2008/08/20

ときめく細胞




「花を見つめる乙女」(2008)




「ため息をつくと、
 しあわせが逃げるよ」


誰かに言ったり、
言われたりしたことは
ないだろうか。

科学的な根拠が
あるわけでもないだろうが。

たしかに的を射た
「いましめ」の言葉だと思う。


「しあわせ」のかたちは、
人それぞれ違うとしても。

ため息をつくと、
せっかく近よってきた「しあわせ」が
遠ざかっていってしまうのは、うなずける。


しあわせは「前向き」なのに、
ため息は「後ろ向き」だから。


そもそも
向いている方向が違うから、
すれ違って反対方向に
流れてしまいそうだ。


「死にたい」


そんなふうに「思った」だけで、
体の細胞のいくつかが、
実際に死んでしまうという話もある。

思ったり考えたり
しただけで、である。


想念や思考が体を「うごかす」だけでなく、
出来事としての「現象」まで
現実化してしまうのだから、
めったなことを口走るものではない。


「想念は具象化する」


野球好きならずとも誰もが知っている、
かの『ミスター』が言っていた言葉だ。


競技や試合の前に
イメージ・トレーニングをする。

そのイメージがどれだけ「具体的に描けるか」。

成功イメージの「絵」を「表現」すること。


いってみれば、
アスリートは芸術家だ。


少し昔の話だが。

ある体操選手は、
競技場に向かうバスの中で、
何度も競技イメージを繰り返し描き続けて、
何度もぴたりと着地する「映像」を
「再生」していたとのことだ。


そして実際、
思い描いていた「映像」と
まったく同じように、
ぴたりと着地を決めて、
金メダルを獲得。


驚くことに、
競技開始から終了のタイムまで、
ぴたりと同じだったという。



「妖精なんていないよ」


誰かがそう言うたびに、
ネバーランドでは
妖精がひとり、死んでしまう。


音楽界の大スターが
所有する「楽園」の話ではない。

ピーター・パンの故郷の
「ネバーランド」だ(念のため)。


先の「細胞」の話と
同じ理論だから、興味深い。



「妖精」といえば、
昆虫のみたいに透き通った羽根を持つ、
半裸体の、小さな少女の姿を
思い描く人も多いだろう。

この妖精の姿を
いちばん最初に世に広めたのは、
「シャーロック・ホームズ」
作者でおなじみ、
コナン・ドイルの、
その祖父(曾祖父?)だと
聞いたことがある。

なんでも、
コナン・ドイルの家系は、
妖精の見える血筋だったらしい。


妖精を信じる信じないは別として、
四六時中、妖精の姿が見えるようになったら、
きっと何かの「おしらせ」だろう。


その「おしらせ」が、
悪い知らせなのか、
それともよい知らせなのか。


それは、
お医者さんの診断、
または自分の判断で
決めればいいことだ。


「どきどきがなくなると、
 死んじゃうんだよ」


昔、『青い烏(からす)』
という小説の中で、
こんなセリフを書いた。

ここでいう「どきどき」とは、
もちろん「鼓動」のことであり、
同時に「わくわく、どきどき」と
いう意味での「どきどき」でもある。


人間、どきどきしなくなったら、
ある意味「おしまい」かもしれない。


どきどき感を失ったら、
体の機能は死んでいなくても、
精神や感覚の一部がゆっくりと麻痺して、
そのうち反応を示さなくなるんじゃないだろうか。


ちなみにこの、

「ドキドキ」

という言葉。

カタカナで書くと、
なんとなく気恥ずかしい感じがするのは
自分だけの感覚だろうか。


言葉にすると安っぽく、
陳腐(ちんぷ)になってしまうものもある。


けれど、
言葉や観念として「表現」しなければ、
具現化されないものもある。



「夢は、自分の絵が
 『アルフォート』の絵に選ばれること」


そしていつか、
世界を旅したい。


暑い夏は苦手だけれど。

1回っきりの夏だもん。

ワクワクドキドキのサマータイムを、
おもいっきりエンジョイするゾ!

リフレッシュ&
アクアフレッシュ。

おはよう(ゆりかご)から
おやすみ(墓場)まで、
こころと細胞をたいせつに。