2008/06/30

鳴かない犬、ハナ

僕は犬を飼っている。名前は『ハナ』。
13年ほど前に緑地公園で拾ったメス犬で、柴犬によく似た感じの雑種犬だ。
長いわりに面白くない話かもしれないが、その『ハナ』のことを話したいと思う。


初めて見たときのハナは、手のひらに乗るほど小さくて、ぴょんぴょん跳ねるようにしてちょこまかと歩いていた。よく似た色合いの、兄弟らしいオス犬と一緒にいた。
友人とスケボーの練習をしていて、その小さな2匹の犬を見つけたのだが。つい、無責任にもなで回し、さらには売店で買ったスナック菓子を与えて、おいしそうに食べるさまを見て喜んでいた。気を使ったと言えば、同じ『カール』でも「うすあじ」を選んだという程度。ただただ一方的な可愛がり方で、2匹の野良犬とじゃれ合っていた。

ずいぶん前に、飼っていた犬が死んだとき悲しかったから。もう、犬は二度と飼いたくない。そう思っていた。

帰り際、なかなか2匹の犬たちと離れられなかった。犬たちもかまってもらえるのを喜んでいるふうに見えた。
「もし、ついてきたら。そしたら飼うことにしよう」
友人にそう宣言して立ち上がり、その場から足早に離れた。
20メートルほど足を進めて立ち止まり、ふり返ってみた。
2匹の犬たちは先ほどの場所に座ったままで、じっとこちらを見ているだけだった。
(なんだ、そっか。人なつっこい野良犬だっただけなんだな・・・)
ほっとするどころか、どこか残念に思いながら、再び足を進めようとしたそのとき。何かの合図でも受けたように、体の大きなほうのオス犬がこちらに向かって走り出した。小さいほうの、メス犬も、置いていかれないよう懸命に、オス犬のあとを追って走り出す。
2匹の野良犬は、先ほどの場面の焼き直しのように、僕の足元で尻尾を振っている。

結局僕は、宣言どおり犬を飼うことにした。

『わび』と『さび』。2匹をそう名付けて呼んだのは、ほんの3日間のことだった。
目を離したすきに、飼っていた猫が『わび』を脅かし、そのままオス犬の『わび』はどこかに逃げていってしまった。すぐに追いかけ、探し回った。けれど、1週間以上探しても『わび』は見つからなかった。
悲しかった。ほんの短い付き合いだったけれど、僕は『わび』のことが好きだった。
兄妹だった2匹の犬は、僕の不注意から一人っ子になってしまった。
残された小さなメス犬には、あらためて『ハナ』という名前を付けた。

ハナは要領が悪かった。
遠慮がちな性格らしく、オス犬と一緒だったときにも、割って入ることができず、なかなかエサが食べられなかった。帰宅した僕に飛びつくのもオス犬が先で、何をするにもハナは出遅れてばかりだった。
寂しさを訴えて鳴くのもオスのほう。少しその場を離れただけでも、うるさいくらいにワンワンと鳴いた。
ハナは、1匹になってからもうるさく吠えることはなかった。帰宅の「出迎え」も、ただただ尻尾を振って、黙って見上げるくらいだ。それでも、ぺったりと寝かせた耳とぱたぱた振り回された尻尾の動きが、喜びを充分表しているように感じた。

●●

猫が死んでからは、ハナを室内で飼うようになった。
外にいるときでも、ほとんど吠え立てることはなかったのだけれど。家の中に入ってからは、何か「異変」を感じたときに、外に向かって吠えることはあっても、ねだったり、甘えたりして吠えることは滅多になかった。

それほど「おとなしい」ハナの吠える声を聞いたのは、もうどれくらい前のことだろう。
たまに「わんわん、うう、わん」という鳴き声を聞く。けれどもそれは、たいてい寝言だ。夢の中で何かに向かって吠えているのか。寝言だけでなく、おっさんのような立派ないびきをかいたりはする。
それでも、ハナが何かを訴えて吠えることは、もう何年もない気がする。

