2009/05/20

商売下手な人々




「ウイングチップ」(2009)






僕は、専門店が好きだ。

商店街の中にある靴屋、
鞄屋、果物屋、そうざい屋など。
見ているだけで楽しくなる。

専門店には、
見たこのとないような道具や
機械があったりするし、
お店の人と話していると
「へえ、そうなんだ」と思うことが多々ある。

そんな専門店の人たちの中には、
商売があまり「上手ではない」人たちがいたりする。

商売上手の人も、
気持ちよく買い物ができて好きだけれど。

商売上手じゃない人たちも、
それと同じくらい好きだ。


先日、ある商店街で靴を買った。

「セカイチョー」の
『パンサー』という青い靴で、
小学校のときに履いていた記憶がある。

おそらく、70年代後半から80年代にかけて
全盛を迎えた靴だと思うが。

正直、ちょっと探していた靴でもある。

この「セカイチョー」の『パンサー』。
最初に見つけたのは、
店内のワゴンに山積みされたものだった。

古いせいか、
ソールの接着部分が茶色く変色し、
靴の青い生地にまでそれが広がっていた。

そのため、新品にも関わらず
300円で売られていた。

他の靴も、似たような理由で
すべて300円の値をつけられ、
ワゴンにごろごろと積まれていた。

そのときは、残念ながら履けるサイズがなかった。
いちばん大きなサイズのパンサーでも、
24.5センチしかなかった。

誰か、履ける人がいるかもしれない。
そう思って1足、買って帰ることにした。


店のおばちゃんと話していると、

「たしか、27センチがあったような気がするけど。
 いかんねえ、面倒くさがっとっちゃ。
 たぶん2階の倉庫にあると思うんだけどねえ・・・。
 こんなこと言っとるもんだでいかんのだけどねえ」


と、申し訳なさそうにぼやいていた。

僕がもう一足、
1階の倉庫で見つけた『パンサー』の
『ソフトメキシカン/白』を買うと言うと、


「本当は1000円で売りたいところだけど。
 あんただったら、まあ、500円でいいわ」


と思い切って半額にまけてくれた。
さらには、


「無理して買ってない? 大丈夫?」


などと何度も心配げに聞いてきた。
最後、店のおばちゃんは、


「今度くるまでに27センチ、探しとくわね」


と言ってくれた。



2週間ほどして。
その靴屋にまた行ってみた。

夏のような暑い陽射しの日で、
軒先に分厚いテントシートが垂れ下がっていた。

そのせいでやっていないようにも見えたけれど。

中に入って「こんにちは」と言うと、
遅れておばちゃんがやってきた。


「覚えてる、青い靴のこと?」


と聞くと、


「ちょぉど今朝ねえ、片づけしとったら。
 28センチのが出てきたんだわ。
 あれぇ、誰だったかなぁとか思いながら、
 今朝、その靴をよけといたんだわ。
 ああ、ちょぉどよかった。
 本当にちょうど今朝、片づけして出てきたから」


