2009/07/28

無計画計画


最近、思うことがある。

先のことを考えて不安になったり、
過ぎたことを思い返してくよくよしたり。
そんなふうにして「いま(現在)」を使うなら、
何も考えないほうがまだましだと。


「頭でっかち」だったころのぼくは、
まだ見ぬ「将来」を考えて不安になったり、
終わったことを何度も蒸し返して悶々(もんもん)としたり。
そんなふうにして「いま」を使うことが多々あった。

実際、想像していたとおりに「嫌なこと」が起こると、

「ほら、やっぱり」「あー、まただ」

と、舌打ちして、すっかり落胆したりしていた。

悪い想像。
それがそのまま現実になったのだから。
いまにして思えば、
それは、ある意味で「期待していたとおり」になったのだろう。


ずいぶん前にも同じことを書いたと思うけれど。

「想念は具現化する」

この言葉のとおり、
頭に思い描いたことは、ある程度、現実になったりする。
そのことについて考えれば考えるほど、
思い描いている「像」へと近づいていく。

その想像が「いいもの」でも「悪いもの」でも。

もし、そうなりたくない現実なら。
想像しないほうがいいと思うし、
あえて言葉にしないほうがいいと思う。

言葉は、外に出た瞬間、事実になる。
それが実現化されなかったとしても、
「言った」という事実は残る。


何も考えず、いま、この瞬間を、
ただただまっすぐ見つめる。

言葉にすると、なんだか気持ちが悪いフレーズだけれど。
これがぼくの理想だったりする。
そんなふうに毎日を過ごしていると、

「将来どうするの?」とか、

「この先、病気になるかもしれないよ」とか、

人から言われることがある。

そんなとき思う。
まだ、なってもいない現実を考えられるだけの余裕はない、と。
ぼくは、いま現在のことで「忙しい」。
いま、この瞬間の、色や匂い、手触りや感触、温度や味など。
いまを見逃さないようにするのに精一杯だ。

結局は「そのとき」にならないと、どうにもならない。

いざ、事が起こったときにどう対処するか。
判断力と反射神経。
自分の行動力に頼るしかない。

そのためにも、いまをおろそかにはできない。

たとえ、先のことを考える「余裕」があったとしても。
どうせ考えるなら、不安や危惧より、
わくわくするような楽しい想像がいい。

たのしいことを考えていると、
いま、この瞬間までもがたのしくなる。

いまをしっかり見ている人は、
過去のことを話しても、
未来のことを話しても、おもしろい
願わくば自分もそうありたい。


「明日、雨が降ったらどうしよう」ではなく。
「明日、晴れるといいな」と願う気持ち。

いつでも遠足の前の日のわくわく感を持っていたい。

もし雨が降ったとしても。
おやつを買い直してまた食べられる。
そう思えば、雨でもうれしい。


< 今日の言葉 >

子どもには、7つの不思議な力がある(「子ども」とは、恋をするまで)。

1つ、 動物とおしゃべりができること。
2つ、 好きなものでバリヤができること。
3つ、 マントをつけると怪力が出ること。
4つ、 夜になると怪物が見えること。
5つ、 傘があると高い所も平気なこと。
6つ、 指のピストルで人が倒せること。
7つ、 空を飛べること。

(2003,October,2/昔もらった手紙に書いてあったこと)

2009/07/22

ぼくのともだち 〜ともだちんこ〜


小学校5年のクラス替えで、
Sくんといっしょのクラスになった。
Sくんとは、1、2年生のときも同じクラスで、
仲のいいメンバーのひとりだった。

5年生になったSくんは、
ずいぶん背が伸びていて、すっかり大人びて見えた。
身長170センチ以上で長髪で。
ランドセルが逆に嘘っぽく見える。
見た目だけでなく。
中身もかなり大人っぽくなっていた。


5年生の夏、
他県へキャンプに行った。
学校行事としては初めての「旅行」で、
親元を離れて寝泊まりする最初のイベントだ。

キャンプ1日目の夜。
晩ご飯を食べ終え、大浴場での集団入浴も終わり。
まくら投げやプロレスに疲れたぼくらは、
「消灯」されて真っ暗になった室内で、
ひそひそと話しつづけた。