ハナが何かをねだるときは、前脚を伸ばしてカリカリとかいてくる。スネやヒザなど、手の届くところをカリカリとかく。
遠慮がちな性格でありつつも、頑固で忍耐強い部分もあるハナは、なかなかあきらめようとしない。遊んで欲しいときは、そばに座ってじっと視線を送り続ける。テレビでサッカーの試合を観戦しているときなど、45分ハーフくらいは軽く待つ。
こたわりが強く、嫌なものは嫌だと「拒絶」する。けれどもその拒絶の仕方がゆるやかで、吠えたり逃げ出したり暴れたりするわけではない。嫌なものを差し向けられたときには、迷惑そうに顔を背ける。風呂に入れたときなどは、悲しげな顔で浴室の外に上目を向けているのだが、されるがままにじっとしている。濡れてみすぼらしくなり、しゅんとしおたれたその姿には、申し訳なくも思わず失笑してしまう。

1ヶ月ほどの長期旅行から帰ったとき。
久々の再会に、僕のほうが「ハナシック」気味の勢いで飛びつくのだが。出迎えのハナは、まるで今朝別れたばかりような涼しさで、尻尾を振り回して「歓迎」してくれる。まるでクールなホステスのような態度で、感情をあらわに表現することはないのだけれど。そのあとは寝るまでずっとそばを離れなかった。

年々、寂しがりになってきたのか。いまでは「ひとりぼっち」になるのが嫌で、家じゅうついて回ってきたりもする。かと思えば、知らぬ間にそばを離れていたりもする。猫と同居していたせいか、どこか性格が猫っぽいのかもしれない。前脚を舐めて顔を「洗ったり」する動作などは、まるで猫そのものだ。

そんなハナとの生活。ハナがいることが当たり前になって、気づけば13年も経っている。

●●●

木曜の朝。ハナの様子がおかしいので、動物病院に連れて行った。
熱が39度以上あった。人間でいうと40度以上の感覚だ。

最近「さかり」なのか、朝早くから遠吠えをしていた。ずいぶん久しぶりのことだったので、「おばあちゃんになっても、まだまだ色気はあるもんなんだな」などと呑気に思っていた。
食が細いのもそのせいかと思っていたのだが。レントゲンなどの診断の結果、左の腎臓がかなり腫れていることがわかった。しきりにおしりを舐めていたのも、経血かと思っていた。けれど、ハナはすでに閉経しているということだった。大きく腫れ上がった腎臓が子宮を圧迫しているのか、それとも子宮自体に何かの病気があるのか。
その日は抗生物質などの注射を2本打ってもらい、自宅で静観することにした。

病院から戻ったハナは、熱のせいか、体全体でハアハアと激しく息をして、足取りもふらふらとおぼつかなかった。尻尾も、根元から力なく垂れ下がっている。
まったく鳴かないハナが、悲しげに鳴く。
いかにも苦しげに、いままで聞いたこともないような低い声で「オオン」と鳴く。
切れ切れに短い眠りに落ちるようだが。痛みのせいなのか、すぐに目を開け、天井に向かって「オオン」と吠える。本当は眠りたくて仕方がない様子で、顔を持ち上げた姿勢のまま、何度もうつらうつらと首を揺らしていた。

時間が経つにつれ、短い睡眠が少しずつ長くなり、苦しそうに鳴く回数も減ってきた。
きっと薬が効いてきたのだろう。そう思った。

エサも食べず、散歩に出ても排便をしない。いつもよりも奮発した、おいしそうなエサでも見向きもしなかった。水すら口を付けないのに、生理のときのように、しきりにおしりを舐めている。嗅いだことのない、生臭い血の匂い。くさい、というより、何か不吉で、不安に感じる匂いだった。

この日、風呂場に排便のあとがあった。どろどろで、黒っぽくて、泥のような少量の便。どうやら朝方にハナがしたものらしい。家の中で暮らすようになってから初めてのことだ。いままで、ソファや床の上などですることすらなかったのに。誰に教わったわけでもなく、ハナなりに気を遣ってか、風呂場を選んでうんこをした。
お利口というか、いじらしいというか。高熱でふらつく体で選んだ行動だと思うと、胸が詰まった。

その日は心配だったので、1日じゅう、ずっとハナのそばにいた。僕が動くと、ハナのほうもついてくる。
少し眠っては目を開け「オオン」と鳴く。その夜は0時ごろ1回吐いて、午前1時と3時と5時台にまた、風呂場に暗褐色のうんこをした。
朝方、30分ほどうたた寝しただけで、すぐまた目を覚ましてハナを見ていた。
何ができるというわけでもない僕は、苦しそうに鳴くハナの頭を撫でることしかできなかった。

