階。

景色はもちろんだけれど。
何より先に、おみやげの「タワー」を
見なければ落ち着かない。

みやげというみやげ、全部を触る勢いで物色する。


棚のすみに、アルミ製の
エンパイア・ステートビルを見つけた。
昔ながらの風合いの、オール金属の一品だ。

あとで買ってもいいのだけれど。
何となく落ち着かないので、すぐ買うことにした。

ビルの先端、アンテナ部分の曲がっている物が多く、
奥から掘り返すようにして、まっすぐなのを選んだ。

ようやく見つけた完璧なエンパイア。
それを手に、レジへ向かう。

レジにいたのは、陽気な黒人男性だった。

「いいのを見つけたな」

「ナイスチョイスだ」

などと、まるで自分のことのように喜んで、
大きな声と身ぶり手ぶりで迎えてくれた。

白い歯をのぞかせて、
ダンスでも踊るようにして
(実際、軽くステップを踏んでいた)
包装用のエアパッキンなどを取り出す。

片手に持ったエンパイア。
持ち替えそこねた男性の手から、
エンパイアが、床にゴトリと落ちた。

まっすぐだったアンテナが、
見事にぐにゃりとへし折れた。

口笛がやみ、
ステップがぴたりと止まった。


「・・・新しいやつ、
 持ってきてくれるかな」


男性が、ぼそぼそとささやくように言った。

さっきまで陽気だった姿が見る影もなく。
ものすごくどんよりと消沈した顔つきになった。

ぐにゃりとへし折れたアンテナと同じく。
店員男性の気持ちも、へし折れたようだった。

ほんのわずか数十秒のあいだに、
男性の気持ちの「針」が、
真逆にふれるのを目の当たりにしたぼくは、
何とも言えない
甘酸っぱい気持ちで買物を済ませ、
展望バルコニーへと向かった。