「1組でいちばんかわいい女子は誰か」

「2組でいちばんかわいい女子は誰か」

・・・といった感じで。
ぼくは、となりのふとんで寝ているSくんと、
真っ暗な天井を見ながらひそひそ話していた。

「ねえ、赤ちゃんってどうやってつくるか知ってる?」

突然、Sくんがこう切り出した。

「セックスするとできるんだよね」

ぼくがそう答えると、Sくんがさらに言った。

「じゃあ、セックスって、どうやってやるか知ってる?」

「知らない」

そう答えるぼくに、Sくんがやや身を起こして語りはじめた。

「女の、チツってところがあってね・・・(中略)・・・を、そこに入れるんだよ」

そんなふうに。
微に入り細に入り、すっかり説明を聞いたぼくは、
わけがわからなくなって混乱した。
衝撃だった。

「セックス」という言葉しか知らなかったぼくには、
まさかそんなことをするなんて、想像外の世界の話だった。

「△△(クラスの女子の名前)にも、▲▲にも、チツはあるんだよ」

最後、Sくんは、いたずらっぽく笑ってそうつけ加えた。
何となく、ショックだった。
Sくんのせい、というより、知らなかったことを知ってしまったということへの動揺。
ほんわかとした「夢想」の扉が開けられて、
ついに生々しい「真実」を見てしまったような。

まさに「大人の階段」を1歩、駆け上がった瞬間だった。

翌朝、Sくんは、
歯磨きしている女子の横顔を見ながら、
片目をつぶり、口元を手で隠すようにして、

「うおーっ、興奮するー」

と叫びつつ。

「もっと横向いて」とか
「そのまま(歯磨き粉を)吐き出して」とか、
ひとり興奮気味に指示を出していた。

ぼくは、昨晩聞いた「真実」が頭にこびりついて離れず、
妙にふわんふわんした感じで女子を見ていた。

真実と現実が結びつかない。
そんな不安定な感じで。


Sくんには、彼女がいた。
相手は女子高校生。
Sくんは、小学校5年当時から、
女子高生とつき合っていたのだ。

背も高く、おしゃれなSくんは、
たしかに小学生には見えなかった。
同級生と遊んでいると、近所の人から、

「あの子は、小さい子とばっかり遊んで。
 同年代の友だちがいないのかしらね」

そんなふうにささやかれたことがあると言っていた。


キャンプの夜の「性教育」もひとつの例だけれど。
Sくんはとにかく、いろいろなことを知っていた。
勉強もかなりできるほうだったので、
ときどき、本当に年上のお兄さんと話しているような感じがした。

むずかしいことでも何でも、ぼくにも分かるように話してくれるSくん。
お茶を出したり、お菓子を買ってきたり、ビデオや音楽を流したり。
鍵っ子だったSくんは、何でも自分でやれて、ぼくには格好よく見えた。

初めて『MTV』を観たのも、Sくんの家だった。
シンディ・ローパーとか、デビット・ボウイとか。
『おニャン子クラブ』について、いろいろ教わったのもSくんだった。
新田恵利のファンだったSくんが、

「会員番号4番、新田恵利です。よろしくお願いします」

と「挨拶」したら、ぐるりと回した右手を口元に当てて、

「エーリちゃあ〜ん!」

とエールを送る。そんな「遊び」を教えてくれたのも、Sくんだ。

また、『てつ100%』というバンドの掛声を、
パート分けして「練習」させられたこともある。

「て」(Sくん)「つ」(ぼく)
「ワン」(Sくん)「ハンドレッド」(ぼく)
「パーセンテージ」(ふたり)

・・・これをよどみなく、流れるように発音するのだ。
いきなり、何の前ぶれもなく「て!」とはじまるので、
いつでも心の準備しておかなければいけない。


ある日。
6年生の校外授業で。
プラネタリウムに行くことになった。

ぼくはたいてい、Sくんと行動していたので、
自然、Sくんととなりどうしの席になった。
全体の座席のいちばん後ろの列。
最後部に座ったぼくらは、
昼間の星を見上げながら、
星座にまつわる物語に耳を傾けていた。