●●●●

明けて金曜日。
いっこうに具合がよくならないので、再び母が、ハナを病院へ連れて行くことになった。
突然悲しみに襲われるのが怖い臆病な僕は、こういうとき、いちばん最悪なことを考えてしまう。
けれど、口には出さない。その代わりにハナの写真を撮った。
僕は仕事があるので、朝、ぎりぎりまで粘って家を出た。

ふらつく足取りで僕を追いかけ、出かける用意をするのを見ているハナ。黒く、潤んだ目は、いつもと何も変わらないように見えた。痛みも、苦しみも、まるで感じさせない、おだやかな顔つきだった。

本当は仕事どころではなかったのだけれど。
担当しているクラスの生徒たちの声を聞き、顔を見ていると、いくらか気持ちがやわらいだ。
眠っていないせいもあったのだろう。僕は、いつもより饒舌に、ほとんど黙ることなくしゃべり続けた。
そうしていないと、不安で不安で、落ち着かなかったから。

授業中、僕あてに電話があったと知らされた。
「お家の方からです」
僕は、全身から血の気が引くのを感じた。
階段を下りる足が、まるで他人のもののように曖昧だった。

講師室で電話を借り、家に連絡を入れる。母が出た。
「ハナ、手術しなきゃいけないって・・・」
不安げな母がうろたえながら、賛同と同意を求めてくる。
ハナが、年齢的にも体力的にも手術に耐えられるのかどうか。手術をすることが、ハナにとっていちばん楽になる方法なのかどうか・・・など、母に聞いた。
手術をしなければ、まず痛みは治まらないという。
放っておけば、子宮を蝕んでいる「毒」がどんどん体に回ってしまう。
すぐにでも処置したほうがいい、と。

子宮の摘出。
その日の午後、子宮摘出の手術が行われることになった。

いったん落ち着いた僕の不安は、また別の形になって膨らみはじめた。
午後の授業が終わるとすぐ、家に帰った。
駅に着くと、家まで走った。こんなに走ったのはどれくらいぶりだろう。
途中、思わず足をゆるめそうになったけれど、ハナの苦しみに比べれば、自分の感じている「苦しさ」なんて何でもないように思えて、家に着くまでひたすら全力で走った。


手術後のハナは、ステンレスのケージに入っていた。
首には、傷口を舐めないよう「ラッパ」が付いていて、前脚からは点滴の管が延びていた。体の左側、脇腹の毛を剃られた姿が痛々しい。
オリの中から、ひどく不安げな目でこちらを見ている。「どうして出してくれないの?」とでも言うように。
注射を打たれ、腹を開かれ、ラッパや管を付けられて。何も分からないまま、団地のようなオリの中に入れられ、「ひとり」にされて不安なわけがない。自分がハナの立場だったら、不安で仕方ないに決まっている。

レントゲンや手術行程の写真を見せてもらいながら、医師からの説明を聞いた。
摘出した子宮は、病気に冒され、ボールペンの芯ほどの管の部分が、直径2センチほどにまで肥大していた。子宮口に近い辺りでは、球状に膨らみ、こぶのような塊ができていた。
今回の手術では、子宮と卵巣を摘出した。そのため、当初の来院目的である「痛み」は治まるということだった。
他に気になる点。
それは、肥大した腎臓だという。
現状では、左右両方とも機能しているので「すぐに悪さをする部分ではない」というのが医師の見解だった。体力的な問題や将来的な見通しなど、医師の説明を聞いて、しばらく様子を見ることに合意した。

医師の言うことに納得もできたし、少しは安心もできた。けれども、まったく不安がなくなったわけではない。そんな思いでハナの特徴を語り、医師にあれこれと質問を投げかけた。
話すほどに不安が膨らみ、怖くて泣きそうになった。
それが伝染したのか。若い医師は、少し目を潤ませながら僕の話を聞いていたように見えた。