マンハッタンの景色は、
ものすごくうそっぽくて、
それでいてすごくかっこよかった。

地面からビルが、
にょきにょきと生えているような。

どこを見てもビルだらけの景色。

古いビル、新しいビル、窓、窓、窓。


ニューヨークの景色は、
やっぱりニューヨークだった。


エンパイアステートビルの1階の、おみやげ屋。
そこで、キーホルダーや置物などをあれこれ買った。

道をはさんだ通り沿いのみやげ屋には、
日を変えながら、結局、3回くらい足を運んだ。

そこでは、ほかの店からTシャツを持ってきてもらったり、
在庫をいろいろ出してもらったりと、
親切にしてもらった。


ニューヨーク最後の夜。

もう一度、エンパイア・ステートビルへ行こうと思った。

今度は夜のエンパイア。
マンハッタンの夜景だ。

夕飯どき。
朝から降っていた雨が急に激しくなり、
地下鉄の出口でみんなが立ち往生していた。

しばらくすると、
折り畳み傘を売りに、何人かの人が現れた。
買う人もちらほらいたけれど。
ぼくは買わなかった。

花束を持った黒人男性が、

「おれの力で何とか雨をやませてやる」

とか何とか言って、
空に向かって手をかざし、

「ストップ、レイン、ナウ!」

と、何度も叫んでいた。

初めのうちは微笑ましく見守っていたおばさんたちも、
次第に飽きてきたご様子で、
しまいにはぶつくさ言って、その場を離れはじめた。


ぼくは、履いていたぞうりを手に持って、
裸足で雨の中を駆け抜けた。

アスファルトの水たまりを踏みつけながら、
屋根から屋根へと走り抜けた。


どしゃ降りの雨の中。
ほんの10秒くらいで、全身ずぶぬれになった。

裸足のアスファルトと水しぶき。

それがすごく気持ちよかった。


エンパイアステートビルは、
2度目にして自分のマンションのように、
勝手知ったる感じで「入場」した。

屋上、展望バルコニー。
雨足が弱まり、霧雨の舞うマンハッタンの夜景。

おもちゃみたいにぴかぴかで、
きらきらしてて、
ちょっと照れくさいくらいにきれいだった。

どこかの国からきた、
まるで知らない恋人たちに頼まれて。
マンハッタンの夜景と恋人たちの写真を、
何枚か撮った。

たくさんのビニール傘が咲いたバルコニーで。
1時間か2時間か、傘も持たずにうろついて、
ニューヨーク最後の夜を眺めていた。


最初の日と最後の日では、見え方が違う。

見てきた場所、歩いた場所が、
光の中にあちこちちらばる。

ものすごいたくさんの、光の粒。

途中、あまりにもできすぎてうそっぽい夜景に、
笑いがこみ上げてきた。


そんな日のことを、
なぜだか急に思い出した。


雨に濡れた革靴のせいか、
それとも、教室の窓から見た街の光のせいか。

なぜだか急に、
雨のエンパイアを思い出した。



< 今日の言葉 >

「えっ、ゴリラ豪雨?」

2009/10/21

赤い記憶の記憶







先日まで常滑で開催されていた、

『常滑フィールド・トリップ2009』
というイベント。

そのなかでぼくは、
「赤い記憶」と題した作品を
展示させてもらった。


初日からの3連休。
台風一過の晴れ晴れとした空。

台風の影響で不通になっていた電車の
復旧作業も前日までには終わって、
絵に描いたような快晴の日。
常滑を散歩するにはうってつけの日和になった。

そんな天候にも助けられて。
予想以上にたくさんの人が見にきてくれた。

常滑の、近所の人たち。
おじちゃん、おばちゃん。
常滑滞在中、買物をしたり、
ごはんを食べに行ったお店の人たち。
そんな、常滑で知り合った人たち。

仕事場の仲間や地元の友だち、
そして行きつけの美容院の、
“専属スタイリスト”さん。
ぼくのクラスの生徒もきてくれた。

遠路はるばる電車に乗って、わざわざ、だ。

初めて会う人もたくさんきてくれた。

ぼくの作品は室内展示なので、
みんながゆっくりしていって
くれているように見えた。

雨漏りでゆがんだ畳の上が、
いつもにぎやかな人たちでいっぱいだった。
2回、3回と見にきてくれる人もいた。
友人知人を誘って、
何度か足を運んでくれる人もいた。


展示会場には、
常滑滞在の記録(日記)が置いてあった。
ぼくが常滑で「遊んだ」記録だ。
汚い字で書いた、ごちゃごちゃした日記なのに。
それを手に取り、
じっくり読んでくれる人がたくさんいた。
日記目当てに通いつめてくれる人も、
中にはいた。


そんな人と、夜中、路上で偶然会った。
その人は昼間、コメダのカツサンドを
差し入れに持ってきてくれた人だった。
カツサンドは、翌日の朝食にいただいた。
こんなにうれしい朝食は、そうそうない。

ほかにも、
作品の制作記録を収めた「赤いアルバム」や、
常滑で描いたスケッチブックの絵や、
これまでに描いた作品のファイルも置いていた。

暇つぶしになるものが多かったせいもあり。
みんながのんびり暇をつぶしてくれた。


会場にいると、
いろんな人と話ができてたのしかった。
見る人それぞれが、
それぞれ違った意見を聞かせてくれる。

今回は、床の間に移動させた棚に、
おばあちゃんの遺品をそのまま
展示させてもらったのだけれど。
苦言をいう人は、見る限りいなかったように思う。

みんな、「人間の業(ごう)」のような、
「人間くさい」部分を感じてくれたようで、
おもしろい話もたくさん聞かせてもらえた。

自分の祖母の部屋を思い出した、とか。
年老いた父親も、
「ガラクタのような物」をためこんでいて
部屋がいっぱいだ、とか。
田舎の祖母が、農作業のカマが目立つよう、
柄(え)に赤い布を巻いていた、とか。
赤い生活用品が並ぶ棚を見て、