「ねえ」

Sくんが、小さな声でささやいた。

「ナマがいい? それとも、パンツがいい?」

いきなりの問いかけに。
ぼくは答えるべき言葉を失った。
しばらく答えに困っていると、
もう一度、Sくんが同じことを繰り返し言った。

「ナマ」が何かは分からなかったのだけれど。
少なくとも「パンツ」よりはマシなような気がして、
ぼくは「ナマ」と小さな声でぽつりと答えた。

すると、おもむろにSくんがぼくの手を取り、
自らの股間に押し当てた。

まわりのクラスメイトは、みんな黙って、
人工的な星空を見上げている。
とてもじゃないけど、
声を出せるような雰囲気ではない。

生暖かく、奇妙な感触。
これが「ナマ」の「こたえ」だったのか。

ぼくはただただ、
Sくんのちんちんに手を当てたまま、
宝石をちりばめたかのような天球を見上げていた。

少しも嬉しくはなかったけれど。
不思議と嫌な気持ちでもなかった。

ただ、Sくんがそれを望んだことに、
ちょっとだけびっくりして、
ほんの少しだけ悲しい感じがして、
傷つけたくないと思った。

石のように固まった、長い静寂。

ぼくの手を外して、
Sくんがぽつりとささやくように言った。

「ありがとう」

薄暗闇のなか、Sくんの白いブリーフがそっとしまわれる。
担任の先生も、クラスの女子も、男子も。
何ごともなく、みんな一様に星を見つめていた。


いまのぼくからは、
まったく想像もつかないことだけれど。

当時のぼくは、色白で、さらさらの茶色い髪の毛で、
ちょいちょい女の子に間違えられた。
美容院で髪を切り、整髪料で髪をセットして。
自分で服を選んで買っていたぼくは、
当時では「ませた」部類に入る。
そんなふうに容姿を気にしていたためか、
ときどき歳上の女の人から、

「かわいい」

などと、からかられた。
中学に入る直前、学生服を買いに行ったとき、

「セーラー服は、あちらですよ」

と、おじさん店員に言われたこともある。


そんな容姿のせいもあったのだろうか。
それとも「ともだち」の「しるし」だったのだろうか。
Sくんの行動は、いまでもよく分からない。

それを機に、というわけでもないけれど。
ぼくは、腕立て伏せをはじめた。
変声期を迎えると、女の子っぽい容姿は見る影もなく、
すっかり「男くさく」なっていた。


仲よしだったSくんとは、
中学で別々になった。

小学校を卒業して4年後の夏。
駅で偶然、Sくんと会った。
久々の再会。
久々に会ったSくんは、記憶のなかのSくんとあまり違いがなかった。

高校生になったぼくは、彼女といっしょだった。
気づくとぼくの身長は、Sくんよりも高くなっていた。

ぼくから見るSくんは、Sくんのままだった。
Sくんから見るぼくは、どうだったのか。

これから出かけるぼくは、
少しだけしゃべってそこで別れた。


Sくんがいて、ぼくがいて。
ぼくがいて、Sくんがいて。

ぼくの人生に、脇役はいない。
みんなぼくのともだちだ。

ひとつ言えること。
それは、あのとき「目覚めなかった」ということ。
いまにして思えば、あのとき、禁断の扉を開けるという選択肢がなかったわけでもない。

ともだちんこ。

ロマンチックな星空の下。
ぼくはただ、
そんなふうに解釈しただけだったのかもしれない。


< 今日の言葉 >

『あなたはどうやら新しく入ってきたあの男の子にかんぜんにノックアウトのようね』

『どうかあのイヌたちがこのコロッケを食べますように アーメン』

(『ロマンスの薬』/楳図かずお より)

2009/07/15

夢うつつ



最近見た夢で、印象に残ったものがいくつかある。
ちょっとした短編のような「お話」だったので、
起きたとき、何となく得したような気分だった。
新しい映画を観たような。
そんな感じだ。

ひとつは、ぼくがブタを飼っている話だ。

夢のなかでぼくは、そのブタを愛犬のように可愛がっていた。
名前は付いていなかったように思う。
そのブタは、ぼくにとてもよくなついていて、
いつでもぼくの横をはなれず、
どこへ行くにもちょこちょこついてくるほどだった。

あるとき、ぼくはブタを置いて出かけることになった。
用事を済まして戻ってくると、
ブタの耳が片方、なくなっていた。

「誰か、食べた?」

そう訊ねるぼくに、みんなは首を横に振るばかりだった。

またぼくが用事を済ませて帰ると、
今度はもう片方の耳がなくなっていた。
同じように聞いても、誰ひとり答える人はいなかった。

自分では気づいていない様子だけれど。
ぼくのブタを食べた「犯人」の耳は、
先が尖って、まるでブタの耳そっくりな感じになっていた。

次は、シッポがなくなっていた。
その次には脚が片方。
脚がなくなると、次には体が減っていった。

そのたび、ブタを食べた「犯人」の体に、変化が現れる。
シッポが生え、桃色の肌に白い産毛が生えて。
だんだん言葉も聞き取りづらくなってきた。

頭も鼻もなくなって。
ついにぼくのブタは、すっかり食べられてしまった。

そして。
ブタを食べた「犯人」は、可愛いブタになっていた。
ぼくの飼っていたブタそっくりの、桃色のブタに。
もう、言葉もしゃべれず、
ピンク色の鼻をぶうぶう言わせることしかできなくなっていた。