そのままハナは、2日間入院することになった。
明日の土曜日は面会ができるらしいが。帰る前、もう一度ハナの元へ行き、柵の隙間から手を入れ頭を撫でた。
悲しげにハナは、じっと僕を見ていた。
他の犬たちはワンワン鳴いていたけれど、ハナはくうんと小さく鼻を鳴らしただけだった。


空腹なのに食欲がない。寝ていないのに寝れそうになかった。
今晩が「ヤマ」だと感じた。
眠れないので絵を描いた。
猫がいなくなったときと同じように。 動くものがあるとふと、いるはずのない姿を探してしまう。
寝不足で感情が高ぶっていたせいもある。
夜中に僕は突然泣いた。

●●●●●

オリの中に入れられた、不憫なハナの姿を見たくない。
そんな自己中心的な理由で、面会には行かないでおこうとも思った、けれども。
僕は、後悔をしたくなかった。もう二度と、後悔はしたくない。
猫が死んでしまったとき、ヒザの上に乗りたそうにしていたのに、出かける前だからという理由で乗せなかったことを悔やみ続けた。乗りたがっていたのは、死んでしまう2日前のことで、それが最後の「わがまま」だった。
そんな自分の「エゴ」だけではなく、面会をすることでハナの精神的な支えになるだろうとも考えて、午前中の面会時間に病院へ向かった。
いきなり色々なことが起こって、自分が捨てられたのかと思ったりしたら負担になるだろうし、変なトラウマが残ったりしたらいけないので。入院なんて、ハナには初めての体験なのだから。

精神的な面だけでなく、実際、面会に行ってよかったことがある。
ハナはまったくエサを食べようとしていなかったのだが。手に取って口元に運ぶと、勢いよくぺろりと食べたのだ。このエサは、単なる食事だけではなく「処方食」でもあり、腎臓機能の回復を促す「治療」もかねている。
エサを食べなければ、よくなるものもよくならない。
全部は食べなかったが。
すきを見て出ようと試みるハナを押さえつつ、頭を撫でながら、しばらく看護士さんと雑談していると、自分からも少しエサを食べた。
食べるということは「生きる」ということ。
自分からエサを食べたのは「生きよう」という意志がある証拠だ。

気になったので、午後の面会も行くことにした。
結局、午後も、僕の手からでないとエサを食べなかった。

ケージの外にかけられたカルテを見て初めて知ったこと。それは、ハナの性格的な特徴について書かれたもので、
『甘えんぼうです♡』
とあった。・・・甘えんぼう。なるほど、言われるまで気がつかなかった。他の犬と比べたこともなかったので、ハナが「甘えんぼう」に属するとは思ってもみなかった。
飼い主の手からしかエサを食べないハナ。どう見ても僕は、まさにその瞬間も「甘やかして」いた。甘えんぼうに育ったのは、もしかすると自分のせいか? そんなふうにも思った。

こだわりが強く、“お気に入り”を守り続けて、ときどき頑固。
僕は、そういうのを「甘えんぼう」と呼ぶとは気づかずにいたらしい。

エサを3分の2ほど食べたハナは、しばらくして眠りはじめた。面会中は、ケージの扉も開いたままだ。
眠るハナを見守り、看護士さんと1時間以上話し込んだ僕は、やっぱり「甘やかし屋」かもしれない。


日曜日は休診日なので、面会ができない。
ことあるごとに、過保護な親よろしく「エサ、ちゃんと食べてるかな」「うんこ出たかな」などと心配ばかりしていた。ケージの中で何度か尻尾を振り、見るからに活力を取り戻したように見えたハナだけれど。まだ、安心と呼べる手応えはつかみきれずにいた。

手術後の血液検査の結果がまだ出ていない。
白血球の数値が基準値の倍以上あるということ。それは血液中に炎症・感染が見られるということだ。
血小板の数値が少ないのも気になる。そのせいで術後の回復が遅ければ、またそれで問題が起こるかもしれない。

自分のことだとそれほど心配しないのだけれど。
他人のことになると「こんなに気弱だったか?」と思えるほど、おそろしく心配性になる。


●●●●●●

月曜日。ハナの退院の日だ。
嬉しさ半分、検査結果への不安が半分。午後診が始まる夕方5時の、15分以上前に病院へ着いた。
待合室にはたくさんの人と犬と猫がいた。
年老いた犬やふくよかな猫。籐で編んだカゴの中から、赤ん坊のような声で鳴く猫の声が聞こえる。