「最後にこうやって
 日の目を見ることができて。
 きっとおばあちゃんも
 喜んでるんじゃないかな」

「こうして見ると、祭壇みたいにも見えるね」

などと言ってくれる人もいた。


その右手の奥の部屋、
かつておばあちゃんが暮らしていた部屋。

そこは、おばあちゃんの遺した物で
いっぱいになっていて、
足の踏み場もなかった場所だ。
ひとつひとつの物を見ながら、
じっくり1カ月半くらいかけて片づけて。

掃除をして、すっかり空っぽになった部屋を、
スプレーガンで真っ白に塗った。

ポリ合板の壁は、ペンキの食いつきが悪いので、
塗装する前にベルトサンダーで表面をはがした。

4回ほど塗って、真っ白になった。

部屋の奥から出てきた金庫も白く塗った。
ちなみに金庫の中からは、
クリスマスケーキの空箱が出てきた。

おばあちゃんが亡くなったのは、
2004年の12月25日、クリスマス。

クリスマスケーキの空き箱は、
何かの「メッセージ」なのか。
関係があるのかないのか。
答えは、ない。


真っ白に塗った、おばあちゃんの部屋。
そこに、赤いマジックで線を描いていった。
「引く」のではなく、線を「描いて」いった。

マジックのインクが切れるまで、ぐるぐると描く。
なるべく1本の線で、途切れることなく、
ぐるぐるぐるぐる描いていく。

この時間がたのしくて。
この時間がたのしみで。
最後までずっとわくわくしていた。


たのしいこと。うれしいこと。
悲しかったこと。つらかったこと。
おもしろいこと。どうでもいいこと。
昔のこと。最近のこと。
いままでに出会った人のこと。

いろんなことを思って、線を描いた。
そんな思いが、たぶん線に出たと思う。


最初のうちは、
インクがなくなる前にペン先がつぶれた。
それがたいてい1時間弱くらい。
たんだん力のかげんも分かってきて、
インクを使い切ることができるようになった。

インクがなくなるのは、
1時間から1時間半の間くらい。
60分から90分。
ほぼ一定の速さで、
ぐるぐると線を描いていった。

天井や壁の高いところなどは、
長い時間描きつづけていると、
だるくて吐きそうになった。

だから、疲れてくると、床に逃げる。
低い場所までぐるぐると線を描きながら、
移動していく。

気持ちよく走る、赤い線。
このままずっと
インクがなくならなければいいのに。
そう思うことも多かった。

最後は、どうしてもがまんできななくなり、
午前0時から朝まで一気に描きたおした。
7時間くらい、ぶっつづけで描いた。

朝、7:20。
終わったときにはうれしくて、
部屋の中をうろうろしつづけてしまった。

外は雨だったけれど、
晴れやかな気持ちだった。


そんなふうにしてできあがった「赤い部屋」。
見にきてくれた人が部屋に入った瞬間、

「わあっ」

という声がする。

笑い声が聞こえる。

子どもが走り回る。

なかには顔をしかめる人も、
ひとりふたりいらしたけれど。

みんな、自分の中にある「赤」を呼び覚まして、
それぞれの解釈で「赤」を感じてくれたように思う。

途中経過を見にきてくれて、

「たのしんで描いた線だから、
 たのしく見えるんじゃない?」

と言ってくれた人もいた。


結局、最終日まで、
たくさんの人でいっぱいだった。
たのしんでくれている人の姿を見て、
ぼくもすごくうれしかった。

長いような短いような。
常滑での制作が、ひとまず終わった。

これで、何か「こたえ」が出たわけじゃないけれど。
今回の「赤い部屋」を通して見えたものは、
ものすごくいっぱいある。

それをいつか、
言葉にできる日がくるかどうかは
分からないけれど。
とにかく、おもしろかった。
最初から最後まで、ずっとたのしかった。

初めて常滑にきた人たちが、
常滑をたのしんでくれたことも。
インチキ親善大使のぼくとしては、
うれしいことだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今回、常滑にきて下さったみなさまには、
ありがとうの気持ちでいっぱいです。

「赤い部屋」を実際に見にきて、
目で見て、感じてもらえたこと。

そのことがすごくうれしいです。

最後に、
フンデルトヴァッサー氏の言葉を
引用させてもらいます。

『美術館へと向かう足が跡を残した線は、
 美術館に展示されている線よりも
 大事なもの』


ご清聴、ありがとうございました。







< 今日の言葉 >

あの頃は ふたり共
他人など 信じない
自分たち だけだった
あとは どうでもかまわない

(『古い日記』
  作詞:安井かずみ
  唄:和田アッコ)