それからぼくは、そのブタのことを、
いままでと同じように可愛がった。

だから、名前も付けなかったのだと、そのとき気づいた。


・・・そんな夢だった。


また別の夢。
それは、自分の部屋の床のすきまから、
おびただしい数のムカデがぞろぞろと這い出てくる夢だった。

大小さまざまのムカデ。
赤いのやら、茶色いのやら、青黒いのやら、オレンジ色のやら。
ぼくは、半泣きになりながらも、
スリッパを片手に必死で叩きまくっていた。

身をよじり、死んでいくムカデたち。

叩いても叩いても、次から次へとどんどん這い出てくる。

と、突然、ムカデの出現がぴたりとやんだ。
スリッパをふるう手を止め、室内を見渡す。
床には何百匹ものムカデの死骸が散乱していた。

ぼくは、ムカデの死骸をかき集め、
中華鍋で「油通し」をして「からあげ」にした。

食べてみると、
高級なエビをカリッと揚げたような風味と味わいで、
ものすごくおいしかった。
ぼくはそれを、なぜかぼろぼろ泣きながら、
黙々とほおばりつづけた。

・・・こんな夢を見て目覚めた朝。
   いったい何の「お告げ」なのかと量りかねて、
   ものすごく微妙な気持ちになった。


そしてつい先日。
夢うつつに、こんな「夢」を見た。


丘の上に、大きな木がある。
その木に小枝を持っていって「接ぎ木(つぎき)」をすると、
自分の望むものが実となって成る。

ある人は「おいしい果物がなりますように」と接ぎ木をする。
しばらくすると、リンゴやイチゴやサクランボが、たわわに実った。
接ぎ木をした人はもちろん、ほかの人たちもみんな喜んだ。

また別の人はイスを望み、
いろんな形、いろんな材質でいろんな色のイスがたくさん実った。
また別の人は自転車、また別の人はパン、また別の人は靴・・・と、
それぞれ欲しいものを願って、接ぎ木をしていく。

実った「果実」は、接ぎ木をした本人だけでなく、
ほかの人たちがもぎ取ってもあまるほどの量があり、
誰も欲しい分だけ果実を手にした。

接ぎ木をした人も、そうでない人も。
その木を大切に世話して、大事に見守っていた。

あるとき。

ひとりの男がやってきて、
丘の上の大きな木に接ぎ木をした。
男の望みは「お金」。
お金がたくさん欲しかった男は、
毎日、大きな木の下へ行っては、
早く実が成らないかと心待ちにしていた。

待てど暮らせど、男の接いだ枝には実が成らなかった。
そればかりか、大きな木の枝という枝が枯れはじめ、
ついには大きな木自身もかさかさに枯れて倒れてしまった。

誰かがこう言った。

「お金なんか望むからだ」

欲しいものは何でも手に入っていたのに。
ひとりの男が「お金」を望んだばっかりに、
大きな木は枯れてしまった。

・・・説教くさくて、ちょっとまとまりすぎた「お話」だけれど。
   この大きな木に、いろいろな「果実」が成っている絵は圧巻だった。
   自分の頭に「プロジェクター(映写)機能」が
   ついていないことが悔やまれるが。
   気が向いたらいつか、それを絵に表わしてみてもいいかと思う。


夢は、ときどきおもしろい「お話」を見せてくれる。
ときには映画にも勝る臨場感で、
手触りや実感を持った物語を体感させてくれる。

友人は、

「夢にトイレが出てきて、おしっこをしたら、あったかくて。
 冷たっ、て思って起きたら、おねしょしてた」

と、コテコテの「夢」に翻弄されたようだが。
彼いわく、「二十歳を超えてから初の寝小便」だそうだ。


果たして「夢」か「現(うつつ)」か。
いまこの瞬間が「現」かどうか、
その証拠はどこにもないのだけれどネ♡


< 今日の言葉 >

私にも音楽わかります 私にもリズムわかります
わかるだけ 踊れない

(『踊れない』/戸川純とヤプーズ)