名前を呼ばれ、診療室に通される。
足元にはハナがいた。
目の色も、表情も、くるくる回る尻尾も。ずいぶん元気が戻ったように見える。

医師からの説明を聞き、複雑だった。
腫れた腎臓は、いずれ何かしらの処置が必要だと。つまり、手術する以外に回復する見込みはないということだ。いまはまだ沈黙しているが、周辺器官に悪影響を及ぼすようになれば、開腹して切除するほかないそうだ。
血液の値は、正常値に戻ったものもあるが、下がってはいるものの、まだまだレッドゾーンにあるものも複数ある。
ひとまずは、薬と処方食で様子を見ながら、1週間後に再検診という形になった。

今回の検査で初めて分かったことがある。
それは、ハナの喉元の気管支がずいぶん細いということだ。
気道が非常にせまくなっているせいで、興奮したり息を荒げたりすると、ぜいぜいとぜんそくの発作のような息づかいになる。
たしかに思い当たる。激しく咳き込むように息をしたあと、ひどいときにはけいれんしながら倒れてしまうことがある。暑い日の散歩などは特に気をつけているのだが。倒れてしまわないよう、いつも不安で仕方がなかった。

「最近、ほとんど吠えないんですよ。それも気管支と関係あるんでしょうか」
そう訊ねる僕に、医師は「ないともいえない」と神妙に答えた。
医師が言うには、わんわんと吠え立てる性格でなくてよかった、ということだ。よく吠える犬だと、気道の閉塞がもっと顕著に現れ、進行具合もかなり早くなるそうだ。
知らなかった。
当然ハナは、そんなことを気にするふうでもなく、いままでずっと暮らしてきた。

鳴かないハナは、鳴けないのかもしれない。

そんな自分の体を当たり前のことだと思い、鳴けないことも、激しく走れないことも当たり前に思ってきたのかもしれない。正常とか異常とか、自分の体のことなど、他の犬とは比べようがないのだから。


診察室を出たハナは、すぐにでも外に出たそうだった。
車に乗せて、ゆっくりと家に向かう。
信号待ちで、助手席に座ったハナを見ていて、後続車からクラクションを鳴らされた。

家に戻ると、散歩に行きたそうだったので、そのまま散歩に出た。
高校脇の電柱で、流れるほどのおしっこをした。
やっぱり、ずっと我慢してたらしい。
慣れない場所や室内ではしようとしないし、いくらしたくても、ワンワン鳴いたりしない。

鳴かないハナは、ワンワン鳴いて訴えることはない。
痛くても、苦しくても、ハナは文句を言わない。
けれども、訴えないわけではない。
見ていればそれと分かる合図がいくつもある。
言葉はしゃべらないけれど、言葉よりも分かることがある。

犬は、嘘をつかない。寡黙だけれど、教わることは多い。
子どもの書いた詩でこんなものがある。
『いぬは わるいめつきは しない』
そのとおりだと思う。
死別を考えると、動物を飼うのは悲しい。
けれども、動物のいない生活はもっと寂しい。

先のことを考えるのはよそう。

病院から家に戻ったばかりのハナは、どこか落ち着きがなく、エサも食べずに水ばかり飲んでいた。
疲れたのか、少し眠って。
しばらくしてようやく、じわじわとゆっくり「いつものハナ」に戻っていくのが分かった。
エサもおいしそうな早さで、夢中になって食べた。
首のラッパをぶつけながら、うろうろと家の中を歩き回ったあと、僕の顔に鼻先を寄せてきた。

そこで初めて、僕は、ほっとした。
ここ数日間の凝り固まっていたものが、すうっと抜けたような感じがした。
それは、数値で示された検査記録よりも確かな実感があった。

心配ごとは絶えないけれど。考え出したらきりがない。
いつのもハナに戻ったのだから、「いま」を取りこぼさずにいようと思う。
いま、ハナは静かに眠っている。
いまがあれば、大丈夫だ。

13歳と4ヶ月のハナは、首のラッパを柱にぶつけて、ぷうっとオナラをするほどおしゃれなレディなのだから。



| こんな長文を読んでくれた奇特な方へ。 |
|                    |
| つきあってくれて、どうもありがとう。 |
| 何か伝わったのなら、嬉しく思います。 |
| こんな長文を読んでくれる特殊な方は、 |
| きっとかなりの甘やかし上手でしょう。 |