と嬉しそうに言った。

ちょっと待っとってね、と言い残したおばちゃんは、
ほどなくして青い『パンサー』を持って戻ってきた。


28.0センチ。

欲しい靴があっても、
いつもデカ足に固唾を飲まされている僕にとっては、
すごく嬉しいニュースだ。


「できれば27センチよりも大きなサイズが欲しい」


おばちゃんは、
そんな僕の言葉を覚えてくれていたのだ。

あんまり嬉しっかたので、すぐに財布を取り出すと、
案の定、おばちゃんはこう切り出した。


「まあ、500円でいいわ。
 わざわざ買いにきてくれたんだから」


僕は、店にくる前から決めていた。
何と言われようが、1000円で買おうと。

「いいよ、1000円で買うよ」とお金を差し出すと、
しばらく遠慮したあと、ほっとしたような顔で笑った。


「本当にぃ? ありがとー。いやぁ嬉しいわぁー」


と乙女のような純真さで喜びを表現したおばちゃんは、
千円札を両手で受け取り、何度もお礼を言いながら、
何度も何度も頭を下げていた。

両手を合わせ、合掌までして。

お礼を言いたいのはこっちのほうだ。
物質的なことだけでなく、
いろいろな意味で、
1000円でも安すぎるくらいなのだから。


「ありがとうねえ、本当に。
 お父さんにも話しとくわね」


お父さんとは旦那さんのことで、
もっと言うと「天国の旦那さん」のことだ。

レジの横にも、その「お父さん」の写真が飾ってあった。


あとでその話をすると、知り合いの1人が、


「インドの神さまだと思ったんじゃない?」


と言った。

たしかにその日は、
シヴァ神やサラスバティが描かれた、
極彩色のインドシャツを着ていたし、
髪の毛は相変わらずチリチリ頭だ。

お金の代わりに「ビブーティ」が出てもおかしくはない。


けれども。

彼のひとことコメントは、
単刀直入で、おもしろすぎる。


さて。


また別の日。

骨董市のような出店に寄った。

商店街の一角にひしめく露店には、
一見「ガラクタ」のようにも見える
珍品や名品が、にぎやかに並んでいる。

お祭りのような雰囲気に引かれて覗いてみると、
どの店も、そろそろ
片づけに取りかかっているような時間帯だった。

時計を見ると午後4時すぎ。

もっと早くこればよかったな、などと思いつつも、
手前から順に露店を覗いてみた。

敷地内の、すみっこのほうにある1軒(?)の露店。
僕は、いわゆる「骨董品」よりも
「ガラクタ」が好きなので、
店先にちょこんと置かれたトレイや
箱の中身を物色していた。

ブリキでできた、
何かのフタのようなトレイの中を物色していて、
金色のネクタイピンを見つけた。

ラジカセの形をしたネクタイピンで、
『マイクロminic』という文字が
デカデカと書かれている。

ネクタイなど、ほとんどしないのだけれど。
年に1度、卒業式で締めることがある。

おもしろいデザインだな、と思って、
手に取り眺めていると、
店の人が、片づけの手を止めて話しかけてきた。


「珍しいでしょう、それ」

「そうですね。これ、いくらですか?」


店の人は、彼より年輩の、
いかにも骨董商の主人といった風貌の
男性に声をかけた。

主人らしきおじさんは、
片づけ作業をしながら、顔だけ向けた。


「800円でどう? それ、年代物だよ。
 これ、このラジカセが出たときの記念品だからね」

「800円? 高っ!」


骨董に不慣れで、ずいぶん気楽に見ていた僕は、
思ったままの感想を、そのまま声に出して言っていた。

すると主人らしきおじさんは、
片づけの手を休めてこちらに向き直った。


「本当は1000円から1500円くらいで
 売りたいところなんだよ。
 ねえ、800円でどう?
 800円ならカツ丼定食が食べられるからさあ」


先ほどよりもやや弱腰な感じで、
何やらお願いするような口ぶりだった。

キーホルダーやら角の欠けた小瓶やら、
錆びた鳥形の爪切りやらと一緒くたに、
何となく雑な感じに置かれていたので、
てっきり「ガラクタ扱いの品」のつもりで手に取った。