2008/06/23

睡眠〜ある1週間の記録


最近、世間の人と同じようなサイクル、
いわゆる「朝型」の生活になりかけたと思っていたのに。

いつのまにか、また体内時計が壊れてしまった。

どこからどこまでが「今日」で、
いつから今日が「昨日」になったのか。
日付や時間の感覚が狂っている。
雨や曇りの空模様が続くせいで、よけいに時間が感じにくい。



これは、ある1週間の記録だ。


月曜 3:00に寝て11:00に起きる。早朝に出かけるので23:30ごろ就寝。

火曜 浅い眠りのまま1:00に起きる。車を走らせ伊豆半島へ。
   17:00ごろ、箱根峠に車を停めて1時間ほど爆睡。

水曜 三島市から2:00帰宅。3:00に就寝。
   14:00まで一度も目覚めることなく泥のように眠る。
   2:00に就寝。

木曜 14:00起床〜4:30就寝。

金曜 6:50起床。
   0:30ごろ床に就いたものの、すぐに目が覚める。
   時計を見ると1:00。
   30分ほど眠っただけで目が冴えてしまったので、
   そのまま5:00ごろまで絵などを描いていた。

土曜 1時間ほど眠って6:00に起床。
   ほとんど眠くなることもなく、
   松本市へ行き、諏訪方面を回って0:30ごろ帰宅。
   2:40に就寝。そのまま12時間以上、バカみたいに眠る。

日曜 15:30起床。
   ついに、今日が何日で何曜日か分からなくなる。
   時間の感覚も麻痺して、結局この日も朝7時頃まで起きていた。


・・・どうでもいい「記録」ではあるけれど。
あまりにも狂いまくっていたので、
途中で思い出しながら書き留めておいた。

別段、多忙を極めるわけでもないのに。
往年のピンクレディを思わせるような睡眠時間と、
かまとばあさん(丸1日ほど眠って2日間起き続ける)の
ようなサイクルが入り交じっている。
睡眠と覚醒を色分けしたら、すごい模様になりそうだ。