そんな思い違いで入った僕に、
800円は、少しばかり高かった。


「これ、何年代ですか?」


値打ちうんぬんというより、ただ単に気になった。

けれども、答えは返ってこなかった。


僕の投げかけた質問が相手にされず、
空中をふわふわ漂っていたような気がしたので、

「80年代かなあ・・・」
と、自分でぽつりと返事をした。

質問の答えの代わりに、店のおじさんが、
心なしか眉をハの字にしながら、

「ねえ、800円だよ。どう?」とか
「800円。もう今日も終わりだし」とか

いろいろなことを言っていた。

僕は、あれこれとたくさん
言葉を投げかける店のおじさんについていけず、

「800円かあ」

とつぶやくのがやっとだった。


そしてふとまた、素朴な疑問が湧いてきた。

「このラジカセ、
 どこのメーカーなんですかね?」

主人らしきおじさんは、
じっと押し黙って汗を拭っていた。

最初に接客してくれた店の人が、
僕の手からネクタイピンを受け取ると、
少しして大きな声を上げた。


「あっ、ナショナルって書いてあるっ!
 ナショナルだ、これっ!!」


お手柄を発見したときのような勢いで、
嬌声(きょうせい)を上げ、
ネクタイピンを空に向かって高々と上げるその姿に。

僕はふと、『101回目のプロポーズ』で、
武田鉄矢氏が1円玉を見つけた場面を思い出した。

主人らしきおじさんが、
疲れたような声で、ぽつりとこぼす。


「ねえ、いくらだった買ってくれる?
 じゃあ、500円でどう?」

「500円かあ・・・」

この期に及んで、
50円とか100円なら、なんて言えそうにもない。

「お兄さんなら似合いそうだし。
 500円だったら、半値から3分の1だよ」

僕は、いろいろと楽しいやり取りを
させてもらったので、
500円でもまあいいかな、と思った。

500円なら、まあいいかなと。

「じゃあ、500円で」

ちょうど財布の中に、
500円硬貨が1枚入っていたのも気持ちがいい。

800円だと、1万円札をくずすことになっていた。
まあ、そんなのも「自分の都合」でしかないのだが。


「これでコーヒーでも飲んで下さい」


カツ丼の定食まではいかないにしろ、
お茶代くらいにはなっただろうと。
主人らしきおじさんに、そう声をかけたのだけれど。


返事は、なかった。


僕の声が聞こえなかったのか、
おじさんは忙しそうに、片づけ作業を再開した。

ラジカセ型の、金色のネクタイピン。
「このままでいいですか?」
と聞かれて「はい」と答えたことが悔やまれる。

もし断っていたら、どんな包装をしてくれたのか、
見てみてみたかった気もする。


骨董商のおじさんも、
無知でバカなお客に手を焼かされたのではないかと。
あとになって思った。

何だかちょっと申し訳ない気がしなくもない。
けど、僕が値切ったわけでもないので、
まあいいかなとも思った。


古着屋のお姉さんと話していると、
革靴の話になった。

そして革靴専門の古着屋を教えてくれた。
何ひとつ買い物をしなかった僕に、
地図まで描いて教えてくれたのだ。

地図を片手にその店に向かう。

その店は、昔見た外国の絵本に出てくるような、
靴が壁一面ずらりと並んだ店だった。

靴屋の店員のお姉さんは、
がつがつ商品を勧めてくるようなタイプではなく、
こちらの要求に対して
きっちり応えてくれる感じの人だった。

人の話をよく聞いて、よく笑う人だった。

彼女は最後まで、
靴にまつわるウンチクのような話は、
一度もしなかった。

そして結局、ドイツ製のウイングチップを買った。
装飾の細かい、チョコレート色のウイングチップだ。


「ありがとうございました。またきてくださいね」

「古着屋のお姉さんに会ったら、
 ありがとうって言っといてください」

「分かりました。言っておきます」


靴屋の人は、裏表のない感じで笑いながら、
店の前まで僕を見送ってくれた。

靴屋だけに、足元を見るのが商売なのだけれど。
靴や足の形は見ても、
人の足元を見るようなことはしない。


みんな「商売下手な」いい人たちばかりだ。


だから僕は、専門店が好きだ。


個人の営む専門店には、
ややこしい決まりもルールもない。

個人店でなくても、
専門的な知識を持つ、専門店の人たちを、
僕は尊敬している。

みんな商売の枠を超えて、
商品」への思いがあるからだ。

商売下手ではやっていけないけれど。
お金儲けだけが上手くなるよりは、
まだましかもしれない。



< 今日の言葉 >

『芸術は見えるものを
 再現するのではなく、
 見えるようにするものである』

(誰の言葉か忘れた言葉/
「イエハラ・ノーツ」2008年June号より)