これまで、ずっと“わがままに”寝起きしてきたのだけれど。
「早起き」の予定がはさまると、
こうして生活サイクルがおかしくなる。

自分はずっと“わがままな”生活の中にいた。
こういう生活から「世間」を眺めると、
みんながいかに規則正しく、
時間単位で正確に生活を送っているかが分かる。


朝起きて、昼間に活動して、夜眠る。

月曜日から金曜日の「平日」は働いて、
週末から日曜日の「休日」を楽しく過ごす。
えらいな、と思う。

僕は「はみがきカレンダー」もまともに塗れない、
でたらめな子どもだった。

そして気づくと、そのまま「大人」になってしまった。

別にひねくれて奇抜さを求めているわけでもないのに。
「好き勝手」に生活すると、知らぬ間に、
世の中の流れからはみ出してしまう。

これは、なんだか不思議なことで、
なんだか怖い気がしないでもない。

この、一般的な「流れ」は、
誰が作っているんだろう。
誰が決めたことなんだろう。

まるで渋滞の先頭車両を探すような話かもしれないが、
なんとなく不思議だ。


でも、この「流れ」は正しいと思う。

もっと言えば、世界中の電気を消して、
太陽とともに生活することがいちばん「正解」なような気がする。

雨続きの貴重な晴れ間に、
庭の鉢植えがうれしそうに葉っぱを広げていた。
太陽に向かって、バンザイでもするように。

太陽の光を浴びなければ、人も、
同じようにうなだれたままなのかもしれない。


余談ではあるけれど。

お姫様は、何枚も敷いた布団の下に、
ひと粒の小さな豆があるだけでも寝つけないという話だ。

僕の知っている女性は、ベッドに横になるとすぐ、
ミルク飲み人形のような早さで目を閉じ、
およそ1、2秒のうちに眠りのふちへ落ちていく。

昼寝チャンピオンの、
野比のび太氏に勝るとも劣らない早業である。

きっと、小さな頃に
たくさんの愛情と安心をもらって育ったのだろう。


ちなみに僕は、神経質ではないにせよ、
靴下の裏にみりん揚げのカスがついているだけでも
違和感を感じてしまうほど、デリケートな部分もある。


そんな僕は、もしかすると王子様かもしれない。


だから、体内時計が狂っても、屁のつっぱりはいらんですよ。



2008/06/15

描いてもいいよ


絵というものは何なのか。

どうして人は絵を描いたり、
見たり飾ったりするのだろう。


絵画とは、神話の時代、
ひとりの乙女が恋人と別れる際に、
せめてその姿を留めようと
恋人の影の輪郭を写し取ったことから始まった、と。
(『ブターデスの娘の話』)

日本では、古く縄文時代の早期(今から1万6000年以上前)の
ものと思われる『線刻小岩偶』という
石に刻まれた「絵画」が発掘されている。

中には、腰みのをつけ、
乳房を出した女性と子どもの姿など、
人物らしき像が描かれた石などもある。


絵は、言葉の代わりなのか。

それとも、肖像画に見られるように、
写真の代わりなのか。

事実、写真技術の発展とともに、
肖像画の流れは衰退していった。

言葉も写真も映像もあるのに・・・
人はどうして絵を描くのだろう?


先日、西村一成(にしむらいっせい)くんの個展に行ってきた。

彼の初となる個展で「池田満寿夫記念大賞展」受賞作品をはじめ、
色とりどりの作品が所狭しと並んでいた。

何でも会期中、描き上がるたびに、
一成くん自身が運んできては飾っていくのだそうだ。

一成くんはずっと音楽の道を歩んできた人で、
本格的に絵を描き始めたのは8年ほど前のこと。
医師から統合失調症という診断を受け、
外出や対人関係を築くことが困難になったこともあり、
絵を描き始めた。

今では80号(145.5×112.1㎝)ほどのサイズの作品を、
1日に1枚は描き上げるそうだ。
その作品はどれも力強く、
迷いのないストロークで楽しげに描かれている。

ときに重く苦しい絵もあるが、
それでも決して不快な絵ではないと僕は思った。

彼の抱える苦しみやつらさは、
本人以外、誰にも分からない。
傍で見る僕らは想像で語ることしかできないが。
彼の絵は、苦しみや楽しみがそのまま、
赤裸々に描かれている。

まどろっこしい“評論”はさておき、
とにかくとてもいい絵だ。


「絵を描いてる時は楽しい」


という彼自身の言葉が、
そのまま線や色になって
キャンバスに塗り込められているように感じる。

そう、彼は心から“お絵描き”を楽しんでいるのだ。


一成くん自身、
個展や公募に興味があったわけではないそうだが。
周囲の人たちの勧めや協力で作品を外に出してみて、
色々な人の感想を聞けることがとても嬉しいそうだ。

一成くんにとって、絵は、
表現以上の役目を果たす、
大切な「架け橋」のようなものなのかもしれない。


「いい絵だね」


「もっとたくさん観てみたい」


そんな声や公募での受賞。
それは「描いていいよ」という後押しの声だと思う。
反対意見でも、無視されるよりはあったほうがましだったりする。


ずっと“お絵描き”をしていたい。
後援者(ファン)の声は、
お絵描きという行為を“社会的に”認めてくれる、
大きな力だ。

お絵描きという、言ってみれば「無駄」以外の
何ものでもない行為を認める声の束。

僕も、ひとりでも多くの人に
「描いてもいいよ」と言われたい。

ダメだって言う人がいてもいいから、
いいって言ってくれる人にはまっすぐ届くよう。
ずっと楽しく“お絵描き”をしていきたい。


絵というものは何なのか。

どうして人は絵を描いたり、
見たり飾ったりするのだろう。


答えはあるようでない。

言葉にならないからこそ「絵」があるのかもしれない。


音楽も絵も、正解はない。
人の数だけ形がある。

「いいよ」って言われること。

それは、その人自身が認められるのと同じことだ。
みんな違っていいと思う。違うからおもしろい。


好きか嫌いかは、見る人が決めればいい。
いいも悪いも、世の中が決めるのではなく、
見る人ひとりひとりが決めるものだから。


< 本日の格言 >
 Good enough!( いいんだよ ) by Ken Shimura